やりがいは、やりながら発見する
4月から始めた一人仕事は、おもしろい。なんの仕事をしているんですか?と尋ねられても、案件ごとにやっていることがけっこう違うので、月を経るごと回答にまごついてしまうようになり名無し感は強まる一方なのだが、個人的には職種やらタイトルというものに頓着がなく、やっている仕事にやりがいがあることが大事なので、ひとまず今はそういう仕事に恵まれていて、ありがたいかぎりだ。
そのやりがいとはなんぞやという話なのだが、それぞれの仕事を引き受けるときには、それと認識していなかったやりがいが、案件に取り組んでいる途中で発見されるという経験を重ねていて、これをたいそう興味深く自己観察している次第だ。
もちろん、仕事をもらってやり始める段から、私なりにやりがいを感じて着手しているわけなのだが、それを私自身がすでに把握している「顕在的やりがい」と呼ぶなら、仕事に取り組んでいる途中で私が把握していなかった「潜在的やりがい」というのが新たに発見される。この未知との遭遇が興味深い。
あくまで私の内側で発見される心の動きにすぎないのだが、それにしたって、ある瞬間に、しっかりした物質性をともなって(それくらいコンセプト立って)確認されるので、わりとびっくりする。何も埋まっていないと思っていた土の中から、さつまいもが掘り起こされるくらいに、びっくりしている。
それは客先の会議室に何人も集まって膝つきあわせて話し合っている最中に起きたり、オンラインごしに人と深く話し込んでいる最中に起きたりする。振り返ってみると、たいがい仕事相手と話している最中に起きている。それぞれの案件にそういう場面があり、心のうちで「ほぉ」と膝を打つ。
人事制度設計の仕事では「あぁ私は、言わばオタク的な専門性がきちんと組織的に真っ当に評価されて報酬化される仕組みを埋め込むために関わっているんだ」と独り合点して、意気揚々と帰途に着いた日もあった。
個人のもつ資質や専門的能力が、職業的役割や職能、パフォーマンスとして遺憾なく発揮され、むしろ組織活動に関わることによって個人の変態性(個性)のようなものが引き出されて開花し、彩りを増して、組織評価を上げるのはもとより、お客さんに役立ち、社会に還元されるように仕組みづくるのだ。そこをうまいこと通す、合理的に成り立たせるための人事制度設計に関わっているのだと、勝手に自分の個人的ミッションをつかまえて意味づけをもぐもぐし、むくむく奮起したりしている。
そういう異色のやりがいをもって外部からプロジェクトに介入する人がいるというのは、うまく働けば良い働きになりそうなんである。うまく働けばなので、うまく働けるように頑張らにゃいかんのだが、頑張っている。
また別の案件では、若者が推進するプロジェクトの、プロジェクトマネジメントや企画・設計をサポートしているのだが、私自身べつにその道の専門家というのじゃないから、とにかく、そのプロジェクトを自分ならどう設計・推進するかというのを、一介の仕事人としてやってみる。
次までの宿題を出しては、私も同じ期間に自分で宿題をやってみて、サポートする相手と自分の差分を念頭におきながら、具体的な不足を指摘したり助言をしたり。自分の宿題を(手本とはならないが)一例として見せ、本人が自分の作ったものを相対的に評価しやすいよう比較対象物を示すようにしている。そうすると、1対多で提供するセミナーやトレーニングでは成しえない学習支援アプローチに直接携わることができて、その介在価値みたいなものをやりがいと感じる。
私もさらっと宿題を仕上げられるわけではないので、うんうんうなりながらやると本人の辛さがどこにわいて、どこに難しさを覚えるかも具体的な作業場面としてつかみやすく、本人が言葉にできる域で自覚していないところも「この辺が難しくなかったか」と問うと、まさにそこがもやっとしている、みたいなやりとりができる。
こういう深さで伴走できれば、私にも自分なりの役立ち方ができるのかもと思う。PMの専門家のそれには遠く及ばないが、優秀なPMプロフェッショナルがあらゆる職場に入って、具体案件に密着して個別サポートにあたれるわけでじゃないから、手分けして私は私がやれるだけのことを、自分のやれる領域を弁えつつやって役立てたら嬉しい。
それにしてもプロジェクトを設計するというのは、もやっとした状況の中で自分らの歩く道を引き、情報を集めたり、アイデアを拡散させたり、情報を構造だてたり、活動を秩序だてたりとやる必要があるので、若者は最初かなり不安げで心許ない様子なのだが、一度そういうプロジェクトを頭からお尻までたどってみると、そこに面白さも覚えてくるようで、プロジェクト過程でその表情が輪郭をはっきりさせていくさまは、みていて実にたのもしく、たくましく、とてもきらきらしていて美しい。
そんなこんな、何者でもない一介の仕事人的な感じで、自分ができること、役立てる領域を耕しながらコツコツ働く中で、潜在的やりがいとの遭遇に出くわす旅をしている。内的キャリアの充実とでも言おうか、地味に刺激的な体験を重ねている。やってみてからでないと発見できないやりがいというのがあるんだったら、やってみるのが良いのであって、その可能性にベットする選択は多かれ少なかれ続けていくべきなんだろう。
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