小説が引きずりだしたポニーテールの記憶
毎日あったこと、毎日やっていたこと、とりわけ毎日やってもらっていたこと…というのは、毎日繰り返されていたにも関わらず、意識の中では軽んじられて、記憶の奥のほうにしまわれてしまいがちだ。
でも、自分の頭の中にある押し入れの奥の奥のほうにしまわれている記憶を、小説は、作家は、時おり、ずずずぃーっと引きずり出してくれる。
町田その子さんの「宙ごはん」(そらごはん)を読んでいたら、小学生のころ毎朝、母にポニーテールを結ってもらっていたことを鮮明に思い出した。「ママに髪を結ってもらう」シーンが出てきたからだ。
髪を結うという作業を、当たり前に自分一人でやるようになると、こうやって親の世話になっていたことをすっかり忘れてしまう。
だけど本当に毎朝、毎朝、私は歯みがきと洗顔を終えて、髪をいくらかとかして整えると、母のもとにブラシと髪ゴムをもっていって、ポニーテールにしてもらっていた。
小学6年生ともなると、髪を結うなんて同級生でも一人でこなしている人が多かったのではないかと思うが、私は小学校を卒業するまで、ずっとやってもらっていた。自分には当時から、ひどく手先が不器用な自覚があって、母はたいそう器用な人だとわかっていた。
今よりずっと長いロングヘアだったので、髪を一つに束ねて上のほうにぐいっと持ち上げてきれいにゴムを三重にするというのが、握力的にもけっこう難儀だった。という感じも、なんだか感覚的に覚えている。自分でしばると、夕方までもたずに、ずるずる下のほうへ落ちてきてしまうのだ。
そんなことまで実は記憶していたのか、どこに置いてあったんだろうと、我ながら不思議に思う。
母は自分が何の支度の途中だろうと、それをいったん中断して、私の髪結いをやってくれていたように思う。それを毎朝、毎朝やってくれていたことを、うわっと一気に思い出して、あぁ…と、目線を本の文字からはずし、しばし空(くう)を仰いでしまった。
中学にあがると、さすがに自分でやったほうがいいと思ったのと、入学早々「ポニーテールをやっていると先輩から目をつけられる」という噂が流れたので、あっさり下のほうに一つ結びするようになり、以降は自分でやるようになった。「ポニーテールなんて、一年のくせに生意気」って、どういう理屈やねん…と思うけれども実際に当時そういうお姉さんがいたのだ。
それにしたって、ここまでのことをわっと思い出させてくれる小説、その作り手である作家というのは、ものすごい仕事をしている人だなと思う。読者である私は、そう言われりゃ思い出せるレベルの「再認」で記憶しているわけだけど、これを書く作家はみずから「再生」できるレベルで記憶していることが盛りだくさんあって、それを物語世界の創作に都度活かしているのだと思うと、それだけでもすごいことだと感心してしまう。
一読者として小説を読んでいると、とりわけ子どもの頃に母がしてくれていたことがふいに思い出されることが多くある。当時は受け取り手の視点しかもっていなかったものが、今の時点から振り返って見直せば、彼女が意識的に私に授けていたものなのだろうと思い当たることもしばしば。与える側の母の目線にも、今なら想像力がはたらく。そういうあれこれに思い当たっては何十年ごしに、それを彼女の置きみやげとして味わい直す機会に恵まれる。
今まっただ中で子育てしている友人たちは、小説を読む余裕などなかなかないかもしれないが、子どもの髪を結いながら、子どもの膨大なる世話をしながら、自分の親御さんのあれこれが「あぁ」と思い出されることがふんだんにあるのだろう。
そしてまた何十年か先に、子どもたちにこんなふうに「あぁ」って思われる日もやって来るかもしれない。それは何ものにも代えがたい置きみやげだ。これほど尊いものもない。遠くに過ぎ去ったものであるようでいて、これほど親密な励ましはない。今、毎日のようにやっていることが、いつか手を離れてやらなくなっていくことが、また遠い先に別の意味をもって帰ってくる日が、きっとやってくるのだ。
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