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2023-07-29

やりがいは、やりながら発見する

4月から始めた一人仕事は、おもしろい。なんの仕事をしているんですか?と尋ねられても、案件ごとにやっていることがけっこう違うので、月を経るごと回答にまごついてしまうようになり名無し感は強まる一方なのだが、個人的には職種やらタイトルというものに頓着がなく、やっている仕事にやりがいがあることが大事なので、ひとまず今はそういう仕事に恵まれていて、ありがたいかぎりだ。

そのやりがいとはなんぞやという話なのだが、それぞれの仕事を引き受けるときには、それと認識していなかったやりがいが、案件に取り組んでいる途中で発見されるという経験を重ねていて、これをたいそう興味深く自己観察している次第だ。

もちろん、仕事をもらってやり始める段から、私なりにやりがいを感じて着手しているわけなのだが、それを私自身がすでに把握している「顕在的やりがい」と呼ぶなら、仕事に取り組んでいる途中で私が把握していなかった「潜在的やりがい」というのが新たに発見される。この未知との遭遇が興味深い。

あくまで私の内側で発見される心の動きにすぎないのだが、それにしたって、ある瞬間に、しっかりした物質性をともなって(それくらいコンセプト立って)確認されるので、わりとびっくりする。何も埋まっていないと思っていた土の中から、さつまいもが掘り起こされるくらいに、びっくりしている。

それは客先の会議室に何人も集まって膝つきあわせて話し合っている最中に起きたり、オンラインごしに人と深く話し込んでいる最中に起きたりする。振り返ってみると、たいがい仕事相手と話している最中に起きている。それぞれの案件にそういう場面があり、心のうちで「ほぉ」と膝を打つ。

人事制度設計の仕事では「あぁ私は、言わばオタク的な専門性がきちんと組織的に真っ当に評価されて報酬化される仕組みを埋め込むために関わっているんだ」と独り合点して、意気揚々と帰途に着いた日もあった。

個人のもつ資質や専門的能力が、職業的役割や職能、パフォーマンスとして遺憾なく発揮され、むしろ組織活動に関わることによって個人の変態性(個性)のようなものが引き出されて開花し、彩りを増して、組織評価を上げるのはもとより、お客さんに役立ち、社会に還元されるように仕組みづくるのだ。そこをうまいこと通す、合理的に成り立たせるための人事制度設計に関わっているのだと、勝手に自分の個人的ミッションをつかまえて意味づけをもぐもぐし、むくむく奮起したりしている。

そういう異色のやりがいをもって外部からプロジェクトに介入する人がいるというのは、うまく働けば良い働きになりそうなんである。うまく働けばなので、うまく働けるように頑張らにゃいかんのだが、頑張っている。

また別の案件では、若者が推進するプロジェクトの、プロジェクトマネジメントや企画・設計をサポートしているのだが、私自身べつにその道の専門家というのじゃないから、とにかく、そのプロジェクトを自分ならどう設計・推進するかというのを、一介の仕事人としてやってみる。

次までの宿題を出しては、私も同じ期間に自分で宿題をやってみて、サポートする相手と自分の差分を念頭におきながら、具体的な不足を指摘したり助言をしたり。自分の宿題を(手本とはならないが)一例として見せ、本人が自分の作ったものを相対的に評価しやすいよう比較対象物を示すようにしている。そうすると、1対多で提供するセミナーやトレーニングでは成しえない学習支援アプローチに直接携わることができて、その介在価値みたいなものをやりがいと感じる。

私もさらっと宿題を仕上げられるわけではないので、うんうんうなりながらやると本人の辛さがどこにわいて、どこに難しさを覚えるかも具体的な作業場面としてつかみやすく、本人が言葉にできる域で自覚していないところも「この辺が難しくなかったか」と問うと、まさにそこがもやっとしている、みたいなやりとりができる。

こういう深さで伴走できれば、私にも自分なりの役立ち方ができるのかもと思う。PMの専門家のそれには遠く及ばないが、優秀なPMプロフェッショナルがあらゆる職場に入って、具体案件に密着して個別サポートにあたれるわけでじゃないから、手分けして私は私がやれるだけのことを、自分のやれる領域を弁えつつやって役立てたら嬉しい。

それにしてもプロジェクトを設計するというのは、もやっとした状況の中で自分らの歩く道を引き、情報を集めたり、アイデアを拡散させたり、情報を構造だてたり、活動を秩序だてたりとやる必要があるので、若者は最初かなり不安げで心許ない様子なのだが、一度そういうプロジェクトを頭からお尻までたどってみると、そこに面白さも覚えてくるようで、プロジェクト過程でその表情が輪郭をはっきりさせていくさまは、みていて実にたのもしく、たくましく、とてもきらきらしていて美しい。

そんなこんな、何者でもない一介の仕事人的な感じで、自分ができること、役立てる領域を耕しながらコツコツ働く中で、潜在的やりがいとの遭遇に出くわす旅をしている。内的キャリアの充実とでも言おうか、地味に刺激的な体験を重ねている。やってみてからでないと発見できないやりがいというのがあるんだったら、やってみるのが良いのであって、その可能性にベットする選択は多かれ少なかれ続けていくべきなんだろう。

2023-07-17

旅のあと、そのことの周りで遊ぶ

先日、京都旅行に行った話を書いたが、戻ってきてから写真アルバムを作り、昨日父にプレゼントした。このところ家族旅行に出ると毎度フォトブックにして父に贈っているのだが、今回が6冊目になるか。仕上がりはこんな感じ(Instagram)。

なんとなく始めた旅行アルバム作りだが、6冊目ともなると定番化する。今回は帰りの新幹線の中だったかで、父が「おまえ、あれ、また作るんだろ」と期待を寄せた。自分のスマホにおさめた写真も、旅の途中から私のスマホに送ってきて、今回は素材提供にも協力的だった気がする。

フォトアルバムは、旅から戻った翌日に作って注文しても、こちらの手元に届くまで1週間はかかってしまうので、旅に出たその週末にあげることは叶わなかったのだが、その翌週末にもっていって「はい、プレゼント!」と紙封筒を手渡すと、父は「おぉ、これこれ。クニマリの、京都旅行とかいうやつだろ」と、取り出す前からアルバムのタイトルまで見当をつけて、ごそごそ紙封筒の中に手を入れた。

私は写真を撮るのもアルバムにまとめるのも決してうまい人間じゃないのだが、富士フイルムの力を借りて映りの良い写真をハードカバーで仕上げると、なかなか立派なたたずまいとなるのが、ありがたい。

旅の間、そんな意識して写真におさめているわけでもないので、あそこで過ごした時間が一枚も撮れていない、あの人らを撮り忘れた…なんてこともあるわけだが、そこはご愛嬌、コメント力でカバーだ。

各ページの下方に一行テキストが入れられるようになっているので、写真がないところも「どこそこから、どこそこへ向かい」というふうに記して、行った先の地名や交流した人など固有名詞を入れこんでページをつなぐ。旅中にどこで何があったかを後から思い出せるようにしている。

父も、私が写真に添えるコメントを楽しんでくれているようで、「これは、おまえが全部考えて書いてるんだろ」と言うので、「そう」と平静に応えながらも、おぉそこに着眼してくれますかー!と胸のうちで思う。

そうそう、先日ここに書いた手紙も、宛先に届いて実を結んだ。京都旅行で突撃訪問した本家に、お礼状(と突然訪ねた詫び状)を送ったのだが、それを受け取った本家から、なんと私のスマホに電話がかかってきた。親戚をたどって連絡先を調べ、電話をくれたのだそうだ。ものすごく嬉しかった。

出した手紙が、電話の声に転じて帰ってきた。おとぎ話のようだ。私は「人の声」にけっこうな思い入れがある人間で、耳に届く言葉をありがたく聴いた。本家は、この縁を大切にしたいと気持ちを寄せてくださった。あっちゃこっちゃしながら汗をかきかき手紙をしたためたのが、このような縁をつないでくれるなんて。自分の編んだ時間に、物語を感じた。

旅に出て、いろんな体験をすることももちろん尊いのだが、私のようなのは旅に長く、あるいは頻繁に出かけるよりも、こうして短い旅程でも時々でも、その一つを自分なりに味わい深める活動が性に合うのかもしれない。出不精の言い訳かもしらんが。

こうやって丁寧に、一つのことを他のところへ織りこむように、編みこむようにして手仕事する時間をこそ、尊く感じるのだ。体と、心と、頭が一つになって、全部を使って、何かに向かい、誰かに向かい、その人と交流する時間が好きなのだった。

本一冊を読むのでも、そうなのだよな。私の頭では、どうにも早く本を読むことはできない。でも、早く本を読めること、たくさんの本を読めることに頓着せずに、一冊を丁寧に読んで、自分の仕事に活かしたり、読まなかった自分には思いつかなかったことに洞察を深めたり、読まないではやらなかったことをやってみたりできれば、それでいいやと思う。それが、誰かの、何かに役立てば嬉しい。なかなか、こうやって暮れていく風情は好ましい。

2023-07-06

手紙を書く道具立てと勝手のちがい

ものすごく久しぶりに手紙を書いて封書で送る。所作の一つひとつが心許なく、一つひとつ調べながら歩を進めた。

まず、むかし読んだマナーやら作法やらの本を数冊めくって「手紙の書き方」の章をざざっとおさらい。いろいろと覚えていない。頭語、時候の挨拶、安否や感謝の挨拶から入って、主文、末文、後付、ここで字下げして、ここで改行してと、手元で一通りの枠組みを下書きして確認する。

その枠組みに沿いながら、続いて手紙の中身をしたためる。パソコンで書くようにコピペしての順番入れ替えが後からはきかないから、あたまから順に文字を書いていくわけだが、こういう前提に立つと、脳内でまず中身を構想して構成立てる処理を行うよう、おのずと促されるのやもしれぬ。あるいは、脳内処理をあきらめて、なんでもない紙にいったん、伝えたいメッセージを順不同で書き出してみる、というのをやってもいいわけだが。

いずれにせよ、何かと道具立ての前提が異なると、やることなすこと勝手がちがってくるものだよなぁというのを体感しながら、手紙の準備をする。

私はとりあえず清書ではなく下書き用の便箋に、一通りの文面を書き起こしてみる。下書きと割り切っているので、さらさらと書き進めるのだが、文字の書き間違いが起こったり、やっぱりこっちの言葉のほうがいいなと思ったりして、訂正したいのを線ひいて消して、横っちょに改めたい文字を添えて、清書にそなえる。

こうして、2枚にちょうど良くおさまる分量で、適宜改行を入れながら後付けまで到達するのを確認し、よし、清書して送るぞ!という自身の気の高まりを確認する。

ここまでの下準備をした上で、買い物に出かけた。清書用の便箋と、封筒と、ペンを購入するのだ。

目上の方への改まった手紙では、便箋は罫線のないもの(無罫)が好ましく、紙面に華美な装飾の入っていないものが良い。装飾があるとしても、季節はずれのものは避けたし(夏なのに桜もようなどはダメという話)。それを念頭に、あれこれ物色し、これと決める。封筒は、便箋とセットのものにすれば間違いなかろう。

ペンは、万年筆といきたいところだが、分不相応に手を出すのもどうかなぁというので、代替になるとかならないとかいう噂ばなしを聞きつけてゲルインクボールペンの青色を採用(自信はない)。

家に帰って、清書する。想定どおり書き損じるも、あるあると割り切って二度目の挑戦、書き直して清書を仕上げる。一息おいて、読んでみる。文字が汚い。日ペンの美子ちゃんを思い出す。致し方ない。一朝一夕でどうにかなるものでもない。感謝の気持ちは届くはずだ。

わりきって、封書作業に移る。宛名や裏書きを記すのも一苦労。和封筒の作法として、どの位置に、どの大きさで書くのが適切か、念入りに確認しながらしたためる。

便箋を三つ折りにして封書に差し入れる向きは、ちょうど受け取り手が封をあけたときに、手紙の書き出しが最初に目に入るように入れるという話で、「作法」というのは今でいう「合理的配慮」に通ずるところがあろうな、と思ったりする。

こうして何時間もかけて一つの手紙を用意したわけで、人によってはコスパだタイパだSDGsだといって眉間にしわを寄せる向きもあろうが、たった数枚の紙でこれだけ味わい深く時間を過ごせる人の営みも捨てたもんじゃなかろう。そう自分を励まして郵便局へ足を運ぶのだった。感謝の気持ちだけは余すことなく届きますように。

2023-07-04

父の思い出探訪、京都編

おととし秋の長良川旅行に続き、今回は京都へ、父の思い出探訪に出かけた。梅雨どきだったので、天気は当日になってみないと…という賭けだったが、前日の荒天から一転、旅行の間は天気にも恵まれて、むしろカンカン照りの中、熱中症にならぬよう気を払いながら汗をかきかき観光地のはずれをあちこち探索した。

今回は「彼らなしには、この旅行の充実感は得られなかった」という強力な助っ人が急きょ現れて、私たち親子を全面サポート、至れり尽くせりの旅だった。

父方の親戚の多くはこちらに居を構えており、父の甥っこ(私のいとこ)が車で京都駅まで迎えに来て、旅につきあってくれることになったのだ。父が通った小学校や中学校、当時住んでいた家など、あっちゃこっちゃ縦横無尽に車でほいほいと運んでは、方々の住宅地で父が民家を突撃取材するのに「すげぇな、おっちゃん」と笑いながらつきあってくれた。なんてありがたいことだ。

甥っこくんは昔から父のことを慕ってくれていて、旅行を決めた時点で私は父に、甥っこくんには連絡を入れておいたら?と言ったのだが、父はわざわざそのために彼が予定を空けてしまったら申し訳ないから当日新幹線の中から連絡を入れよう、そこで都合がついたら会うのが良いというのだった。それで事前の連絡を控えていた。

しかし、なんの導きか、ちょうど旅行の前日に、その甥っこくんから父のところへお中元が届いたのだ。それで父がお礼の電話をかけることとなり、そうなれば、そこで言わない手もない、じつは明日京都へ行くんだよと、甥っこくんに電話で伝えた。

ところが甥っこくんはちょうど翌日、つまり旅行初日に京都から東京へ向かう予定を組んでいるという。あぁすれ違いかぁ、残念だねぇと父娘で話していた。が、その数分後に前言撤回、甥っこくんが日曜のうちに東京移動するのを取りやめて、京都駅で出迎えてくれるという。仕事のための前入り予定だったから月曜移動に切り替えても大丈夫なんだと、ちゃちゃっと都合をつけてくれた。父はそれを聞くや否や、再び私に連絡をよこして「いやぁ俺の人徳かなぁ、うっしっし」と笑った。めでたい。

叔母(甥っこのお母さん、父の弟の奥さん)も都合をつけてご一緒くださると言う。ありがたみがすごい。叔父は他界してしまったが、私はこの一家が大好きで、ふたりに再会できるのがとても嬉しい。

翌日、新幹線に乗って旅の始まり。京都駅に降り立つと、夏の蒸した空気が私たち親子を出迎えた。駅の中央口で、満面の笑顔で出迎える甥っこくんと再会を果たし、後をついていくと車の中で伯母が待っていた。あぁ、良かった。笑顔で再会できて良かった。

涼しい車に乗り込んで、京都の街並みを窓ごしに楽しむ。贅沢。鴨川を渡り、祇園四条近くの白川沿いで車をおりて、巽橋を渡ってランチをごちそうになり、いよいよ探訪に繰り出す。

気温も湿度も満ちみちた空気の中、父の思い出の地を巡っていると、これはもう車移動以外の手段では不可能だった旅程よ、と思い知る。もし彼らの助けがなかったら、父と私はいくつかの行き先をあきらめ、はしょってしまっていただろう。これは身がもたない、仕方ないねと。それを丸々、父が行きたいところぜーんぶ、気前よく叶えてくれた。なんだかそのことに感謝で胸がいっぱいになって、いま思い出しても目頭が熱くなってしまう。本当に懐の深い、温かい人たちだ。

探訪の先に着くと、小学校の前でぱしゃり、中学校の前でぱしゃりと記念撮影し、近辺をうろうろ、きょろきょろ、当時の面影を探った。ありがたいことに、学校そのものはけっこう残っているのだが、当時の面影はあったりなかったり。住んでいた家も、50年以上前とあって建物はだいたい建て替わっているが、通りは残しているので、この角か、もう一つ先の角かしらと道を行ったり来たり。それだけでも汗だくである。

しかし、父はそれで満足などしないのだ。持ち前の突破力で、民家でも果敢にインターホンを鳴らしてピンポーンと突撃取材を試みる。私はなんとなく背景に映り込んで「決して怪しい者ではございません」感をにおわす脇役に精を出す。父は、松の門かぶりもなんのその。見るからに立派なお宅でもひるむことなくピンポーンする様には、私も「すげぇな、おっちゃん」と脱帽する。よい収穫があるよう願いつつ、私はきわめて常識的な人間を装って、父の背後で行儀良くして、ほがらかに微笑み、家の中の人らに頭を下げるのだった。思いのほか皆、穏やかに情報をくれたり対応してくれて、世の中捨てたものじゃないなと思う。

ひととおり巡りたいところを巡らせてもらって京都市内のドライブを終えると、甥っこくんが夕食のお店も手配してくれているというので、おもてなしに預かる。昨日の今日だというのに、秀吉の時代からの由緒ある食事処を手配してくれている、生粋の京都人おそるべし。晩は甥っこくんの奥さん、二人のお子さんも合流して、にぎやかに食事をいただいた。

2日目の月曜は、9時ごろ旅館をチェックアウトし、父と私ふたりで出かける。てくてく歩いて向かう先は、旅館から目と鼻の先にある「本家」だ。

今回手配した宿は四条駅近くの老舗旅館で、父が長く本籍をおいていた「本家」の近所。本家は300年以上の歴史があり、ずっとそこに居を構えている。父は今も番地まで、そらで言えるが、そこに住んだことはないし、うちは分家の分家で、京都から離れてしまって久しいので、本家とのつきあいはない。印字だけの年賀状のやりとりは続いているが、そこで特別に寄せる言葉も関係ももたなかった。

しかし門の前に立ってぱしゃりと記念撮影くらいしてもバチは当たらんだろうと思い、旅館から散策がてら歩いていったのだが、これが思いもよらず、旅を終えた今ではクライマックス級の思い出となった。

ここでも父の突破力が炸裂し、本家の敷居をまたぐに至った。その家のあたりに接近し、お父さん、ここっぽいよ!ほら!と表札をさして案内すると、父は、おぉ!と言って、ピーンポーンとやってのけたのだ。さすがだよ。

月曜の朝っぱらに訪ねてきた謎の親子を、本家はあたたかく迎え入れてくれ、その門をまたぐことが叶った。奥さんが麦茶を出してくれ、数十分ながら談笑。親戚の固有名詞が出まくりで、なになにちゃんがどうの、どこそこさんがどうのと頭の中に家系図を書いて、たがいの関係をたぐりよせた。つまるところ今、本家を継いでいるその人物は、父のいとこの息子さんということになるらしかった、たぶん。

飼い猫を病院に連れて行く予定だったらしく、訪ねるのが数十分ちがっていたら、おそらくお留守だったろうから、なんともありがたいことだった。

数十分の後、お暇した後は、タクシー、電車、バスなど使って、ちょっとした観光。銀閣寺を訪ねた以外はほとんど思い出探訪に費やしたが、この上なく豊かな旅を満喫した。四条通も少しばかり歩いたが、祇園祭を2週間後にひかえて街は活気づき、祇園囃子が聞こえていた。街並みはずいぶん変わってしまったものの、父は懐かしい思い出とともに散策を味わえたようだった。

なんとなく反省したのは、もうちょっと長い滞在にしたらよかったなということ。帰りの新幹線での父の様子をうかがうに、これが最後の京都だと心して帰途についた気がして、それを思うと胸が苦しくなる。あれは予行演習だったと言わんばかり、そう遠くないうちに再び京都を訪ねて、少しゆっくり滞在できたらなと思う。私がもう少し個人事業主慣れして度胸がすわれば、東京を離れて旅先から仕事することもできると思うのだけども。また、いろいろ企てよう。

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写真は、朝食のときの敷紙で、旅館の女将さんの書だという。丸竹夷二押御池 姉三六角蛸錦(まるたけえびすにおしおいけ あねさんろっかくたこにしき)。京都御所の南側を東西に渡す何本もの通りを順に並べた唄で、丸太町通から錦小路通まで、この後にも続きがあるそう。京都の人なら誰でもそらで唄えるのだそうで、父も懐かしいなぁと言いながら調子をつけて口にしていた。

2023-07-01

3ヶ月、今ここの役割を作り出す創造力をキャリアデザインとみる

自分が深く聞き込みたいなぁと思う話を聞かせてくれ、深く考えたいなぁと思うお題を与えてくれ、調べたこと考えたこと思ったこと見出したことなど伝えると喜んでくれ、その過程で一人こもって編集してまとめる中でも、それを持ち込んであれこれお話しする中でも、私自身いろんな発見に出会えるし、いろんな感情の高まりがある。いろんな形で快いキャッチボールが続いて、仕事っておもしろいなぁっていう日々が重なっていって、あっという間に3ヶ月が過ぎた。独立して3ヶ月だ。

最初の1年というのは、いろんなご縁にも恵まれやすいのだろう。来年の今頃は何をしていることやらと先々のことは皆目見当がつかない。けれど、いま与えられた役目を果たして充実感を得ていることほどかけがえのないことはない。一つひとつの機会を大事にしてやっていると、自分の畑の土も耕されていく感覚が強くあり、土の肥沃化とともに各社に届けられるものも豊かになっていく。実際的に言えば、あっちの案件で培ったことが、こっちの案件でも直接的に活きてくる体験に、3ヶ月で何度も遭遇した。

1年先が不透明な状態に身を置いていても、自分の現在地を「今」「ここ」という時間・空間の座標軸できちんと認められていると、けっこう安定感をもって生きていけるものなのかもなぁという実感をもって、ここのところ暮らしている。

裏返して言えば、今という時間にしか生きられないこと、ここという空間以外に自分が点在し得ないことを前提において、今、ここで、どういう文脈の中に自分がいるかを見立てて、その文脈の中で活きる役割を自分に与えることができれば、案件ごとのベストポジションに自分を配置できれば、わりとマイペースに足場が安定した心持ちでやっていけるものなのかもなぁと、そんなことを最近思っている。

自分が身を置く文脈を構造的にとらえて、自分の活力がわいてくる役割を見出すところに、自身のセンス、洞察力や創造力が試されるわけだが、それが一般に「キャリアデザイン」と呼ばれているコンセプトの本質かもしれないなぁと。

そんなことをつらつら思ったのは、先日もここで引いた「心理療法の基本」*という本の一節にある、今ここの座標軸の話から。

下の引用文に入る前にあるのは、「生活のなかで幼いときから培われてくるべきはずの思考力とか、感受性だとか、人や物とどういうふうにかかわるかという、そういう経験の裏打ちによって育つ」自我というものが「非常に観念のほうに偏って、体験の裏打ちがない」ために「人格の中核のところが中空」のようになって「結果の重大さを想像しないで行動に及んでしまう」人が相対的に増えている気がするというような話である。

自分のなかに時間の感覚をしっかり持って、そういう自分が周りの人や置かれた状況とどんな位置づけにいるかというのがおぼつかないからこそ、自分の中から突き上げる衝動とか、外からのちょっとしたきっかけの誘いにパッと乗りやすいのだと思います。歯止めになるための時間軸と空間軸の交わるところにある私という、そういう私をとらえる座標軸がおぼつかない人が増えていると思うのです

歯止めというと「守り」が強調されるけれど、これって裏を返せば「攻め」にも使えるんじゃないだろうか。「自分のなかに時間の感覚をしっかり持って、そういう自分が周りの人や置かれた状況とどんな位置づけにいるか」がおぼつく、つまり割りとはっきりつかめている感覚を自分の中に持てれば、先々不透明でもけっこう安定感をもって立っていられるってことかもなぁ、自分はそういうことを考えているのかなって思️った。

まぁ、まだ3ヶ月しかやっていないぺーぺーが、なに達観したようなこと言ってるんだと笑われてしまうのがオチなのだけれど、こういう認識も都度アップデートしていけば人生の味わいも増すというものよの。

そもそも先々は不透明なもの、そこに確かさを覚え出したら、それこそまやかしにとらわれている状態なのかも。とすれば今のほうが正常に感覚器を働かせてやっていけているということか。この先の人類がどうアップデートするかはわからないけれど、とりあえず昭和育ちな私は、このオーソドックスな人間の造りで今ここに座標軸をもってやっていくつもり。

* 村瀬嘉代子、青木省三「心理療法の基本」(金剛出版)

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