「人間は、よりクリエイティブな仕事を」すぐにはできない罠
AIと言わず、IT化や機械化を標榜してきた時代においても、これによって「人間は、よりクリエイティブな仕事を」できるようになるというポジティブな語り口は、もう何十年と繰り返されて、よく耳にしてきた。「それは、そうだな」と素朴に思わせる背景には、有識者がそう言っているんだからという有識者パワーもあれば、そうあってほしいという我ら庶民の願望も働いてきたんだろう。
しかしGPT-4の登場で「AIが奪うのは、単純労働より知的労働の仕事領域」と言われだし、いよいよ自分が日ごろ無自覚に「常識」とみているものの見方に危うさを覚える今日この頃。この足場がどう崩れていくのかを細心の注意を払って観ていかないと、あるいはそのうちに入って体感的に理解していかないと、日常生活や仕事現場で、ずれた判断、おかしな見立てを平然とやってしまいそうだ。一般人の私ですら、そんな危機感を覚える時代が到来した。
それはそれとして、ITmediaにあったGPT-4の記事を読んでいて、興味をひく掘り下げがあった。前半はまぁいいとして、3ページ目の終わりから4ページ目の中盤にかけて。
ヒエッ! GPT-4がスゴすぎて、「AIで仕事がなくなる」不安がいよいよリアルに(3ページ目)
簡単に言えば、人がクリエイティブな仕事ができるようになるには、その基礎としてルーチンワークに代表される簡単な仕事の積み重ねが必要なんじゃないか?という問いだ。
そういう基礎の経験を積み重ねることで段階的に、独創的なアイデアや深い洞察力が発揮できるよう育まれていくのが、多くの人間の成長プロセスなのでは?とするならば、それをAIが奪ってしまったとき、人はいきなりクリエイティブな仕事を!と言われても無理な話にならんかね、と(ごく一部の優秀な人材を除く)。
私も、そう思うのだ。急にそう言われましても、なのだ。私はかれこれ25年ほど仕事をしてきた中で、「ごく一部の優秀な人材」ではないのに、いろんな現場経験を積み重ねることで、過去自分比でいえば独創的なアイデアや深い洞察力を持つ仕事が段階的にできるようになってきた。なので、それがこれから社会に出てくる若者から奪われてしまうのは、ちょっとちょっと、それ、どうにかなりませんかね!と「待った」をかけたくなってしまうのだ。
あらゆる従来の「下積み経験」が、盲目的に維持されるべきとは思わない。これを機に棚卸しして、省くべきは省き、見直すべきは見直したらいいとは思っている。が、AIで事足りるからといって単純にルーチンワークの一切合切を、職場での人間の経験から削いでしまうと、人間に求めるパフォーマンスを発揮するまでの成長プロセスも同時に、その職場から消えてしまう。長期的に勤める社員の成長プロセスが断絶してしまって、ごく一部の優秀な人材以外、クリエイティブな仕事領域に到達する術を失ってしまうのではないか。そのことについて、少なくとも一考の余地はあるんじゃないかと思う。
わが社は即戦力を中途採用するから知ったこっちゃないと言ったって、各産業に割り当てられる「優秀な人材」「即戦力」には限りがある。ごく一部の人気企業を除けば、人材の取り合いに負けることになるのは必至だ。すでに「いい人がいない」と言って「採用」一本による足踏みが続いているようなら、腹くくって「採用+育成」に負荷分散して必要な人的資本を確保する施策に転じたほうが現実的じゃないか。「どういう人を採用して、どう育成するか」に分けて、求める人物像が社内にそろう仕組みを構築するところに組織手腕が問われるんじゃないかと思う。
これは何もAI化だけでなく、ITツールによる自動化だったり、選択と集中とかアウトソーシングの流れでも過去経験してきたところ。正規雇用した社員がやる仕事や役割というのを、どんどんフォーカス絞りこんでいって「基礎となる仕事」を排除していったために、若手が「段階的にできるようになっていく」仕組みが崩壊してしまった職場は少なくないのでは、と思う。
これまでは何となく現場で自然と経験できていたが、業務が排除されたことで新たに入ってきた若手ができなくなっていることは何かに意識を向けてみる。とはいえ知っておいたほうがいいこと、一度は経験しておくと理解が深まること、業務がスムーズに進められそうなこと。そこに一度目配せしてみる。
どこまで知ってもらうか、実務で数か月やってもらうのか、Off-JTで一度は経験してもらうのか、やったことに対して出来を個別にフィードバックするのか、とにかく経験してもらえればいいのか。業務内容によっても、職場環境によっても、その最適解は千差万別だろう。けれども現場から消えていく仕事経験プロセスを、人材育成の観点でどう残すべきか、どう組み込むべきか、頭をひねる時間は大事なんだと思う。
それすら、私が古びた社会通念にとらわれていると一蹴される日がくるのかもしれない。が、とりあえず今のところ、そういうことを信念のようなものとして心に抱いているのだった。
それにしても、この記事で筆者が「簡単な仕事がAIに代替されるとき、人間は、基礎をどう積み上げれば良いのか」GPT-4に尋ねるくだり、なかなかに読み込んでしまう内容だ。
「どんなライターも最初は、ルーチンワークを積み重ねることでスキルを上げ、独創性をつくっていきます。AIにルーチンワークを奪われると、能力のあるライターの育成そのものが難しくなるのではないでしょうか」
これにGPT-4が雄弁に答えを寄せるのだが、まずどこが人間へのフォロー部分であって、どこが回答なのかを読み分ける力が、読者たる人間には求められる回答になっていることに、ふぃーっとため息。読み手の人間が慎重に読みこむ力を使わないと、言いくるめられて終わってしまいそうでもある。例えば、回答の中のこれ。
「AIがルーチンワークを担うことで、ライターはより独創的なアイデアや深い洞察力を持つ作品に集中できるようになるとも言える」
この部分は「問いに対する答え」ではなく、それに入る前の「人間へのフォロー」であって前置きに過ぎない。これを問いの答えとして読むとダメダメAIということになるが、人間へのフォローを前置きしているとみれば、よくできたAIだという評価に変わるわけだ。
AIはそこまで来ているんですと、これは褒められるべき成長なわけだろうが、人間が複雑な意図を読み解いてAIの回答を読む必要も高まっている、そんなことを思った。あるいは、表層的に読み取る人にも、重層的に読み取る人にも満足してもらえる階層性をそなえた回答を出力できるようになったという見方もできるのかもしれない。
閑話休題。この後に続く4箇条が「問いに対する答え」ということなんだろうが、4つの育成方法のうち「ルーチンワークを通じて基礎スキルを磨く」方法として答えになっているのは実質「1.教育と研修」だけと思われた。
回答にして3行の文章。なのだが、ここをどうやっていくのか、そこを掘り下げるところこそ、私がやりたい仕事であった。だとすれば、AI頭脳が3行で明晰に示すそれを、各現場で実現するフィールドに、人間の独創的な企てやら、試行、実践が求められてくる、一定の労働市場が見いだせるようにも思う。
包括的に、明晰に、全体の指針やら道筋やらを示す役割は、AIでも有識者でも、それに強い頭脳に任せたほうが事がスムーズに運ぶ。それを現場、現場で、実際問題どうするのかっていうところが、まだ全然うまくいけていない。そこで各現場にあった施策を企てて成果を出していく仕事を私はやっていきたいし、私ができることも見いだせる。
それは私に限らず多くの、ごくごく一般的な人間に求められていく、そしてやっていて楽しい、やりがいを感じられる仕事領域なんじゃないかなぁと思いを馳せる。それは従来の仕事概念に限定せず、社会的な活動、社会的な役割を果たすという広義な意味での仕事をイメージして言っているのだけど。
あとはやっぱり、職業倫理というものが今まで以上に、人間にゆだねられるものとして存在感を増していくのかなぁという気がしている。まとまりない話のメモでありました。
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