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2022-12-24

潮騒に耳すませて砂浜に立つ年暮れ

ふた月ほど前から、わぁ5年ぶりですか!とか、10年ぶりくらいかなぁとか、まさかの20年ぶり⁈とか、その時間の流れっぷりに唖然としてしまうような再会が立て続けにあった。どれも、ひょんなことをきっかけにしていて、私はそのご相伴にあずかっただけなのだが、あちらとこちらを引き合わせる役得で私もちゃっかり元気をもらって大変にありがたかった。

そんなこともあって11月あたりから、なんとなく世の中のみんなが平常の動きを取り戻しつつあるのかも?という肌感覚をもちだした。

これまでも、コロナ陽性者の数が減る傾向をとらえては人が「今のうちに」というよそおいで街に出て人と会う様子は、その都度感じてきた。陽性者数が増加に転じたときであっても、この一年くらいは人と会ったりイベントに出向いたりするのを自粛することなく、できるだけ普通に暮らす方針をとる人が少なくない様子だった。

が、今回の私の肌感覚は、それと趣きを異にする。このあとに陽性者数が増える冬場を迎えようとも逆戻りする気はなく、コロナ禍の「終息」とはいかぬものの「収束」ステージに移行する構えを、巷(ちまた)のみんなが冷静にとりだした、というような空気感。

あくまで東京に住む私の、ごく個人的な肌感覚にすぎないし、多分に「そうあってほしい」という積年の希望がつまっているわけだが。

世の中ほんとうに落ち着くことなく様々な問題が起きているので、コロナ禍が明けたとて「穏やかな日常が戻ってきました」とは言えない状況が続くのだけど、一つでも難しい局面を脱出できるなら、それは良きことだ。

そんな年の暮れなのだが、自分の身辺はたいそうざわざわしていて、足場はがたがたしている。混沌というやつだ。思えばしばらく、凪いだ状態に身を任せすぎたのかもしれない。低空飛行ながら、どうにか健やかに日々を送ることに成功し、それに甘んじていたところがある。

住む家があり、仕事がある。暖を取れて、食に困らず、あたたかい布団で眠れている。自分の足で道を歩き、のたのたながらジョギングもできて、空を見上げ、月を眺め、大木の下を駆ける。のんびり水の中を泳ぎ、本を読み、音楽を聴き、ラジオに笑う。ときおり人と話す機会にも恵まれている。これ以上何を望むことがあろうか、もうそれで十分ではないかというふうに暮らしていた。

しかし、凪いだ状態は続かない。自然というのは、そういうものだ。私もそういう自然界に生きている人間のひとつだった。自然の摂理には従わざるをえない。さて、この潮騒に耳をすませ、砂浜に立ち、足の裏で砂がくずれゆく感覚に、どう打って出るか。「たつ」に当てる漢字は、立つ、経つ、断つ、発つ、いろいろあるんだなぁと眺めながら、自分の来年の活動指針を探っている。

来年は卯(うさぎ)年だが、私は辰(たつ)年なのだ。12年ぶり4回目の辰年がやってくる前に一波乱ありそうな2023年。波打ち際に立って2022年の暮れを迎えている。

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