昨年の夏は、縁あって大学の授業でキャリアデザインの話をした。それは事前収録して編集したものを動画配信する形式だったが、後に視聴してくれた数百人に及ぶ学生たちのアンケートの声をもらい、あぁ自分が伝えたかったことを受け取ってくれたんだな、それを刺激にしてそれぞれに自分のキャリアについて考えるところをもってくれたんだなと、ありがたく読んだ。
その中で一番笑ったのは、私のことを「森先生」と書いているコメントだったが(私は「林」だが、一つ「木」を盛ってくれたようだ)、一番印象に残っているのは「自分は社会に出たらバリバリ働きたいと思っているので」というコメントだ。この実在が、ずっと胸に刻まれて1年が経った。
そして今夏、別の方面からご縁をいただいて、今度は高校生向けにリアルタイムのオンライン授業で話すこととなった。進学塾の特別プログラムで、受講を選択した高校生(と中学生)が参加している。私は6回目の授業、「テクノロジ時代の働き方、キャリアの作り方」というお題をもらった。平日の晩、2時間の枠だ。
骨となる部分は、昨年大学生に話した「キャリアデザインを始める前に知っておくと良さそうなこと」と共通シナリオで依頼主の意向に沿いそうだったので引き受けたのだが、いざ日が迫って準備に取りかかると「今回の高校生に向けて」「いま私が伝えたいこと」というのがむくむく湧き上がってきて、全体をどう構成立てるか、どういう言葉で伝えるか、どういう例示なら最も伝わるだろうか、何を考えてもらう問いが意味をもつか、それに対してどういうフィードバックをしたら本当に伝えたい核心を腹落ちしてもらえるだろうかと四苦八苦。数週間前から週末は準備に明け暮れることとなった。
でも、なんか良い時間だったな。一人でうんうんうなった準備時間も、もちろん当日みんなとご一緒できた時間も。画面越しとはいえ、やっぱりリアルタイムで交流できるのは格別のものがあるし。事後に今回もアンケートの声を読ませてもらったけれど、私が伝えようとしていたことを汲み取ってくれ、また真正面から受けとめて自分のキャリアについて考えてくれているコメントに触れて、ありがたいなぁと思った。
昨年に大学生向けに話したときから私がとみに関心を強めているのは、「社会に出たらバリバリ働きたいと思っている」若者に対して、今の社会は健全だろうかという点なのだけど、それについて私が考えていることも、今回高校生に、私は今こんなふうに考えていてっていうのを「話のまくら」で共有してみた。
こういう社会動向がデータから読み取れて、私は現状をこう捉えていて、社会が混沌としているというのは例えばこういうことに現れていて、大人はこんなふうに今まさに頭を悩まして試行錯誤しているという現在進行形の実態レポートを、不完全な社会の一例としてお話しする試みをしたかった。
自分の直観に任せて、「今回はこれを話に盛り込みたい」と思うことを、まずは最初にわーっと書き出してみるって、大事だなって改めて思った。少なくとも自分の性に合ったアプローチだなと。
その後で、肉づけしたり省いたり言い換えたりして精度を高めていくプロセスはもちろん必要なんだけど、最初の直観シナリオの素描には、自分の強い思いとか信念とか問題意識とか、話し手のエネルギーの塊が入っていて、それは後の整然とした本論とも、おのずと連関してくるものなんだよな。
それを練りあげてブラッシュアップしていく過程で、「話のまくら」と「本論」はぐっと連関性を深めていくというか、もともと深いところで通底していることに自分が気づいていくというか。結局、自分がまくらで伝えたいことと、本論で伝えたいことって、密接につながっているものなのだった。
それを、まくらでは「今リアルタイムで起きている具体的な現象・動向・問題」で示し、本論では「俯瞰的、理論的、抽象的なコンセプト」に言い換えて繰り返す。そうすると、その反復的な伝え方によって、受け取る側にも本質理解が促されるし、心に届きやすくなる、そういう流れに(勝手に)落ち着くようになっているというか。
まぁ実際にやった話し手としてのパフォーマンスはそんな立派なものじゃなかったんだけど、いったん直観を頼りに描ききってみるっていうのは、やっぱり大事だなぁと認識新たにする機会ともなった。本当にちょっとした袖の触れ合いという時間ではあったけれど、ありがたいご縁に感謝している。
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