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2023-03-10

誕生日は父と南房総へ、解釈に彩りを

今年の誕生日は、父と南房総をプチ旅行した。私がペーパードライバーのため、父には電車移動を強いることになるが、まぁ良い運動ということで、てくてく歩いては電車を乗り換えて行く。

今年は春が早く、3月初旬というのに日中ぽかぽかした陽気が続く。南房総ともなると桜も開花して、菜の花も鮮やかな黄色で線路の脇を彩る。青い空には白い靄が薄っすらとかかり、海は陽を浴びてきらきら輝いている。

千葉を越え、木更津を越え、君津駅で乗り換えた先は二両編成の内房線で南下する。車窓から海が見える。単線を走る電車、右からも左からも緑がのびてくる中をゴトゴト走り抜けていく。

空と海を眺めていると「こっちが地球の標準だぞ」と思う。その上に人間の生活が成り立ち、変化を加えているのだと確認する。ナチュラルな状態は何か、足場を見失わないで生きていくことは大事なことだな、と思う。世界と自分それぞれの、足場をしっかり観て、読みまちがえないこと。その答えは人によって違うのだろうが、私には私のそれがあるんだろう。それを大事にすることと、より新しい認識が見えてきたらアップデートすること。

なんて、書くのはたやすいのだけど、見失いがちだし、何が本当かなんて一生不確かだし、これこそが本当だという認識に到達することなどなく退場するのが人の常なんだろう。だから、とりあえず海を観に行こうと思い立つ。体をそこに置いちゃうのが、見失ったそれを取り戻すのに一番確かな方法だ。そして認識をアップデートするには、やるっきゃないんだろう。体動かしてやってみることで、もう一歩先の確かさを得られるだろう。いつまでも、変わらぬまま変わり続けることかぁ。含蓄あるなぁ。

穏やかな日和で、お天気も良くて、旅先で袖触れ合う人とささやかなコミュニケーションをもつのも楽しかったな。海辺でお店をやっている齢六十くらいのお姉さんに、「この辺は西から吹く風が強くって」とか「もっと晴れていると、ここから真正面に富士山が見えてね」とか「私は生まれも育ちもずっとこの町よ」なんて話を聴かせてもらったり。宿の食事処で隣り合わせた老夫婦と、なんとなく会話をシェアしたり。鋸山(のこぎりやま)で木を切っている職人さんたちに、この先の山道の険しさを尋ねた流れから、話に花が咲いておしゃべりしたり。

父のおしゃべりも、1980年代のアジアの話、現役時代の仕事の話とか、面白かったな。そうやって私たちは、いろんなお話を交わして顔をほころばせて関わっていくのだ。

いやはや四十七にして、人生がこんなに活発に、彩り豊かに動き出すなんて思いもしなかったな。機会というのは、自分の想定を超えてやってくる。せいぜい自分ができるのは、私が具体的に想定できる範囲を超えて、それがやってくるという心構えをもっておくこと。やってきたら、その機会をできるだけポジティブに活かすことくらいだ。

「解釈」というプロセスを多様に、幾方向にも育てられるところに人間の面白さがあるのだから、それを活かさぬ手はない。四十七にして、ようやく個として立つ度胸は(足腰はまだだけど)ついてきたのかもしれない。彩り豊かな一年を過ごせますように。

*南房総の旅行写真(Instagram

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