日々自分の中になだれこんでくる情報が、あきらかに偏狭で暴力的で浅はかでおかしくなっていることを自覚し、処方箋を考えた。文学だ、例えばポール・オースターではないかと思い立った。
積ん読になっていた「サンセット・パーク」を手にとり、読み終えた今は「ブルックリン・フォリーズ」を読んでいる。この後は「インヴィジブル」を読もう。そういえば十数年前に「幽霊たち」やら「ムーン・パレス」やら十冊くらい立て続けに読んだ後、長らく彼の作品を手にしていなかった。
ポール・オースターを読む喜びとは、何なんだろう。読みながらも、そんなことを考えた。「ニューヨークを舞台にした物語がお洒落」とか「ポール・オースター作品を読む私って素敵」論を通り抜けた先に、真正の価値を見出している体感はあるのだが、それを言葉に表すことはままならない。私の中のポール・オースターが「言えないうちは、言葉にするな」と諭す。
それでもポール・オースターの作品は、文学の意味なり価値なりを、読みながら読者に考えさせるようなところがある。それ自体が、彼の作品の魅力なのかもしれない。読者を思索に誘うような風情がある。
物語がハッピーに終わろうと終わらなかろうと、さしたる問題ではない。結末の問題ではなく、プロセスの問題。否、なんなら昔読んだ本など、話の筋も主人公のキャラクターすら私は覚えていない。けれど、読んだときの充実感、作品の面白さ、文学の可能性に感応した経験は、長く余韻を残している。
あーとも、こーとも捉えられる世の中の一つひとつの解釈の幅と深みを、物理的な体感をもって残してくれる。それはずっと、何十年と、私を育みつづける。私が直面する世界の現実に、示唆を与え続けてくれている。だといいなぁ…という期待も、いくらか混じっているような気はするけれど。
なぜ彼の作品を、いま処方箋として私は直観したのか。彼の文章を読んでいると、思い当たるところが次々出てくる。
「サンセット・パーク」では、戦争を生き抜いて老年期を迎えた世代が口をつぐみ、当時のことを黙して語らないのと対比的に、こんな若者像を描写する。
ちょっとでも水を向ければ自分のことを喋りまくり、あらゆる事柄について意見を持ち、朝から晩まで言葉を垂れ流す
「まだ話すことなんかろくにない彼女自身の世代が、えんえん喋るのをやめない男たちを生み出した」ことを、壮大な矛盾として突く。
「ブルックリン・フォリーズ」は、まだ読み始めなのだが、
とにかく陳腐な決まり文句を連発する。現代的叡智という名のゴミ捨て場を埋め尽くしている、言い古されたフレーズやら出来合いの理念やらを年じゅう口にしているのだ
そうして二十九歳の一人娘を痛烈に批判し、気の毒に思う主人公の姿がある。
ただの一度も独創的な言葉を口にしたことがない。これだけは絶対に間違いなく自分自身のものだという思いを、一回たりとも生み出したことがないのだ。
私が最近の、自分の中になだれこんでくる何に拒否反応を示しているのかが、読書中あちこちで浮き彫りにされていく感じがした。
「サンセット・パーク」に戻って、これに遭遇する。
単純化すべきでないことを単純化すること
「言葉にする」ことを急いてしまうと、自分の吐く言葉はいくらでも浅薄になり、それで満足して次にいけてしまう薄っぺらい人間をせっせと構築していってしまう。
大事なことは、そんなに簡単に言葉に表せない、単純化して済ませてしまうなよ、と。これはつまり「外から入ってくる情報」に対してではなく、私は「私自身」に対して痛烈に批判を与えたくて、注意を喚起したくて、何かそういう思いが十数年越しにポール・オースター作品を手にとらせたということか。そんな気がした。
品を失うな、品を手放すな、と。自分が思考すること、言葉にすることしないこと、それをどういう言葉に表すのか、何は言葉で表して何は行動で表すのか。そういう一つひとつのことに対して、自分の意志をもって品を保ちなさい、と。私にとってポール・オースターの本は、そういう戒めの働きをする。
ノウハウやらナレッジやらを扱う仕事がら、「現代的叡智という名のゴミ捨て場」とは背中合わせ、すぐそこにある気がする。そこに堕してしまわないためには常に細心の注意が必要で、そこに不気味さを感じて拒絶できるかどうかは、結局のところ自分の体の反応に頼るほかない気がしている。直観の働きを感知できるかどうか、それに従って行動をとれるかどうか、時に処方箋を求められるかどうか。
言い表せないなら、言い表せるまで待つ。そんな態度は、たぶん今の時代には流行らないのだろうが、流行らない生き方をする自由は各々にある。何を愚とし、何を品とするかも、結局は各々の美意識だ。それぞれに自分の美意識に従うのが、自分の健康を保つ上では賢明なんだろう。なんというか、いろいろと、やれやれなのだが。
ポール・オースター「サンセット・パーク」(新潮社)
ポール・オースター「ブルックリン・フォリーズ」(新潮社)
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