リテラシーは皆に、専門スキルは要所に
編集したり、設計したり、デザインしたりする人というのは、概念世界と現実世界の架け橋のような役割を果たしているイメージをもっている。
もう少し言葉をくだくと、方々に散らばったたくさんの素材を元手にして、考えやアイデアを発散し(あるいは人から発散させて)、多様な論点を束ねて骨太な指針にとりまとめ、これに関わる多様な人々をグリップするコンセプトを明示して、きちんと輪郭をもった形に落とし込むプロセスをリードする役割という感じ。
デザインプロセスモデルでいうと「ダブル・ダイヤモンドを地でいく人」というのか、心臓が心房と心室の膨張と収縮を繰り返すように、日常的に考えやアイデアの発散と収束を繰り返して現場をリードしている人が、その職責を高いレベルで果たしているように思われる。
大なり小なり、人はこういう頭の動かし方(発散と収束)をしていると思うが、これを自分単体ではなく、バラエティ豊かないろんな人を巻き込んでリードできるかが、職場ではプロフェッショナルな仕事として求められるところだろうと思う。
どの範囲・階層で、何の媒体・道具を取り扱うかで求められる専門性が異なるため、◯◯編集者とか◯◯設計士とか◯◯デザイナーとか、その専門範囲を掲げて(しぼって)名乗る人が多いのではないか。
そういうイメージのもと、少し前から疑問に思っているのは「そういう人って、そんなに頭数(あたまかず)いるのかなぁ」ということだ。ある方針をもって束ねる人がひと所にたくさんいると、かえって話がまとまらなくなって、「船頭多くして船山に上る」ようなことにならないのかしらと思うのだ。
こういう話は、だいたい「程度の問題」なので、間はグラデーションになっていて、どっち側にも転がしようがある論といってしまえば、それまでなのだが。「ひと所」だってそれぞれの環境やら文脈やらに随分と依存した物言いで、どの範囲をもって「ひと所」をなすのか見解は分かれよう。
なのだが、世の中が「全員が経営者視点をもってだな」とか「全員がデザイン思考でものを考えてだな」とかいうのに傾倒して、流行り病のように蔓延してくると、逆のポジションをとってもの言いたくなるのが天邪鬼というものである(中庸とみてもらえればありがたい)。
そういうわけで、編集したり、設計したり、デザインしたりする仕事は、全員が果たすべき役割だとか、全員がもつべき職能なんだとかいうのがあまり短絡的に強調されると、ちょっと反論を述べたくなってしまう。
これも手先が器用か不器用かと同じで、苦手な人もいれば、適性にそぐわぬ人もいる類いのものだろう。
それを、ものすごい苦手な人に対して度を越して高いレベルで求めたり、その人がそれを高いレベルで身につけた気になって乱暴に方々で使われると、わりと困る現場も多いのではないかと思う。
それよりも、それが得意な人、適性に合う人の専業として、ある程度の分別をもって専門職と割り切って扱ったほうが、組織も社会もうまいこと話がまとまるんじゃないかなぁ、それが現実解というものではないかと、そう思うことが少なくない。
頭数(あたまかず)ということでいうと、むしろ「たくさんの素材を元手にして」という部分にこそ人数とバラエティが必要で、いろんな現場で働く人、いろんなデータ・情報をもつ人がたくさんいる、一方でそれを束ねる人はひと所に1〜2人という構成のほうが、プロジェクトは健全に働くのではないかと。
そのほうが、編集したり、設計したり、デザインしたりする人も要所要所でいい仕事ができるし、組織集団としても洗練されたアウトプットを導けるのではないか。ときどき、そういうことを思うのだ。漠然とした話でしかないのだが。
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ご無沙汰です。この記事ですが同意します。やたら、なんとかマネージャーというのが最近は多くて、しかも20代とかなんですよね。20代で優秀な方もいるとはおもいますが。
そんなにチームにマネージャーって必要なんでしょうか。
投稿: 菊池聡 | 2022-12-12 21:35
ご無沙汰しています!コメントありがとうございます。読解困難な文章を読み砕いてくださって感謝です。
私が上に書いたのは専門職能とリテラシーの分別についてでしたが、ご懸念の点には共通の背景や思いも感じつつ拝読しました。役職やゼネラリストの能力も、そのラベリングや言葉の扱いが氾濫ぎみに感じています。
市場性が高い「能力」というのは、そりゃあ全員が十分に持っていたら、それに越したことはないのかもしれませんが、現実問題そんなにたやすく実現できる環境はありません。だからこそチームを組むし、だからこそ職業を分けて採用・配置・育成・処遇する必要があるわけで、その言葉の区分けが雑になってしまうと、採用も育成もうまくいきませんし、外部とのパートナーシップも受発注もうまく運びません。
業界コミュニティや、会社をまたいだSNS上での会話も、一つの言葉を別の意味で使っているので建設的に展開しづらくなり、せっかくの議論も一向に深まらずな行き詰まり感を覚えることが少なくありません。
役職という言葉を、職種と混同して使っているケースも見かけますし、相当ベーシックなところから言葉の意味がかみ合っていない言葉が交わされて会話として成立していふうなやりとりが続いている気もします。でも言葉って多かれ少なかれそういうものでもあり、変化激しい業界では致し方ない環境なのかもしれません。
それを前提として慎重に認識合わせをしていくのを基本的なコミュニケーションの入り口にするよう心がけるほかないのかも。
ここに書き表せるレベルで、まだまだ考えを整理できていないことばかりなのですが、すごくいろんなことを考えるきっかけをいただきました。ありがとうございます。
投稿: hysmrk | 2022-12-13 09:20