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2023-04-22

専門領域をまたいで、個別に役割を創っていく

仕事がおもしろい。お客さんごと、案件ごと、その時々で自分の役どころが七変化するのは刺激的で、向こうから寄せられる期待も、私の役どころをここまでと厳密に規定するふうがない。現場の関わりの中で「こういう役立ち方なのか、なぁ」と、その人に手を当てながら分かっていく感じ。それを良しとしてお客さんが仕事をくれているのも、ありがたい話だ。

企業ごとに法人格としての性格も多様なら、直接関わる人が20代、30代、40代、50代と年代が分かれて幅広いのもおもしろい。もちろん、それぞれに個性があり、その豊かさに触れるのも、また楽しい。そういう個別のやりとりの中で、あぁこういうふうに関わっていったら、この人の、この企業の、こういうところの役に立てるのかなと、きわめて動物的に探り当てていく。自分に何ができるのか、その場を生きながら個別につかんでいく感じが快い。

といって私が有する現場の瞬発力はそんな高くない。その自覚は存分にあるので、案件ごとの予習・復習が欠かせない。呑気に楽しがっていられるばかりでもない。

一つに、若者のプロジェクトリーダーとしての活動を伴走者的にサポートする仕事があるが、こちらで来週までの宿題を出したら、自分でもその宿題をやってみる。翌週それと脳内で照らし合わせるようにして、本人の宿題の成果を聴く。そうすると、相手がどういうところで試行錯誤したかも想像しやすく深掘り質問がしやすいし、こう考えてみるアプローチもあるのではないかという提案も具体性が増す。

これを、そんな下準備なしにその場でできる人もあろうし、私のような稼働の仕方をしては赤字じゃないかという指摘もあろうが、そのご指導はいったんスルーだ。

私の力量だと、こういう下準備あってこそ、その場でのセッションを自由演技できている自覚がもりもりあるので、そこは丁寧にやって臨みたいと思う。

この下準備の活動は、私自身の強化したい能力を鍛え上げる訓練にも働いている実感がある。宿題をやっている若者は、同志のようにも感じられる。たがいに同じ課題に打ち込むことで切磋琢磨している感じ。もちろん、そこで有効な助言や支援ができなければ仕事として責任を果たしていることにはならないわけだが、そこはそこで果たしつつ自分のトレーニングにもなっている一石二鳥なら許されるだろう。依頼主であるプロジェクトオーナーの評によれば、今のところ、それがうまく実現できているようだ。

4〜5月で始動する目の前の案件をどういう時間配分でやっていけるかは、やってみないとわからないところが多分にある。私はまだ自分の力量を細かく把握できていない。なので、単発的なものは除いて、いったん新しい仕事を受けるのはストップ。ありがたく、かたじけない…という思いもありつつ、しばらくは目の前の案件に集中だ。

これ以上に増やすと、それぞれの案件を「今自分がもっている力量でこなす」働き方をしてしまいそうだが、当面そういうやり方は避けたい。それぞれの案件を「今自分がもっている力量を上回る最大出力でやってみて、自分のできることを把握すること、引き上げていくこと、拡張していくこと」に尽力したいと思う。

そうすることで長期的には、自分が引き受けられる仕事の質、量を上げて、幅を広げていけるといいなと思う。

そういう点で、今は小さな発見が日常にある。各案件に当たりながら、自分にはこういう働き方、関わり方、役立ち方もあるのかと、自分のことを知っていく感じ。役割の幅に広がりを感じたり、自分の力量を鍛え上げている感じがあるのが、とても健全なことに思える。

とても小さなことの積み重ねではあるのだけど、そういう実感を得るにつけ、あまり自分の役どころを固定してかかるものじゃないなと思う。専門性云々にこだわらず、領域を固定せずに、一つひとつの案件に対して自分のできることを考え抜いて、領域をまたいで最大出力で活動する、それが本来の仕事のスタンスというものじゃなかろうかと、そんなことを思っている。

先々のキャリアということを考慮しても、実際に自分を市場で働かせてみて、やった仕事のプロセスと結果をレビューしていくサイクルの中でしか、自分の活かしようなんて発展的には見えてこない。へたに規定するのも機会損失でもったいないし、自分がどういう案件に対してどう役立てるのか役立てないのかを、自分自身の振り返りと相手の反応から冷静に評価して次につなげていけたらなって思う今日この頃だ。

2023-04-15

個人事業主としてのフォーメーション考察

退職月である3月の初めから、個人事業主として始動しだした4月の上旬にかけて、いろんな人とお話しする機会がもてた。それはとても貴重な時間だった。自分ひとりでは思いつけない、考察を深められないことがいろいろ湧いて出てきた。

私は自分の身を放流するようにして、それぞれの対話やその振り返りから、自分とはどんなふうに役立ちうるのかを模索したり、自分が何を考え、どう役立とうと試みるのかを観察して過ごした。それぞれの具体的な仕事依頼や相談に対して、自分がどんなアウトプットを出していくのか、それにどれくらいの時間を要するのか、それが相手にどう評価されるのかを観察する中でも、これまでと趣きを異にする自己洞察があった。

ありがたいことに、当面はこのお客さん向けに、この案件で応えていこうというプロジェクトが、ある程度定まった。それらがいつまで続くかは、私の役立ちぐあいにもよれば、お客さん側の都合にもよるわけだが、ともかく全部が全部、自分にとっても挑戦しがいのある案件であり、自分が役立ちたい役どころでもあり、また自身の力量を拡張してくれる可能性を秘めた依頼ばかりだ。

あとは、おまえが頑張るだけだぞ!という環境に身をおくことができている。これから当面は目の前の仕事に腰据えて奮闘しようというところ。

で、だ。このひと月ほどの、いわば個人事業主としての営業フェーズとも言える期間を振り返って見えてきたことを、ここで書き留めておきたい。

個人事業主として、自分がどういうフォーメーションをとるのか、なんとなく定まったものが見えてきたというか。まぁ当たり前っちゃあ当たり前の話なのだが、これまでの会社員時代の案件の関わり方との対比で、実体験的に確認した個人事業主としてのフォーメーションの取り方。

これまでの会社員時代というのは、自分が「勤め先」の法人格をもって、法人クライアントと講師の間に入ってとりもつことで研修プロジェクトなどを手がけてきたわけなのだが。

Formation_before

それが個人事業主となると、それでは先方にとっても自身にとってもリスキーなので、おのずと自分が契約関係の末端を採るフォーメーションを選んで関わろうとしていることに気づく。我ごとながら事後的に、自分のなかのリスクマネ夫の存在に気づくというか。

Formation_after

なんだか、いろいろ実体験的に思い至るところがあり、新鮮でおもしろい。これからしっかり、それぞれの案件で期待される役どころを果たしていくところが本分なので、こんな小さな発見も楽しみながら頑張りたい。

2023-04-06

1通のメールが冒険魂を灯した日のこと

3月の初旬、プライベートのメールアドレスに1通のメールが届いた。1行目に、hysmrk様とあった。主は、私の名前をご存知ないようだ。あるいは知っていたとしても、ここで本名を記す間柄ではないということだ。

しかし「どこそこ社のまるまると申します」という改まった書き出しは、襟を正して読むべき雰囲気をまとっていた。先を読み進めてみると、私が以前Slideshareというスライド共有サービスに上げたスライドを見て、それが分かりやすいので、うちのサービスの教材開発を依頼したいという、とある法人からの問い合わせだった。

驚いた。「そんなことは日常茶飯事さ」という御仁なら、それがどうしたという話だろうが、私はそんな問い合わせ日常的に受け取っちゃいない。Slideshareには数十スライドを上げてきたが、スライドを上げた直後に友人・知人から連絡をもらうことはあっても、見ず知らずの法人から、しかも教材開発の発注前提で問い合わせが入るなんて、ネット庶民の身にそうそうあることじゃないのだ。

しかし驚いた理由は、それだけじゃない。その問い合わせを受けたのが、まさに自分が翌月から個人事業主としてやっていこうというタイミングだったからだ。それどころか、今後やっていきたいところのドンピシャというか、むしろ私の活動フィールドを拡張してくれるような引き合いであった。

さらには、老舗の教育会社とかではなく、新進気鋭の研究者やAIエンジニアが結集する若き頭脳集団のスタートアップみたいな会社からの問い合わせだった。自分が一生つき合うことがなさそうだった人たちとの接触機会が、こんなタイミングで、ぽとりと落ちてきたのだ。驚かないではいられない。

会社を3月末で辞めることは公けにしていない時期だったし、後のやり取りからしても、向こうさんは一切ご存じなかった。なのに、どういうミラクルだ。神のしわざか、見えざる手のしわざか、AIの引き合わせなのか。これから盛大に私は騙されるのかもしれない。勉強代と思って初っぱな失敗しておけという神のお達しか、それとも真逆のビギナーズラックだろうか。

眉をひそめつつも、私が出す結論は一択である。Webサイトで拝見するかぎり、関われたら面白そうだなぁと思うドンピシャな事業展開をしていて、たとえ騙されても、初っぱな打ち合わせで先方の期待にあわずさらっと撤収されようとも、個人事業主ひよっこの私が今、この話に乗らない手はない。

そんなわけで、先方が私のことを実際より高く見積もっている可能性を十分に懸念しながら初回打ち合わせに臨んだ。後から振り返れば、私はけっこうな時間を割いて冒頭、挨拶もそこそこに、先方が自分を使うリスクについて熱心に話していた…。

もちろん、その会社のサイトを拝見して、自分がすごく関心をもつ領域で事業展開されていること、自分がそれに関わって貢献できたらすごくいいなぁと思っていることも率直に伝えたわけだが、それにあたって私はどういう人間だから、こういう形では役に立てるかもしれないが、こういう形では少なくとも単独では期待に沿えないのではないかと懸念している云々。冒頭何分使ったかわからないが、ひとしきり喋って、それが自己紹介となった。

すると、それが先方にとってはむしろ良かったみたいで、そのまま快く話し合いが展開した。こちらは今後の事業展開をこう考えているから、今回の案件に限らず、こういう組み方ができたら良さそうだとかいうふうに、話が広がっていった。

この案件がどう決着し、どう発展していくかは、これからの話だ。だけど、あのタイミングで受け取った1通のメールが、私の冒険魂をぽっと灯したことに間違いはない。個人でやっていこうと腕まくりした日。あの時期に、あのメールを受け取っていなかったら、今いる自分の場所(を見る私の目)は、もう少しぼんやりしたものだったかもしれない。ひと月を経て振り返って、そう思うのだ。あれは、誕生日の前夜だったな。

これって、いったい全体なんなんだろうな。絶妙なタイミングで届いた1通のメール、これも自然の摂理のうちなのか。「そういうことがあってさ」と、日頃から冒険魂を灯して生きている友人に話したら、「そういうことって、ほんと割りとあるんだよねぇ」と、さらり返ってきて、あぁ冒険している人にはあるんだなぁって思った。

日常の中で、冒険の選択をしていないと、ない世界の住人になっちゃうんだけど、冒険の選択をしていると、ある世界の住人になる。これなんだろうなぁ、クランボルツ博士が提唱する「計画的偶発性理論」(Planned Happenstance Theory)というやつは。キャリアについて若人に話をするとき、これについて紹介することがあるのだけど、自分も実例をもつ人間になれて良かったな。

まぁまぁ、とにかく、冒険に出かけてからの道中は、やっぱり慎重に、浮足立たず、せっせと自分がなすべきこと、できるかぎりの精一杯を、丁寧にやることだ。これに尽きる。この性分をこそ大事にして、コツコツやっていこう。道は、そこに拓くのだろう。

あとあと、やっぱり、インターネットってすごいなぁと改めて感じ入るのだった。何度となく思ってきたけれど、いろんな劇的変化を与えてきたけれど、一介のサラリーマンの脱サラをも、こんなふうに彩ってくれるんだなぁ、インターネットって本当にすごいなぁって、また今回もこうべを垂れた。

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