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2022-12-28

仕事とキャリアと人生と、ぼやけた輪郭を記述する

年の瀬も押し迫ったところで、自分が今後なにを仕事にしていきたいかをシンプルに整理する機会があった。これは、私においては「残りの人生をどう生きたものか」に直結する問いになった。

人生のなかで私は「仕事する」という活動を大事なところに位置づけている。それが「私」の自然だということなら、そういう自分を生かすのが良かろうと思う。

また「今後のこと」を考えようとすると、「残りの人生で」という言葉がおのずと脳内に立ち上がってくる。それも、この歳になった「今の私」の自然ということなら、そういう現象を生かしてもの考えるのが良かろう。

「残りの人生で」を立ち上がらせているのは、おそらく私の中の長老キャラだ。時間の有限性を意識しないことには具体的なプランなど展開しえないぞ、うだうだしている間に終わってしまうぞ!と釘を刺している。

私の中にはいろんな小人が生息していて、頭をかきながら「へぇ、へぇ」と長老の話を聞いている小僧キャラもいるし、そういう脳内劇場を舞台袖からも、客席からも眺めている何某キャラがいる。

果たして何人の小人が生息しているのか、自分にもわかっていない。たぶん生きているうちに小人キャラは増えていくものなんだろう。

そんなことはさておき「残りの人生で何を仕事にしていきたいか」である。それについて思い巡らせていたところ、シンプルに考えてみることが大事だよなと、シンプルに思うに至った。

ふいに橘川幸夫さんがお話ししている動画を観たくなって視聴。それで思ったことなのだけど、私が橘川さんのお話にうんうんと頷いたのを3つ並べると、こういうことだ。


  1. 人の本質は変わらないと思ってるのよ
  2. 人間はそんなに器用じゃない。一生涯の中で自分の本質が入れ替わるほど器用な作りじゃない
  3. だから、その変わらない自分の本質というのを、きちんと大事にしたらいいんじゃないか

一度観て、私が独自解釈でメモったものなので、橘川さんからすると、んなこたぁ言っていないぞ、そんなまとめ方したら誤解されるじゃないかと、やきもきすること請け合いの乱文なのだけど、とりあえずこのまま、私が聴いた話、受け止めた解釈、考えたことを書き続けてしまう。

3つ目の「きちんと大事にする」が一筋縄ではいかない。普通に生きていると、いろんな日常の出来事や人間関係、特定の環境に身を置いて時間を過ごすことになり、そのうち自分が何を求めているかを忘れてしまう。自分が何を欲しくて、自分が何者なのかを忘れてしまう、見えなくなっちゃうという話。

インタビュアが、新しいものに触れ、誰かに影響を受けて、自分の核たるものが変わるということもあるんじゃないか?と問うのに対しては、ものの見方が変わったり行動を起こしたりということはあるかもしれないが、自分の本質が変わるわけじゃないと思うんだよねと返す。

たとえば誰かの話を聴いたとき、自分の変わらぬ本質に共鳴するところがあって、自分が理解して受け止められる範囲にあるからこそ相手の知識に学んだり刺激を受けるわけで、自分が理解できない域で影響を受けたりしないんじゃないかと。

この話に共鳴して納得する自分を、舞台の客席から見て思うに(さっきの脳内小人の一味だ)、いま自分が橘川さんの話を聞いて、自分が理解できるかぎりにおいて、ここに書きとめたように独自解釈して受け止めている、このことこそがこの話を体現しているように思われて、このメタ構造みたいな様に独り合点してしまった。

とにもかくにも、そんなわけで、自分がシンプルに思うところを別のところで手元のメモに書き連ねてみたりして、自分の変わらぬ本質みたいなものを今改めて手探りし、握りなおそうとしている今日この頃。

書き連ねる言葉から「自分って、こういう人間だよなぁ」という輪郭が、なんとなく認められるような、まだ言葉も冗長で、輪郭線がはっきりしていないような。そして何より、その本質をどう社会に接続していいかが、まだ全然はっきりしていないわけだけど。でもそれは、出してみないことにはわからない。市場にさらしてみないことにはどうとも判断つかない。

こういう「仕事とキャリアと人生と」みたいな話題は、酒と泪と男と女のように、うさんくさく見えて遠のけたい時期もあれば、それこそが大事だと思う時期もあり、それこそが健全とも思う事柄だ。

キャリアデザインは一時期のもの。ずっとデザインに時間を当てていても仕方なくて、キャリアドリフト期と称して漂流するがごとく、自分が今いる環境に身をさらして、そこでプレイしている時期こそが、メインの人生時間だと思っている。そういう意味では今は私にとって、いっときのキャリアデザイン期が巡ってきたということかもしれない。うさんくさく遠のけず、大事に思って考えよう。

上に述べたとおり、ここに書いた橘川さんのお話のくだりは、あくまで私の個人的解釈を言葉にしているものなので、きちんと聴きたいなぁという方は、ぜひ動画を直接どうぞ。それこそ橘川さんのお話は解釈多様性に富んだお話なので、人それぞれで私の受け止めとは全然違うことを考えたり受け止めたりするんだろうなと思います。新宿の父「タカミー編」|橘川幸夫さん(株式会社デジタルメディア研究所所長)のnoteにて。

2022-12-24

潮騒に耳すませて砂浜に立つ年暮れ

ふた月ほど前から、わぁ5年ぶりですか!とか、10年ぶりくらいかなぁとか、まさかの20年ぶり⁈とか、その時間の流れっぷりに唖然としてしまうような再会が立て続けにあった。どれも、ひょんなことをきっかけにしていて、私はそのご相伴にあずかっただけなのだが、あちらとこちらを引き合わせる役得で私もちゃっかり元気をもらって大変にありがたかった。

そんなこともあって11月あたりから、なんとなく世の中のみんなが平常の動きを取り戻しつつあるのかも?という肌感覚をもちだした。

これまでも、コロナ陽性者の数が減る傾向をとらえては人が「今のうちに」というよそおいで街に出て人と会う様子は、その都度感じてきた。陽性者数が増加に転じたときであっても、この一年くらいは人と会ったりイベントに出向いたりするのを自粛することなく、できるだけ普通に暮らす方針をとる人が少なくない様子だった。

が、今回の私の肌感覚は、それと趣きを異にする。このあとに陽性者数が増える冬場を迎えようとも逆戻りする気はなく、コロナ禍の「終息」とはいかぬものの「収束」ステージに移行する構えを、巷(ちまた)のみんなが冷静にとりだした、というような空気感。

あくまで東京に住む私の、ごく個人的な肌感覚にすぎないし、多分に「そうあってほしい」という積年の希望がつまっているわけだが。

世の中ほんとうに落ち着くことなく様々な問題が起きているので、コロナ禍が明けたとて「穏やかな日常が戻ってきました」とは言えない状況が続くのだけど、一つでも難しい局面を脱出できるなら、それは良きことだ。

そんな年の暮れなのだが、自分の身辺はたいそうざわざわしていて、足場はがたがたしている。混沌というやつだ。思えばしばらく、凪いだ状態に身を任せすぎたのかもしれない。低空飛行ながら、どうにか健やかに日々を送ることに成功し、それに甘んじていたところがある。

住む家があり、仕事がある。暖を取れて、食に困らず、あたたかい布団で眠れている。自分の足で道を歩き、のたのたながらジョギングもできて、空を見上げ、月を眺め、大木の下を駆ける。のんびり水の中を泳ぎ、本を読み、音楽を聴き、ラジオに笑う。ときおり人と話す機会にも恵まれている。これ以上何を望むことがあろうか、もうそれで十分ではないかというふうに暮らしていた。

しかし、凪いだ状態は続かない。自然というのは、そういうものだ。私もそういう自然界に生きている人間のひとつだった。自然の摂理には従わざるをえない。さて、この潮騒に耳をすませ、砂浜に立ち、足の裏で砂がくずれゆく感覚に、どう打って出るか。「たつ」に当てる漢字は、立つ、経つ、断つ、発つ、いろいろあるんだなぁと眺めながら、自分の来年の活動指針を探っている。

来年は卯(うさぎ)年だが、私は辰(たつ)年なのだ。12年ぶり4回目の辰年がやってくる前に一波乱ありそうな2023年。波打ち際に立って2022年の暮れを迎えている。

2022-12-22

「Web系キャリア探訪」第46回、自然体は多面性をもつ

インタビュアを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第46回が公開されました。今回は「絵を描くのが好きで」から始まるサントリーシステムテクノロジーの石川けいさんを取材しました。

「SEOとGAなら会社で一番詳しい人になる!」イラストレーターからWebのスペシャリストに転身

中3のときにマンガ雑誌に入賞して…というエピソードに度肝を抜かれる形でスタートした取材。ものすごく面白くて、前のめりながらお話を伺いました。

Webデザイナーとかの「職種」、正社員とかの「雇用形態」といったものよりも、そこで「何の仕事をし、何の専門性を発揮し、何を自分の役割として貢献し、自分は何のために働くか」という中身に重心が置かれていて、そこに立脚したキャリアデザインが自然体でなされてきた印象をもちました。

「なんとなく入社した」という新卒時の思い出話も出れば、自ら率先して選んできた軌跡もたくさん。緩急剛柔というのか芯が強いなぁと感服するエピソードの後には、「いや、気が小さくて」と苦笑する顔も覗かせる。短い取材時間のなかでも、実に多面的なお人柄をうかがえたなぁという帰り道。

「この人はこういう人だ」という固定的なキャラクターに定まらず、おそらくはご自身でもそう定めようとすることなく、自分が望むものを大事に、どちらでもいいものは柔軟に、自分の堅いところ柔らかいところを自然体で織り交ぜて自分を生かしていっている、だからいろんな顔が自然と初対面の私にすら感じとれる、そんな快さを(勝手にですが…)覚えました。

社内で、飲食店様向けの営業担当をしていた方がWEB担当部署に異動してこられて、その方との出会いが、ご自身の内的キャリア軸をつかむ転機となり、その後のキャリアを力強く育んでいかれる様子も、たいへん興味深く伺いました。育んでいくのは期間を要す「線」なんだけど、その転機は(後から振り返れば)「点」というべき、いっときの出来事だったりすることがあって、人生おもしろいよなって思います。

日々のことを着実にやっていく取り組みを大事にしながらも、お話の節々に「中期」「長期」的な指針をなすお考えが述べられていて、それに基づく実験と実践と、新しいチャレンジが詰まっている、自分の納得いく歩みを選んで舵取りしておられるなぁと感服。お時間のあるときに、ぜひご一読いただければ幸いです。

2022-12-11

リテラシーは皆に、専門スキルは要所に

編集したり、設計したり、デザインしたりする人というのは、概念世界と現実世界の架け橋のような役割を果たしているイメージをもっている。

もう少し言葉をくだくと、方々に散らばったたくさんの素材を元手にして、考えやアイデアを発散し(あるいは人から発散させて)、多様な論点を束ねて骨太な指針にとりまとめ、これに関わる多様な人々をグリップするコンセプトを明示して、きちんと輪郭をもった形に落とし込むプロセスをリードする役割という感じ。

デザインプロセスモデルでいうと「ダブル・ダイヤモンドを地でいく人」というのか、心臓が心房と心室の膨張と収縮を繰り返すように、日常的に考えやアイデアの発散と収束を繰り返して現場をリードしている人が、その職責を高いレベルで果たしているように思われる。

Doublediamond

大なり小なり、人はこういう頭の動かし方(発散と収束)をしていると思うが、これを自分単体ではなく、バラエティ豊かないろんな人を巻き込んでリードできるかが、職場ではプロフェッショナルな仕事として求められるところだろうと思う。

どの範囲・階層で、何の媒体・道具を取り扱うかで求められる専門性が異なるため、◯◯編集者とか◯◯設計士とか◯◯デザイナーとか、その専門範囲を掲げて(しぼって)名乗る人が多いのではないか。

そういうイメージのもと、少し前から疑問に思っているのは「そういう人って、そんなに頭数(あたまかず)いるのかなぁ」ということだ。ある方針をもって束ねる人がひと所にたくさんいると、かえって話がまとまらなくなって、「船頭多くして船山に上る」ようなことにならないのかしらと思うのだ。

こういう話は、だいたい「程度の問題」なので、間はグラデーションになっていて、どっち側にも転がしようがある論といってしまえば、それまでなのだが。「ひと所」だってそれぞれの環境やら文脈やらに随分と依存した物言いで、どの範囲をもって「ひと所」をなすのか見解は分かれよう。

なのだが、世の中が「全員が経営者視点をもってだな」とか「全員がデザイン思考でものを考えてだな」とかいうのに傾倒して、流行り病のように蔓延してくると、逆のポジションをとってもの言いたくなるのが天邪鬼というものである(中庸とみてもらえればありがたい)。

そういうわけで、編集したり、設計したり、デザインしたりする仕事は、全員が果たすべき役割だとか、全員がもつべき職能なんだとかいうのがあまり短絡的に強調されると、ちょっと反論を述べたくなってしまう。

これも手先が器用か不器用かと同じで、苦手な人もいれば、適性にそぐわぬ人もいる類いのものだろう。

それを、ものすごい苦手な人に対して度を越して高いレベルで求めたり、その人がそれを高いレベルで身につけた気になって乱暴に方々で使われると、わりと困る現場も多いのではないかと思う。

それよりも、それが得意な人、適性に合う人の専業として、ある程度の分別をもって専門職と割り切って扱ったほうが、組織も社会もうまいこと話がまとまるんじゃないかなぁ、それが現実解というものではないかと、そう思うことが少なくない。

頭数(あたまかず)ということでいうと、むしろ「たくさんの素材を元手にして」という部分にこそ人数とバラエティが必要で、いろんな現場で働く人、いろんなデータ・情報をもつ人がたくさんいる、一方でそれを束ねる人はひと所に1〜2人という構成のほうが、プロジェクトは健全に働くのではないかと。

そのほうが、編集したり、設計したり、デザインしたりする人も要所要所でいい仕事ができるし、組織集団としても洗練されたアウトプットを導けるのではないか。ときどき、そういうことを思うのだ。漠然とした話でしかないのだが。

2022-12-10

父と母の結婚式会場を訪ねる

今年のゴールデンウィークのことだ。妹が久しぶりに帰省したので、レンタカーを借りて父と3人で都内へ出かけた。ドライバーは妹、ペーパードライバーの私は助手席、父は後部座席に陣取った。気持ちよい青空のもと高速道路に乗って久しぶりのドライブを楽しみ、目的地近くで首都高を降りると、都心のビル群に迎えられた。

ここで結婚したんだ。

帝国ホテルを目指して私と妹が、あそこから入るんじゃないか、こっちからは曲がれないんじゃないかとごちゃごちゃ言っていると後ろから、父の声がした。

いま通り過ぎた学士会館で、母と結婚式を挙げたんだという。へぇ!それは初耳だねぇと言って振り返るも、車なのであっという間に通り過ぎてしまった。

それでずっと、なにかのタイミングで父と一緒に学士会館を訪ねよう、館の中に入ってみようと時機をうかがっていたのだが、それが今日叶った。今年の父の誕生日会に、学士会館の中のレストランを手配したのだ。

考えてみると、父と母が結婚してちょうど50年(くらい)の節目でもある。自分が結婚式を挙げた場所に半世紀おいて再び訪れるというのがどんな気分なのか私には到底わかりようもないが、それなりに味わい深いものなのではないか。

そんな期待を胸に先日、父に電話をかけて食事会の場所を伝えると、改めて「俺はそこで結婚したんだ」と父は即答で返した。そうそう、そう言っていたから再訪してみるのもいいかなと思って。そう私が言うと、電話ごしに少しそわそわしたような気配を感じた。

このときは、都内の駅で待ち合わせて一緒に建物まで向かおうと話して電話をきったのだが、前日に父が電話をかけてきて、やっぱり一人で学士会館まで行ってみると言う。

近くを一人で歩いて時間を過ごしたいのかもしれない、亡き母との思い出もいろいろあろうかと思い、そう、じゃあ現地集合で、と応じた。

外で待ち合わせるとき、父はたいてい、だいぶ早くに到着して連絡をよこすのだが、今回は一向に連絡は入らず、待ち合わせ時刻の少し前に建物前で顔をあわせた。

「学士会館」と書かれた建物入り口で、父にひとり立ってもらって記念撮影をした。カメラごしに、母を連れて来られたら、よかったなぁと思った。

レストランの中に入っていくと、兄がすでに着いていて奥の席に腰をおろしていた。室内はとても品のあるしつらえで、おもてなしにも温かみがあり、ごちそうもワインも堪能。3人でゆっくりのんびりとおしゃべりをして、とても豊かな時間を過ごした。

父も、ここを訪れたのは結婚式以来とのことで実に50年ぶり。昨日は、昔のアルバムをめくって結婚式のときの写真を何枚か見てきたと言っていた。

学士会館は、自分が生まれるより、父が生まれるより前、1928年に建てられた歴史ある建造物。なんだろうな、この館の中で、長い歴史に包まれるようにして過ごす特有の安らかさ。こうした建物が大事に残されていることに、ありがたさを感じる。父も兄も終始ごきげんで嬉しかった。

※Instagramの写真

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