仕事の面白さは、どこへ行くのか
「職場のマイナス面」に光を当てて除去・減退させる時事には事欠かないんだけど、「仕事のプラス面」に光をあてて増幅・創造する時事にふれる機会が少なすぎて、なんだかバランスが悪いように感じている昨今。
そんなことを大きな声でいうと、君は前者の問題を軽視しているとバッシングされるリスクもあるから、素人がぽろりとつぶやくには身構える世の中。
だけど、私も体を壊すようなブラック環境を是正しないでいいと考えているわけじゃない。それはそれで有意義な動きとみつつも、それだけでは「仕事」の意味の一番大事なところが死角に入っちゃうというかな。
見るもの、聞くものがそっちの時事に偏ってしまうと、仕事はたたむもの、済ますもの、できるだけ手際よく、効率的に、手の収まる範囲に…と、ブレーキの利きばかり良くなってしまって、「仕事」というもののコンセプトそのものが縮こまり、狭まり偏り、矮小化してしまう。
生計を立てる以外の価値を見失って、新たな可能性や広がり、人々の成長機会、仕事している活動時間そのものが楽しいという感覚を手放してしまう気がしている。
それをすでに知っている人には、そんなことないと思えても、それをまだ知らぬ人、特にこれから社会に出てくる若者にとって、そんなの知らない見たことない聞いたこともないとなってしまうのは、それはそれで私にとってはおびえる事態なのだった。
少なくとも私にとって仕事というのは、生計を立てる手段にとどまるものではない。私は「作る仕事をする人」をキャリア支援する、能力開発支援するといった仕事を生業にしてきているが、それも「済ます仕事をする人」と相手をとらえて仕えてきたわけじゃない。
仕事が、面白い活動となりうるものという意味合いを含んでいること。仕事は、今ない何かを作り出す価値創造のプロセスだということ。
人は「仕事」という場面で人と交わったり、事に向き合ったりするなかにわが身を置いてこそ発揮される能力、発想、踏ん張り、協調、思いやり、そうしたものがあるし、それによって身につく能力、伸びるスキル、超えられる壁、得られる成長、達成感や充実感、次の目標というのがある。何かそういうものもあわせて、後者のほうにも光をあてて、世の中が循環したらいいなぁと思う。
マイナスを除去することも大事だし、プラスを増幅させることも大事。それって、あらかたいろんな概念に言えると思うのだけど、なかなか各所各所、がんじがらまっていて難しいなぁ。それぞれの持ち場で小さくともコツコツとやっていくしかない、私は私でコツコツやっていきたい。という青くさい思いをつらつら。
« ロジックだけでは、物語は成らず | トップページ | 孤独を引き受ける健全さ »
コメント