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2022-08-22

「先々不透明な時代」に覚える恥ずかしさ

「羊は安らかに草を食み」(*1)を読んだ。バッハのそれではなく、宇佐美まことさんの文学作品。満洲で終戦を迎え、一年がかりで満洲から引き揚げてくる11歳の少女の壮絶な体験記を埋め込んだ、今は86歳の認知症を患ったまあさんの人生を辿り、仲良し3人組の老女が旅する小説だ。

残り2〜3割というあたりから急にミステリー小説らしく物語が畳まれていく感があって、なんでやねん、なんでやねん、みたいな展開もあったりなかったりするのだけど。逆にいうと、そこまでに織り込まれる満洲引き揚げの凄惨さがあまりに見事な筆致でえがかれているがために、ミステリーを食ってしまったと言えるのかも。別にミステリーにしなくてよかったのにって思ってしまうくらい自分にとっては、少女が満州から引き揚げてくるまでの「戦後の地獄」が強烈に印象づけられた。

満洲引き揚げのエピソードは、多く事実に基づくという。(*2)

執筆にあたって旧満州からの引き揚げ者の手記に目を通した。集団自決や幼子の置き去りなどのエピソードはほとんどが事実に基づいたもの。

「集団自決や幼子の置き去り」があったと言ってしまえば、あっけにとられるほど短い一言で、起きた出来事を言い表せてしまう。知ってる、わかってる、そうやって正しい事実を記述し、それを引き継いでいっても、それが次の時代に有効に作用するわけではない。

長嶋有さんが、正しさだけではダメだと言っていた一節が脳裏に浮かぶ。(*3)

どんなに正しい言葉でも、正しいだけでは駄目だ。誰かの心に刻みつけるには、あわよくば有効に作用させたければ、言葉そのものに、それをつかみ取るための形が与えられなければならない。

他の人がそれをつかみ取るために、形を与える。それが、もの語りの力だ。「こういうことがありました」という事実の記述と受け渡しだけでは、私たちはそれを心に刻みつけ、うまくつかみ取って活かせないことばかり。

少女期の身のすくむような体験というのは、私もないわけではなく。この小説を読んでいたとき、記憶の底に仕舞い込んでいたそれが、ぐわっと襲いかかるように身体的に思い出されて肝を冷やした。この読者の心底をえぐる採掘力こそ、作家の手腕だろうと恐れ入った。有効に作用させるために、形を与える仕事を成功させたということだ。

この読後、私が読み深めたいのは、満洲開拓団引き揚げの実話ではなかろうかと思い、この小説の参考文献が8冊並ぶ中(うち2冊は認知症関連で、6冊が満洲引き揚げの関連書)、稲毛幸子さんの満洲開拓団一家引き揚げ記(*4)を読み継いだ。これが実話、なのが戦争なのだと途方にくれる。

自分が過去、今を「先々不透明な時代」と一度ならず口にしたことへの恥ずかしさが募った。今が「先々不透明」じゃないとは思わない。けれど、文字どおり「明日をもしれない」日々を生き抜いてきた人たちのことに少しでも意識が向けば、今を切り取って「先々不透明な時代」を生きていると口にする気にはなれない。

ブチャの虐殺があったのは、たかだか5ヶ月前のこと。「先々不透明な世の中」を生きていくことは、いつの時代も人の常で、いつ、どう、地べたが転覆するかわからない。余裕がゼロの環境に陥れば、人はいつだって、獣の性を剥き出しにして生きることを強いられうる。

そう(とりあえず頭でだけでも)理解するとき、明日をもしれない世の中を生き抜いた数十年ほど先輩の体験記と肝っ玉には、学ぶところ多く、叱咤激励される思いで、敬意を抱かざるをえない。「歴史」として遠く客観視するには生々しく、心に刻みつけるもの語りの力は、この上なく。

戦争を直接体験した人たちが、深い深い傷跡に爪をたてて引っ掻くようにして、その傷跡を生々しく語り継いでくださることに、思いを馳せる。

戦争を直接体験していない人間に、直接体験した人のような事実の記述はできない。けれど、自分たちがそれをきちんと心に刻みつけて、つかみ取って、次の世代に引き継いでいくための形を与えることはできる。少なくとも、きちんと刻みつけて自分の心のうちに受け止め、その機会には間違った形を与えず両手で引き渡していくことを肝に銘じたい。

*1:宇佐美まこと「羊は安らかに草を食み」(祥伝社)
*2:老いと死 重厚ミステリー 宇佐美まことさん(松山)新作「羊は安らかに草を食み」|愛媛新聞ONLINE
*3:長嶋有「いろんな気持ちが本当の気持ち」(筑摩書房)
*4:稲毛幸子「かみかぜよ、何処に 私の遺言 満洲開拓団一家引き揚げ記」(ハート出版)

2022-08-13

タイの鍾乳洞からの救出劇「13人の命」を観て

8月9日にTBSラジオ「たまむすび」で、映画評論家の町山智浩さんが紹介していた「13人の命」。これは観たいなぁ!ということで、早々に観てみた鑑賞録。Facebookに書いたこと、ほぼそのままの簡単なメモなのだけど、いつかの自分が掘り起こせるように、こちらにも残しておく。

2018年6月、世界中でニュースにもなったタイの鍾乳洞の奥地に閉じ込められた少年サッカーチームの男の子12人とコーチ1人の救出劇。この実話をもとにした作品で、監督は「アポロ13」とか「バックドラフト」とか手がけたロン・ハワード、出演者もセットもハリウッド映画なみとのこと。Amazonプライム独占配信。

少年たちがいるのは、洞窟の入り口から4km近く先。豪雨と長雨によって中は水没、救出経路の途中も何箇所も崩落しているため、幅60cmしかないところも。そういうところはスキューバ用タンクがあっては通れず、素潜りするしかない。水は濁っているし、光もささない。

でも中には食料もないし、本格的な雨季が迫っているから、雨水が引くのを待ってはいられない。絶体絶命とは、まさにこのこと。

タイの海軍では太刀打ちできず、洞窟専門のダイバーがイギリスから呼ばれる。水が引いてきた9日目にして、ついに突入、プロでも片道で6時間、水の中を這って進む。

少年たちを発見し、パニックにならず瞑想して生命維持していたのを確認するも、洞窟の外に脱出するのが、これまた至難の業。一人ずつ、人数ぶん片道6時間かけて往復していくしかない。具体的なアプローチを公表しては洞窟の外の世界中がパニックになるため、ニュースでは報道規制をしていたとか。

って町山さんの紹介を聴いて、これは観たいーと思って早々観てみた。評判どおり、すごい映画だった。観て良かった。

町山さんも、実際は作品のそれよりずっと水は濁っていたはずと言っていたけれど、ほんと暗闇の中を触覚とかを頼りに進んでいく途方の無さだったと思うと恐怖が増す。

また観る側は13人が助かったことを知った上で観ているけれど、それを成した人たちには、そんな確たる未来はなく、いくらかの可能性にかけて大リスクを冒した状態なわけで、実話っていうのが本当にものすごいなと観終わった後に改めて感服。

それに今時点からみると、コロナ前夜とも言える2018年の出来事というのも、2022年の自分に訴えかけるところが多分にあった。世界中から人が集まって、体ごとひとところに結集して、13人の命の救出に集中して骨を折る。否が応でも今の自分、今の世界情勢と対比して見えて、たった4年前なのにものすごく断絶感を覚えた。一方で、そこに一筋の光を見出すこともできる作品だなと思った。あのときと同じ地平に立って、連綿と続く時間の流れの中に生きているのだから。

2022-08-09

言葉の檻

町田そのこさんの「宙ごはん」を読んでいるときに、ふと脳裏に浮かんだのは、長嶋有さんの「いろんな気持ちが本当の気持ち」だった。

「宙ごはん」は章を進むごとに主人公が成長していくが、とくに主人公が小さい頃の章は、子ども自身がこんな雄弁に、自分の心境や自分が直面している状況を語れるものだろうかという違和感を覚えながら読んだ。こんなふうに言葉に言い表せないからこそ苦悩するのではないかと。

いや、本を多く読む子などは私よりずっと早熟で、子どもの頃からこれくらいの表現力を持ち合わせて自分の内外を語れるものなのかもしれない。そうとも思いつつ、私のような子ども時代を過ごした者からすると、たじろぐほどの明晰さで小学生が自分の家庭環境など語る描写に面喰ってしまう。

私は子どもの頃(に限らず、今もだけど)自分が受け止めるものに対して自分の言葉が圧倒的に足りなくて、何にも展開されない思念を、たぶんに抱えこんで生きてきた。

読み進めるうち、これは、そのままこの本の魅力かもしれないと思い至る。これほど雄弁に言葉にすることは叶わない、一方で表現はできないものの「これくらいのこと」を人は子どものうちから感じとっている。受け取っているものは、これほどまでに深く複雑なんだけど、それが言葉にまで昇華ならない。そうした苦悩を言葉にして、子どもたちの心の代弁をしている、言葉にすることで解きほぐそうとしている作家の仕事をみることもできる。

そして、これは子どもに限らない。人間て(主語がでかいか)、そういうもんだよなと思うのだった。自分が意識できているもの、言葉にできるものよりも、自分が無意識含めて感じ取っているもののほうが圧倒的に多くて、深く複雑で、多面的なもの。

長嶋有さんが書いていた「いろんな気持ちが本当の気持ち」って、ほんとそうだなって改めて思った。

長く生きて(恋愛だの仕事だの旅だの日常だのに揉まれて)いると「いろんな気持ちが本当の気持ちだ」と、これはつくづく思うようになる。気持ちは多様なのに態度は一種類しか選べなかったりする。マーブル模様のように多様に入り混じる気持ちをすべて一時に表せるなんて、そんな器用な人間はいない。主人公が「苛々した」とだけいっていても「本当は苛々していない」残りの模様がなんとなくみえる。角田さんはそういう書き方をする。読者の心の多様さを、多様さを解する力を信頼しているのだと思う。

これは、長嶋有さんが角田光代さんの「みどりの月」の解説に寄せた文章だ。

「気持ちは多様なのに態度は一種類しか選べなかったりする」、言葉も、表情も、ふるまいも。

これは、人の誤解も生むし、自分に対する誤解も生む。「私は怒っています」と言えば、人は、あぁこの人は怒っているんだと認識するし、自分自身に向けても「自分は怒っている」といったん思ってしまうと、自分は怒っているという一様な認識の檻に自分を閉じ込めてしまうことがある。言葉は、そういう力をもつ。

だけど、いろんな気持ちが本当の気持ち。ほんとに、そうだなって思うんだ。言葉は、言える範囲に人をくくりつけ、言えたことに人をくくりつけてしまう。でも、本当の気持ちは、もっといろんな気持ちを含んでいて、それまた時間経過で変容していくものでもある。ほんとに、そうだなって思うんだよな。人にも、自分にも、そういう目配りと想像力が大事。

そういうことを文学は、時間をかけて教えてくれる。言葉を尽くして教えてくれる。「宙ごはん」も、それを言葉を尽くして教えてくれたんだなぁって思う。

*1:町田そのこ「宙ごはん」 (小学館)
*2:長嶋有さんの「いろんな気持ちが本当の気持ち」(筑摩書房)

2022-08-04

Smallx CampのYouTube番組ゲスト出演の舞台裏(資料リンク集も)

Smallx Campと称して月1でライブ配信しているYouTube番組にゲスト出演した。知り合ってから15年くらいになろうかという同世代の面々(お三方と、天の声)がやっている番組で、Information Architecture(IA)界隈に通じるお三方がもやもやすることをフリートークする番組。

最初お声がけいただいたときは腰が引けてしまったのだけど、今回は、前回と同テーマで続きがやりたいとのこと。私も1視聴者として観ていた前回テーマ「70年代生まれはいまどう学んでるの?」を受けて、思うところを聴かせてもらえれば的な話だったので、それならばとお受けすることに。

私は皆さんと同世代の70年代生まれ、かつ「学び」をテーマに仕事してきたという別の立ち位置から、自分なりに話せること共有したいこと意見交換したいことが、考え出すとあれこれあるように思われた。

もちろん「えーい、ままよ!」と手ぶらでフリートークに臨んで自分がまともにしゃべれないことは重々承知している。しかし今回は、前回の動画を読み込んで、自分が何を話したらいいか事前に練っておく猶予がある。

それならばと、話をもらってから今一度、前回のアーカイブ動画を見直し、話を聴きながら自分が思ったことや考えたこと、自分が70年代生まれの同世代にシェアしたいことなど書き出してみた。

そのうちSNS上で今回の告知があり、そこには「~を迎えて、キャリアカウンセラーのご経験から同年代における学ぶ機会についてフリートークします」と案内されている。これはキャリアカウンセラーとして話をする必要がありそうだと心得る。

それなら「もしも私が、前回のもやもや話をキャリアカウンセラーとして相談されたら」という趣向で話したら、わりと聴きやすいかなぁと思いつく。「ドリフ大爆笑」のもしもシリーズでいかりや長介が前口上するときのBGMが脳内に流れる(大好きだったのだ)。

私がどういう頭の動かし方をしながら前回の話を聴いたかを再現して示せば、自分なりに考えたもやもや解消ステップをたたき台として提示するのとあわせて、キャリアカウンセラーとはどんなもんなのかの一例も示すことができるのではないかと。日々キャリアカウンセリングをやっている身ではない私がそれをして、キャリアカウンセラーの印象を損ねてはならないが、そう思われないようにと心がけながら準備にいそしんだ。

そんなわけで、前半に話した「前回の所感」はスライド資料を事前に用意して、当日に臨んだのだった。

で、一昨日の晩に「70年代生まれはこう学ぶ」という前回続編として出番を終えたのだけど、やってみてどうだったかというと、やっぱり話し下手が炸裂した…。

準備したところは「やっぱり、準備しておいてよかったー」ということで、「転ばぬ先の杖」という先人の教えを改めてかみしめた次第なのだけど、これがなかったらどうなっていたことやら。

個人的には、いろいろ関心あるテーマで久しぶりの面々とおしゃべりできて楽しかったが、観てくださった方はちょっと論点とっちらかってしまってお聞き苦しかった方もあろうなとお察しします。率直にフィードバックをくれる友人から、話かみ合っていなかったよねって所感をもらうなど…。

そういう声を受け止めて振り返ってみるに、生きがい(前回取り上げたikigaiフレームワーク)の話と、キャリアの話、職業的な生存戦略っぽい話、大・中・小の話題が混在していて、それを一つのテーブルの上で話し合おうとしているところに無理が生じて、もやもやの晴れようがなかったのかも?

前回の動画で、「ikigaiフレームワークにのっけて話したい議題じゃないのかもね」ってな発言が終盤であがっていたので、今回はそこは(私の中では)スコープからはずして、もう少し実務的な話題にスコープや論点をしぼることで、個別具体的な面と共通話題をいい塩梅で両立したトーク展開が実現できないかと思っていたのだけど、やってみると今回も後半に「生きがい」の話題があがってきたから、やっぱり三者三様に話したいフィールドがあり、それがいくらか共通していて、いくらかずれているというもやりもあるのかもしれない、と思ったり思わなかったり。

だからこそ刺激を交換できるところもあるし、それをどこまで観ている方が許容するかも人それぞれだと思うのだけど。そういうことこみこみでもやもやトークを楽しんでいるというのに、真面目くさった考察をだらだら述べているんじゃないよと叱られそうなので、それはまぁ一人反省会にて。私は私で、そういう性分なのと、そういう企てや構成を生業ともしているので致し方なかったりするのである。

ともかく、おしゃべりに参加させてもらえてありがたかったなぁという心のうちであります。

あと、動画を観てくれて、話がいまいち噛み合ってなかったような…と率直なフィードバックをくれる友よ!おかげで私は地に足つけて健全に生きていけます。本当にありがたい。

やっぱりアウトプットして(そうするために、いろいろ下準備でインプットもして)、アウトプットに対して手厳しかったり温かかったり(こっちもないとやっていけない…)のフィードバックをもらって、それを正面から受け止めて自分で内省して、評価したり教訓を得たり、次に活かしてってすることこそ尊い、経験学習モデルですな。貴重な機会を、ありがとうございました。


画面表示したスライド資料のご案内

Smallx Campさんでご用意くださったスペースに、PDFファイルを置かせてもらっています。

画面で表示したスライド資料(リンク)

話しながら図示したスライドを1ファイルにまとめてあるだけなので、表紙も章区切りもなく、ファイル単体で見ても非常に分かりづらい状態なのですが、動画とあわせて手元で確認したいスライドがありましたら、ご活用ください。

▼1~6ページ目
「もしも私が、前回のもやもや話をキャリアカウンセラーとして相談されたら」私はこんなふうに話を聴いて展開を模索するかなぁという頭の中の動きを、時間の流れにそって並べていった6スライド。
実際のキャリアカウンセリングだと、ご本人を前にリアルタイムでやりとりして1対1で話を聴いては道筋を一緒に探りあっていくと思うので、こんな強引に6ページまで話を進めちゃったりしないだろうけれど、今回はそうしちゃうと展開例が具体的に示せないので割り切って強引に。

▼7~11ページ目
当日、まだ話していないスライドあるんじゃない?と和田さんにふられて後から紹介した5スライド。昔ブログに書いた話とかSlideshareに公開したスライドとかから、今回同世代の皆さんにシェアしたいと思って見繕ったもの。


スライド資料の元となるブログやスライドへのリンク

▼7ページ目:熟達度別の学習アプローチ
ブログ(2019/11/2)「仕事は経験でしか学べない」と言いつつ、教える側にまわると講義に終始しちゃう問題で紹介

▼8ページ目:成人の学びの70%は「直接経験」から得られる
Slideshare改めSpeakerdeck(2015/12/17)効果が出る「仕事の教え方」P9で紹介

▼9ページ目:コルブの経験学習モデル
ブログ(2014/6/30)「学びの後の学びサイクル」で紹介

▼10-11ページ目:加齢に伴って低下しやすい能力、維持されやすい能力/20歳以上を対象にした「知能の加齢変化」研究
ブログ(2020/1/31)中高年になっても衰えない「知能」の話で紹介

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