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2023-08-21

私、紙とペン持ってるよ

私、紙とペン持ってるよ。そう言って得意げにカバンから取り出すことが、最近立て続けにあった。カフェで、居酒屋で、バスの中で。別に得意げにするようなことじゃ全くないのだが、最近はちょっとしたメモならスマホで事足りることも多く、わざわざ紙とペンを持ち歩かない人も多い。

時と場合によるという人も、ようは時と場合を選んで持ち歩いたり、持ち歩かなかったりしていて、ちょっと使いたいときに持っていないことがままある。そもそも、持ち歩かなくなると「ちょっと使いたい」とも思わなくなるのだろうが、紙とペンを差し出すと、書いて使って説明してくれたりする。質問もはずむ。会話もはずむ。

人がペンをもって、目の前で何かを紙に書いたり描いたりしてくれるのをみるのは、なんとなく愉しい。ルンルンという気分になる。なんでだろう。

今ここで時間と空間をともにしている感覚を、存分に味わうからだろうか。デジタルに変更を加えられることなく、そのままその人の中のものが純度高く出力されている感じがするからだろうか。ぶかっこうな文字も絵も図も、その人の個性と愛嬌がにじみ出ていて、とても贅沢な感じがする。受け取る自身の解釈や発想にも自由と広がりを覚える。

私が紙とペンを持ち歩き続けている遠因は、おそらく私がオシャレじゃないことにある。私は外出時に持ち歩くカバンを変えない。A4サイズのノートがすっぽりおさまるリュックを、どこにだって持っていく。今日は小さいバッグがいいわ!とかいうことを思わないから、紙とペンがあると邪魔だわ!とも思うに至らない。

私が紙とペンを持ち歩き続けている根本の理由は、当たり前だが、あると何かと重宝するからだ。紙とペンから出力されるものは、パソコンやスマホに出力されるものと、いくらか異なる感がある。

出元が「私」で変わらずとも、出力先が変わると、私から何が出力されるかは、いくらか様相を変えてくる。少なくとも、その可能性を秘めている。というので、なんとなく「今は何がいいか?」と自問して、スマホにメモるか、パソコンに打ち込むか、紙にペンで書くかを使い分けている。ペンはシャープペン、3色ボールペン、サインペンを持ち歩いている。これが私の贅沢だ。

そんな偏屈なこだわりをもつ一方、自身の好みに対して、どうも大雑把な把握しかできていないのがもどかしい。

世間に目を向ければ「OKB48総選挙」も第12回まで回を重ね、自分のお気に入りボールペンを、これと見つけている。好きなブランドがあり、持ち心地や書き心地、好きな太さ細さを見出し、文房具店で握手会をし(握って書き心地を確かめる)、マイベストを選んでいる。

というのに私は相変わらず、自分の好みはコレというものを把握できていない。大型の文房具屋に足を運んで、世界堂や伊東屋のボールペン売り場に立ち、スタジアムの観客席に満員立ち並ぶかのごとく縦に横にぎゅうぎゅう押し合うボールペンらを前に、いくつか選んで試し書きしてみても、どれも悪くないと思うだけで、どれが自分の好みなのかピンとこない。

どうやってみんな、自分の好みはこれだ!という神経回路を働かせているのか。これを探るべく、最近は人に紙とペンを差し出す折、「太いのと細いの、どっちがいいですか?」と訊いてみている。きょとんとした顔をされて、そんなこと気にしていないという反応をもらうと、ちょっとほっとする。

それでも実際問題「0.38、0.5、0.7、どの辺使ってます?」と相手がふだん使っているものを尋ねてみたりするのだが、どうだろうなぁと言って、特別意識して使っていない人もあるようだ。

さらに深く話し込んでみると、やはり0.5の標準を選んでいる人が多い気がする。今、私の手元にあるのは0.38の極細ボールペンなのだが、これを使ってみてもらうと、「細!」という反応が多い。そうだよな、これはやはり細すぎる感がある。狭いところにも書きやすく、細いは太いを兼ねるかと思ったが、そんなことはなく、兼ねない。私のような、自分の好みにピンとこないタイプは、0.5を選んでおけということなのかもしれない。

しかし、ボールペンはそうそう壊れるものじゃない。替え芯の購入を重ねながら、なんとなくずっと0.38を使い続けて早何年か、一向に壊れる気配はない。いずれバネがダメになったら替え時ということになろうか。

自分の好みを把握できたところで、新調できる文具は限られているのかもしれない。中学時代から使っているシャープペンや定規も手元にあり続けている。ほにゃほにゃ中学校運動会とか名入れしてあるから、外には持ち出せないのだが、家で使う分には何ら問題ない。

それでいうと、これぞ消耗品といえるのが紙のノートだ。こればかりは自分の好みを知って次買うものに反映させたいところだが、こちらも何十年と自分の好みを特定できていない。

地の色はオフホワイトがいいのか、リーガルパッドの黄色がいいのか。ノートとパッド、どっちがいいか。紙のサイズは、どのサイズが最適なのか、大小を用意して使い分けるべきなのか。方眼紙と無地では、どちらのほうがはかどるのか。方眼紙だとして、線の色とか太さは何か私に影響を及ぼしているのだろうか。

今のところ、A4サイズのレポートパッドで、罫線ではなく方眼紙、地の色はオフホワイトに着地してみているが、まだ自分の好みの把握ぐあいが心許ない。もしかしたら、もっと好みの、もっとはかどるノートがあるのかもしれないと、もんもんとした思いを抱えながら今日までやってきた。

この先も、人に「私、紙とペン持ってるよ」と差し出すのに乗じて、いろんな人の好みと、その根拠づけを聞き出していけたらいい。この間教えてもらったのは、ある程度ペンに太さがあったほうが、自分の字がうまく見える気がするというもの。なるほど。あと、罫線に沿って文字を書くので罫線つきノートを好んで使っているという話も、なるほどだった。私ははなから罫線に沿って文字を書く気がないので、罫線より方眼紙が好みなのでは、と知るところとなった。

人の理屈、人が何かを好んで選ぶ理由を教えてもらうのって、すごく愉しいんだよな。自分を発見することにもなって、とても好きなおしゃべりの時間だ。何の話だと言われても困るのだが、そういう話。

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