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2023-01-18

クラフツマンシップの伝承は、いかに成せるか

テキスト:分けられないものを明確に分けた途端に消えるものを魂という

昨年の夏頃だったか、「クラフツマンシップ」という言葉を知った。生物学者の福岡伸一さんが著したエッセイ(*1)に出てきたのだが、日本語でいうと職人魂(しょくにんだましい)みたいなもんだろうか。「魂」だけだと精神的なものによった印象なのが「職人」と付くと、なんだか心技体をしたがえた感じ。肌合いが良くて、以来なんとなく脳裏にずっと引っかかっていた。

それから数か月を経て、あぁそうか、私は「クラフツマンシップの伝承」をサポートしたいのかもな、と思い当たった。

私は長くクリエイティブ職向けの研修サービスを仕事にしてきたが、「クリエイティブ職向け」というのが割りと肝で、これを取り去って全業種対応のリーダーシップ開発とか仕事基礎力とか汎用的な研修テーマを扱う仕事には、まるで食指が動かなかった。そちらに軸足を置いたほうが市場は大きいし、人材開発を専門的に指導してもらえる諸先輩がたとの出会いも多くあろうが、そういうのを扱う研修会社に転職したいという気はどうにもわいてこなかった。

より正確に言うと「職種」には何のこだわりもないのだが、「作り手」「作る会社」「作る仕事」を人材開発面から支援する道を大事にしたいという思いが強い(そこが原点なので、その理由は?と問われても困るのだが)。そこに「クラフツマンシップ」というコンセプトをみることができるのかもしれない、そんなことを年末に思ったのだった。

ひとまとまりの「何か作る」という職人的な技能を教えようというときに、まず思いつくアプローチは、作る過程をいくつかの工程に分割して(例えば調査・分析に始まり、企画・設計、制作・開発とたどるような)、工程ごとの具体的な仕事、役割、必要な能力など洗い出し、それを身につけるにはどうしたらいいかを考案して、それを学習プランに展開すると、そういうところかと思う。

が、この職務分析の過程で、できるだけ小さい単位に、網羅的に、その職業を成り立たせる構成要素を解体できればできただけ、その学びは成功確率を高め、学習は能率化されるのか。解体した要素を段階的に、全部身につけ終えたら、その人はいっぱしの専門家になれるのか。その道筋は学習プランとして、職業的な育成プロセスとして、本当に最適で健全で現実解と胸張って言えるのか。

そういうことを考えると、どうも机上の空論のような浅はかさを感じてしまうのだ。なんというかな、「人間なめてんのか?」みたいな気がどうしても、むくむくわいてきてしまう。

これを、まだ全然、明晰な言葉でしゅばっと人に伝えられるレベルに整理できていない。ただ、このむくむくの背後でどっしり構えて、じっと静かにこちらを見据えているのが、河合隼雄さんの遺した、この言葉だ(*2)。

分けられないものを明確に分けた途端に消えるものを魂という

ビジネス場面でいう「調査・分析」工程では、できるだけ精緻に網羅的に、それを把握して言語化するということを目指しがち。けれど、そうした解体作業の途中で、うまく言葉にはできない、工程と工程と間をつないでいる不可視のもの、背景にあって像を結び統合しているものを言葉にし損ね、認識し損ねて、取りこぼしてしまうものがあるんじゃないか。そのことに対して、もう少し慎重にあたらなくてはならないんじゃないかと思う。

人材育成のやり方も、ある職務の「能力開発」で枠組みせず、人の人生に通じる「キャリア開発」の文脈も併せ持ってみると、ちょっとアプローチが変わって見えてくるかもしれない。パーツパーツの作業なり専門能力は習得させられても、クラフツマンシップの継承がうまく成せるかは、また別の視点が必要になりそう。

そういう奥行きをもって、何を継承すべきなのか、何は安易に継承しようなどと考えず個々のものとして独立・断絶すべきなのか、継承したいことを伝授するのにそのままパーツパーツを教え込むことが本当に最適解なのかどうか、そういうことに高解像度で取り組んでいく仕事ができたらいいのかもしれないなぁと思うのだが。ともかく、もう少し人に伝わるレベルで頭の中を整理しないといけない。

*1: 福岡伸一「ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで」(文春文庫)
*2: 小川洋子・河合隼雄「生きるとは、自分の物語をつくること」(新潮文庫)

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