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2022-09-28

そろそろ下山なるか

ここ数年にわたって、ずいぶんと山籠もりな気分で過ごしてきた。「足るを知る」をスローガンに低空飛行で心身の健康を維持しながらやってきたのだけど、最近になってなんだか少し、足取り軽くして、そろそろ下山なるかという、そんな時季なり気配なりを感じ出している(まだ弱腰)。

このところの秋晴れと、さわやかな秋風のおかげであって、ごく一時的な気分にすぎないかもしれない。コロナ禍がようやく、そろそろ、落ち着きだしてくるのかも?という希望的観測をもってのことかもしれない。いま読んでいる長編小説があまりにすさまじく読んでいるとへとへとになるので、それと比べて自分の生きている空間が軽やかに感じられる作用をもたらしているのかも、とも思う。ふさいだ気持ちで漂っているのに、いいかげん生き物として飽きてきたということもあるかもしれないなぁ。

まぁ複合的な要因を背景にしてってことなのだろうけれども。私としてはぜひこの流れで気分が進むといいなぁと思いつつ、静かに自分の動向を見守っている。無理やり浮上させるには心意気が足らず、自然の成り行きを静観している。

低空飛行ながら心身とも健康を維持してやっていくタフさはわりと鍛えられたので、別のところの筋トレもしてみてはどうかと、そういうふうに自分が流されていくのを見守っている。なにせ人生一度きりにして、あきらかに後半のどこかを歩いているのだし。

そういや、この間友人のところに赤ちゃんが生まれたとき考えたのだけども、その子は自分と46歳差ってことでしょ。それを自分が生まれたときにスライドさせて考えると、1930年生まれの人と私の関係性になるわけで、昭和5年生まれってこと。あぁ今年誕生した子からみて自分というのは、自分からみたら昭和5年生まれに相当する年の離れた人になるわけかーと思ったら、うぇってなった(声にならない声)。時としてドン引きするようなインパクトをもつ計算ってあるよな。この子らは22世紀の世界を目撃するのだろうなぁ。私も、置いてもらえるかぎりの、ここでの時間を大事にしないと。

翌日の追記:これを読んでくださった方とやりとりしていて思い深まったこと。最後の「自分が生まれたときにスライドさせて考えると」アプローチの魅力って、自分の生きた年数の分だけ、自分が生まれるより前の出来事、その時代を生きていた人たちのことを身近に引き寄せられて考え直せること。昭和5年の人たちのことを、子どもの頃よりずっと身近に引き寄せて考えられる自分がいる。縮尺が変わっていくんだな。

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