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2022-11-22

孤独を引き受ける健全さ

人は孤独なものだろうと言うのを、かわいそうな目で見返されても困ってしまう。そういうリスクがあるから人前で軽々しく口にはしないが、人は孤独を引き受けざるをえないものだろうと思っているので、気を抜くと普通のおしゃべりで話題にあげてしまいそうだ。別に苛まれているわけではないので怖がらないでほしいのだが。とりあえず、ここに書くぶんには問題ないだろう。

「孤独についてどう観るか」という話題は、なかなかに相手やシチュエーションを選ぶ。そんなことを話す機会は、そうごろごろしているものじゃない。なので人がエッセイなんかで「孤独」という言葉を用いていると、この人はどういう感じで孤独についてとらえているのだろうかと興味津々で読んでしまう。

それでいくと、若松英輔さんの「悲しみの秘儀」*に書かれている孤独というのは、実に健全で、肯定的で、私の「孤独」観と親和性が高かった。孤独感ではなく、孤独観である。

タイトルからして弱々しくしみったれていて(失礼)自分にはそぐわぬという向きもあろうが、私は実に強靭で健康的な本だと思った。おわりに「悲しみを経て見出された希望こそが、他者と分かち合うに足る強度をもっている」とあるが、そうなのだ、「経て、取り込んで、融和した後に、見出された」強度が、大人になると欠かせなくなってくるのだ。

悲しみとか孤独といったものを、見て見ぬふりしてはねつけて、自分のうちに認めぬまま別のほうへ視線をずらし続けてしまうほうが危うい。自分の足場をどんどん見失っていってしまう。

まずはどまんなかで、自分の中にわきたつ感情、苛まれる思いをしかと認めて、何年がかりでも向き合ってみる。それを少しずつでも、行きつ戻りつでも、かみ砕いて咀嚼し、うちに取り込んでいくと、それとうまくつきあえる関係を構築することができる。そうやって心は強度を増していく。

それは、まず自分に作用する。

人生には、孤独を生きてみなければどうしても知り得ないことがある。孤独を感じるとき、もっとも近くに自己を感じる。

そして、真に人とつながるために作用する。

真に他者とつながるために人は、一たび独りであることをわが身に引き受けなくてはならないのだろう。独りだと感じたとき、他者は、はじめてかけがえのない存在になる。

人をこの上なく大事に思えるのは、ここに至ってからという気すら覚える。私にはこの孤独観が、健全に生きていく上で欠かせぬものと感じられるのだ。こうした孤独観は、きゃぴきゃぴした自分とも併存できるものだ。じゃあ君、最近いつきゃぴきゃぴしたんだ、言ってみろ!と言われても、答えに窮してしまうけれど。私はこの孤独観を、自分が健全であるために、大事な人たちを大事にできるように、大切にしている。

*若松英輔「悲しみの秘儀」(文春文庫)

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