ロジックだけでは、物語は成らず
大江健三郎の「人生の親戚」を読んで一番うなったところは、僕(作家のKさん)のところに、「まり恵さんの生涯を映画にしたい、ついてはKさんにシナリオの土台になる作品を書いてもらいたい」と相談が持ち込まれるシーンだ。これを受け止める僕の思いがつづられる文章にふれては、文学とは、作家とは、「自分を再建する」手立てを企てて提案してくれる仕事をなしているのだなと思い耽る作品だった。
若者3人組は、子ども二人を自殺で失ったまり恵さんの悲惨な体験を把握し、映画にすべくシナリオのプロットにまとめる。しかし、彼女の身に起こった出来事の筋書きだけは辿れても、彼らはそこで行きづまってしまう。
つまり、あの人が内面でどんな破壊をこうむっているか、それがよくわかっていないわけです。もっとわかりにくいのは、あんなにひどいことを経験した後で、どのように生活を再建できるものか、ということですね。生活というより、もっと基本的に、自分を再建する、ということができるか……
スクリーンでいえば、その先がずっと白いまま。「すこし年をとったまり恵さんが、穏やかに暮すというラスト・シーンは考えていますけど、そこへつなぐことができない」と、若者らはKさんに話す。
そこから、自分を再建する道筋を、どう見出すのか。
それにはどうしても、正確な事実の把握、ロジカルな筋立てだけでは突破できない物語の力が求められる。「正しく、筋が通っている」だけでは素材が足りない。物語に突破力をもたらすには、アイデアや着想のような構成要素が必要だ。それをして、きちんと物語の節に乗せて不協和を感じさせない手腕も必要で、そういうことをして物語を構成し、練り上げて成り立たせ、読者に「自分を再建する」手立てを提示しているのが文学であって、作家の仕事というやつなのかもと一人合点して、私はふむーと、うなった。
悲しみに暮れる、行き先が見出せない、宙ぶらりんのままの心に、別の視点を持ち込み、新たな着想やアイデアを提示し、了解し得ないと思い込んでいたものをなんとか了解して立ち上がらせる手立てとなるもの。
「僕」(Kさん)は、こう記している。
フィルムの編集段階から直接参加して、そこに物語を作り出し・言葉をあたえるのが僕の役目である
私たちは日々、いろんな物事に出くわし、気にかけたり気にかけなかったり、ある面を注視して、ある面を無視したり軽視したり、何かを気に病んで引きずり続けたりしているけれども、無数ともいえる多面体の物事やら出来事の何に光をあてて、それをどのように了解して自分の中に正面から迎え入れて、自分を再建していくことができるか。そこの手立てを豊かにしてくれる文学は、作家は、私にとってずっと心強い存在だ。
*大江健三郎「人生の親戚」(新潮社)
« 「Web系キャリア探訪」第44回、転職コンサルタントの働き考 | トップページ | 仕事の面白さは、どこへ行くのか »
« 「Web系キャリア探訪」第44回、転職コンサルタントの働き考 | トップページ | 仕事の面白さは、どこへ行くのか »
コメント