1日に10時間しゃべった日
コロナ禍ど真ん中期は、ほとんど口を開かない日が何日も続いて、たまに人と話す機会をもつと30分くらいで声がかすれてくる症状が、まま自覚されたが、最近は声がもつ。
先日、珍しく人と話す予定が3つ入っている日があって最後まで声がもつか危ぶまれたが、心配無用だった。
昼、夕、夜と来て、3つ目の予定も話に夢中になっているうち夜が更けていき、結局ひと所で4時間半ほど話しこんでいたが、最後まで声帯がもった。
今日はよくしゃべったなぁと帰り道に足し算してみたら、その日一日であわせて10時間しゃべっていて、わが声帯、完全復活ではないかと安堵した。
あいかわらず身辺さわがしく、日々いろんな新情報が舞い込んできては心が揺れたり、頭の中の認識が塗り変わったり、アイデアやら意見やら、判断やらがボコボコと出たり引っ込んだり。ただ、そういう波乗りの中で人との交流も増えていて、そこで得られる活力にも感じ入る日々。
人と話すことは私にとって、大いなる活力源であることを再認識。私、人と話すのが好きなのだ。人の話を聴くのが好きなのだった。自分の頭の中がふわぁって広がっていって、相手が話している中身と様子とから、自分の中にいろんな考えや思いが生まれていくのが楽しいし、面白いし、いろんな発見があるし、いろんな企ての発想を呼ぶし、元気をもらえるし、心が豊かになっていく。
その場では、相手のいう意見に、それは違うんだよなと早計に返してしまったことも、その後一人になってから、いやちょっと待てよ、本当に違うのかな、自分にはこういう面もあるのではないかとか、もう一度自問してみる機会を得たりして。こういうのも自分ひとりじゃ辿れないプロセスであって、ありがたいことだなぁと感謝する。
私は、そういうのが好きで、尊いなと思う、そういう人間だったよな、そうだった、そうだったって、なんかシンプルに自分のことについて再確認する機会を得ている。この自己認識は今度こそ手放さず、そして今こそ大事にしなきゃな。自覚してなきゃ手放してしまう。意識して使わなきゃ衰えてしまう。きっと、本来を再生させる頃合いなのだ。私が生きるって、こういうことだ。
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