専門領域をまたいで、個別に役割を創っていく
仕事がおもしろい。お客さんごと、案件ごと、その時々で自分の役どころが七変化するのは刺激的で、向こうから寄せられる期待も、私の役どころをここまでと厳密に規定するふうがない。現場の関わりの中で「こういう役立ち方なのか、なぁ」と、その人に手を当てながら分かっていく感じ。それを良しとしてお客さんが仕事をくれているのも、ありがたい話だ。
企業ごとに法人格としての性格も多様なら、直接関わる人が20代、30代、40代、50代と年代が分かれて幅広いのもおもしろい。もちろん、それぞれに個性があり、その豊かさに触れるのも、また楽しい。そういう個別のやりとりの中で、あぁこういうふうに関わっていったら、この人の、この企業の、こういうところの役に立てるのかなと、きわめて動物的に探り当てていく。自分に何ができるのか、その場を生きながら個別につかんでいく感じが快い。
といって私が有する現場の瞬発力はそんな高くない。その自覚は存分にあるので、案件ごとの予習・復習が欠かせない。呑気に楽しがっていられるばかりでもない。
一つに、若者のプロジェクトリーダーとしての活動を伴走者的にサポートする仕事があるが、こちらで来週までの宿題を出したら、自分でもその宿題をやってみる。翌週それと脳内で照らし合わせるようにして、本人の宿題の成果を聴く。そうすると、相手がどういうところで試行錯誤したかも想像しやすく深掘り質問がしやすいし、こう考えてみるアプローチもあるのではないかという提案も具体性が増す。
これを、そんな下準備なしにその場でできる人もあろうし、私のような稼働の仕方をしては赤字じゃないかという指摘もあろうが、そのご指導はいったんスルーだ。
私の力量だと、こういう下準備あってこそ、その場でのセッションを自由演技できている自覚がもりもりあるので、そこは丁寧にやって臨みたいと思う。
この下準備の活動は、私自身の強化したい能力を鍛え上げる訓練にも働いている実感がある。宿題をやっている若者は、同志のようにも感じられる。たがいに同じ課題に打ち込むことで切磋琢磨している感じ。もちろん、そこで有効な助言や支援ができなければ仕事として責任を果たしていることにはならないわけだが、そこはそこで果たしつつ自分のトレーニングにもなっている一石二鳥なら許されるだろう。依頼主であるプロジェクトオーナーの評によれば、今のところ、それがうまく実現できているようだ。
4〜5月で始動する目の前の案件をどういう時間配分でやっていけるかは、やってみないとわからないところが多分にある。私はまだ自分の力量を細かく把握できていない。なので、単発的なものは除いて、いったん新しい仕事を受けるのはストップ。ありがたく、かたじけない…という思いもありつつ、しばらくは目の前の案件に集中だ。
これ以上に増やすと、それぞれの案件を「今自分がもっている力量でこなす」働き方をしてしまいそうだが、当面そういうやり方は避けたい。それぞれの案件を「今自分がもっている力量を上回る最大出力でやってみて、自分のできることを把握すること、引き上げていくこと、拡張していくこと」に尽力したいと思う。
そうすることで長期的には、自分が引き受けられる仕事の質、量を上げて、幅を広げていけるといいなと思う。
そういう点で、今は小さな発見が日常にある。各案件に当たりながら、自分にはこういう働き方、関わり方、役立ち方もあるのかと、自分のことを知っていく感じ。役割の幅に広がりを感じたり、自分の力量を鍛え上げている感じがあるのが、とても健全なことに思える。
とても小さなことの積み重ねではあるのだけど、そういう実感を得るにつけ、あまり自分の役どころを固定してかかるものじゃないなと思う。専門性云々にこだわらず、領域を固定せずに、一つひとつの案件に対して自分のできることを考え抜いて、領域をまたいで最大出力で活動する、それが本来の仕事のスタンスというものじゃなかろうかと、そんなことを思っている。
先々のキャリアということを考慮しても、実際に自分を市場で働かせてみて、やった仕事のプロセスと結果をレビューしていくサイクルの中でしか、自分の活かしようなんて発展的には見えてこない。へたに規定するのも機会損失でもったいないし、自分がどういう案件に対してどう役立てるのか役立てないのかを、自分自身の振り返りと相手の反応から冷静に評価して次につなげていけたらなって思う今日この頃だ。
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