クリエイターEXPOでゼロがイチに見える
6月末、久々に東京ビッグサイトを訪れた。ゆりかもめに乗ったのは何十年ぶりだろうか。朝日を浴びて水面がきらめいている、遠くに観覧車が霞んで見える(葛西のほうの)、大きくまたがる橋梁の曲線が美しい、背景には夏の大空が広がっている。とりわけ新橋を出て竹芝、日の出、芝浦埠頭までの景色(進行方向みて左窓からの眺め)は最高だ。もう、このまま帰ってもいい…。
一つひとつに焦点をあわせたり、ひいて全景を眺めたり、そうやって眺める自分自身に焦点を移して物思いに耽ったりした。
もう何年もやっていないことは、この先の人生でもう一度もやらないで終わるものが多いんだろう。もう何年も会っていない人とは、もうこの人生で会うことなく終わる確率が高いのだろうと、最近よく思う。私はこれを頻度問題と名づけて、ちょいちょい頭に浮かべてしまう。ゼロに何を掛けてもゼロの掛け算はゼロしか導かない。
さて、今回の目当ては「コンテンツ東京」だった。映像・CG制作展、ライセンシングジャパン、先端デジタルテクノロジー展、広告クリエイティブ・マーケティングEXPO、クリエイターEXPOと、勢いある業界を結集して催される見本市の総合展。けっこうな賑わいを予想していったが、もう完全にコロナ前に戻ったであろう人の入り、大盛況だった。
私は会期最終日、会場内で催される朝一番のセミナーを予約していて、それに参加したあと展示会場も少しだけ覗いて帰ろうという魂胆だった。が、あまりにぎゅっと心を鷲づかみされるものがあって、さっとその場を後にすることが叶わなくなってしまった。私を足止めしたのは、クリエイターEXPOだ。
5つの見本市がおさまる大きな展示会場の奥、ど真ん中に「クリエイターEXPO」のスペースがあったのだけど、そこはもう、個性豊かな小料理屋が軒を連ねる神楽坂や荒木町のごとく、クリエイター個々人が最小単位のブースを買って、ずらずらずらーっと通りをなし、作品展示を行っていた。
看板には、屋号名より自分の氏名をそのまま掲げているクリエイターが多く、「私が、これらの作品を作っている本人です」というふうに、展示作品を背景にして、そのすぐ前に椅子をおき本人が座っている。立ちあがって作品集を配って売り込みしている人もたくさん。ジャンルも多様で、イラストが一番多かったけれど、映像、CG、サウンド、ナレーション、写真、画・絵本、漫画、書道などさまざま。とにかく、そのパワーに圧倒され、感動して、しばし立ち尽くしてしまった。
これはもう、とにかく全員のエネルギーを浴びて帰ろうと思い、すべての通りを歩いて作品を観ていった(サウンドは聞けなかったが)。
こんなにたくさんの作り手たちが、スペースを買って、お手製でブースを作り、自分の名前の看板を掲げ、来場者に声をかけ、作品を紹介し、商談を行なっていることに、くらくらするほど感銘を受けた。
そして私は、この人たちのようなクリエイティブ職のキャリアを支援したいという思いをもって生きていることを体で再確認するとともに、残りの時間で自分に何ができるんだろうなぁという思いを募らせた。
そんなことを考えながら歩いていると、会場の雑踏の中で「林さん?」という女性の声が耳に届いた。えっ?と驚いて振り向くと、そこにはもう何年もお会いしていなかった、とある女史が立っていた。マスクをして顔を覆っているし、こんな大きな展示会場の中、こんなたくさんの人が往来する中で、すれ違いざまに見つけてくれて、さらに声をかけてくれるなんて、これはなんという運命の引き合わせだ。
私と同じようなクリエイティブ職を支援する立場で働く人だったので(所属的にいうと競合関係ともいうが)、私はそのときの思いのままを伝えた。近況を交換した後、このクリエイターEXPOを歩きながら今自分が何を思い感じていたかを率直に伝えると、向こうからも呼応する言葉が返ってきて、いやぁ同志だ、同志と引き合わせてくださったーと、おてんとさんに感謝した。長いこと足止めして、立ち話で話し込んでしまった。
やっぱり、人間は、動物は、活動して、運動して、なんぼだなぁ。もうないんだろうなぁとゼロを入れていたところ、ふいに、それがイチに切り替わることが巡ってくる。それによって自分の世界は一気に彩りを与えられる。この世界は、去るにはあまりにも尊いし、この人生で私が出会えた人たちは、あまりに魅力的なのだった。
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