« 2022年6月 | トップページ | 2022年8月 »

2022-07-28

「Web系キャリア探訪」第42回、使い慣れた言葉をいったん解体してみる

インタビュアを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第42回が公開されました。今回は日経新聞社、テレビ東京を経て、テレビ番組無料配信サービス「TVer」の立ち上げに参画、現在はTVerの取締役COOとして事業を率いる蜷川新治郎さんを取材しました。

「裁量ある仕事が断然おもしろい」 TVer設立メンバーの仕事観

日経新聞社→テレビ東京→TVerという遍歴に、メディア業界にお詳しい方だと、出向とか転籍とかで流れ流れて今に至るキャリア?と思う方もあるかもしれませんが、詳しく聴きこんでいくと、ご本人が「不退転の決意」をもって転職したというお話も。

どのような体験を通して、蜷川さんが新卒時のシステムエンジニア職から、次代のテレビ業界のサービス・事業づくりに仕事の軸足を変え、ご自身のフィールドを広げてこられたのか。折々でどういう選択をしてこられたのか、大変聴きごたえがありました。

また「テレビ」という言葉が意味していた従来の概念が解体されていく中で、次代につなぐべき「テレビ」の本質的な価値って何なのか。そういうことをテレビ業界の内外を股にかけて「客観的かつ主体的に」関わりながら、あるべき姿を言葉に起こして、周囲を巻き込み、事業を推進していく力強さと真摯さには胸を打たれます。

やっぱりこういう数十年がかりの変革期とか移行期とか呼ばれる時期って、従来使われてきたコンセプトワードをいったん解体して、次代にあう枠組みを模索したり組み立てなおす人の営みが、すごく大事だなって思います(数十年で何かに移行して、どこかに着地するのかわからないで書いていますが…)。

テレビに限らず、家庭や仕事といった言葉も、いろんな人が、それが指す意味解釈ちぐはぐなまま、相手の文脈を汲んでかみ合わせようと心をくだくこともなく、それぞれ言いたい意見をぶつけて物別れに終わっているさまに遭遇することも少なくなく…。言葉を、こちらの思いをあちらに届ける道具として使えていないもどかしさを覚えることがままあって。使い慣れた言葉をいったん解体してみる必要性を身にしみて感じる日々。

だからこそ、こうやって蜷川さんが丹念に、自分が身を置く業界の前線に立って、現実世界がどう変化していて、どこに次代の機会があるのか見据えて、テレビというものをいったん解体して捉え直して、価値の再定義を試みて、素案を起こして見える化し、幅広いステークホルダーと認識を合わせて、具体的な事業やサービス作りに取り組み続けている姿には、深い敬服の念を抱きます。

あと、やっぱり仕事を面白いって思っている大人の人たちには、今こそ大声で、若い人たち、これから社会に出て仕事をするという人たちに、自分は仕事を楽しんでるよって率直に届けてほしくて、そういう意味でも今回の記事を読者の方々と共有できることを、とても嬉しく思っています。よろしければ、お時間あるときに、ぜひご一読くださいませ。

2022-07-15

小説が引きずりだしたポニーテールの記憶

毎日あったこと、毎日やっていたこと、とりわけ毎日やってもらっていたこと…というのは、毎日繰り返されていたにも関わらず、意識の中では軽んじられて、記憶の奥のほうにしまわれてしまいがちだ。

でも、自分の頭の中にある押し入れの奥の奥のほうにしまわれている記憶を、小説は、作家は、時おり、ずずずぃーっと引きずり出してくれる。

町田その子さんの「宙ごはん」(そらごはん)を読んでいたら、小学生のころ毎朝、母にポニーテールを結ってもらっていたことを鮮明に思い出した。「ママに髪を結ってもらう」シーンが出てきたからだ。

髪を結うという作業を、当たり前に自分一人でやるようになると、こうやって親の世話になっていたことをすっかり忘れてしまう。

だけど本当に毎朝、毎朝、私は歯みがきと洗顔を終えて、髪をいくらかとかして整えると、母のもとにブラシと髪ゴムをもっていって、ポニーテールにしてもらっていた。

小学6年生ともなると、髪を結うなんて同級生でも一人でこなしている人が多かったのではないかと思うが、私は小学校を卒業するまで、ずっとやってもらっていた。自分には当時から、ひどく手先が不器用な自覚があって、母はたいそう器用な人だとわかっていた。

今よりずっと長いロングヘアだったので、髪を一つに束ねて上のほうにぐいっと持ち上げてきれいにゴムを三重にするというのが、握力的にもけっこう難儀だった。という感じも、なんだか感覚的に覚えている。自分でしばると、夕方までもたずに、ずるずる下のほうへ落ちてきてしまうのだ。

そんなことまで実は記憶していたのか、どこに置いてあったんだろうと、我ながら不思議に思う。

母は自分が何の支度の途中だろうと、それをいったん中断して、私の髪結いをやってくれていたように思う。それを毎朝、毎朝やってくれていたことを、うわっと一気に思い出して、あぁ…と、目線を本の文字からはずし、しばし空(くう)を仰いでしまった。

中学にあがると、さすがに自分でやったほうがいいと思ったのと、入学早々「ポニーテールをやっていると先輩から目をつけられる」という噂が流れたので、あっさり下のほうに一つ結びするようになり、以降は自分でやるようになった。「ポニーテールなんて、一年のくせに生意気」って、どういう理屈やねん…と思うけれども実際に当時そういうお姉さんがいたのだ。

それにしたって、ここまでのことをわっと思い出させてくれる小説、その作り手である作家というのは、ものすごい仕事をしている人だなと思う。読者である私は、そう言われりゃ思い出せるレベルの「再認」で記憶しているわけだけど、これを書く作家はみずから「再生」できるレベルで記憶していることが盛りだくさんあって、それを物語世界の創作に都度活かしているのだと思うと、それだけでもすごいことだと感心してしまう。

一読者として小説を読んでいると、とりわけ子どもの頃に母がしてくれていたことがふいに思い出されることが多くある。当時は受け取り手の視点しかもっていなかったものが、今の時点から振り返って見直せば、彼女が意識的に私に授けていたものなのだろうと思い当たることもしばしば。与える側の母の目線にも、今なら想像力がはたらく。そういうあれこれに思い当たっては何十年ごしに、それを彼女の置きみやげとして味わい直す機会に恵まれる。

今まっただ中で子育てしている友人たちは、小説を読む余裕などなかなかないかもしれないが、子どもの髪を結いながら、子どもの膨大なる世話をしながら、自分の親御さんのあれこれが「あぁ」と思い出されることがふんだんにあるのだろう。

そしてまた何十年か先に、子どもたちにこんなふうに「あぁ」って思われる日もやって来るかもしれない。それは何ものにも代えがたい置きみやげだ。これほど尊いものもない。遠くに過ぎ去ったものであるようでいて、これほど親密な励ましはない。今、毎日のようにやっていることが、いつか手を離れてやらなくなっていくことが、また遠い先に別の意味をもって帰ってくる日が、きっとやってくるのだ。

2022-07-11

父娘ごきげん旅、会津若松と芦ノ牧温泉へ

父を誘って気晴らし旅行、今回は会津若松で観光、宿は芦ノ牧温泉。と、後から振り返れば、そういうことになるのだけど、これという旅程をしっかり組んでいたわけでもなく、ある程度の下調べはしておいて、「いろいろ選択肢はあるが、あとはまぁその時々で判断」というスタイル。

父娘旅行というのは臨機応変さが大事である。気合いの入れすぎは良くない。良かれと思ってとか言って旅程を作りこみ、旅中の相手の動きを制御しようとかかるのは最悪である。両者疲れる。「一緒に旅する相手がごきげんである」というのは、旅を楽しむには欠かせない要素であり、だから私は私で自分もごきげんな旅をする、という(へ)理屈を大事にしている。

それにしたって、自分も父も楽しい旅としたい。まず父を旅に誘うのは、十日ほど前がちょうどいい。それ以上では間延びしてしまうし、それより短いと、旅の日を待つ楽しみ時間が短すぎる気がする。急に言われても、あちらの都合もあろうし、そもそも礼を欠く。親しき仲にも礼儀ありだ。そんなわけで、十日ほど前に起案し、合意をとりつけ、素早く宿をとる。それまでにざっと粗い旅程、どうやって行くかのシミュレーションなどしておく。あくまでざっくりの見通しを立てておくまでだ。

今回は、新幹線で郡山まで行って、そこから磐越西線で会津若松まで西に横断、そこから只見線~会津鉄道(直通運転)に乗って南にくだって芦ノ牧温泉へ、という鉄道の旅。新幹線チケットは当日に駅で手配する。当日手配で間に合いそうなものは当日手配のほうが、時間にがんじがらめにならなくて良い。今回はお盆をはずして7月だし、土日をはずして金曜出発だし。

車でドライブできたら、いいんだろうになぁとは思い浮かぶけれども、まぁ仕方ない。父は免許を返納したし、私はペーパードライバー。宿の無料送迎バスで、最寄り駅から宿まで運んでもらう道中、青空のもと山道をドライブしている車がずいぶん楽しげに見えて、うらやましかったが、直進以外を操作する自信がない…。

電車の旅というのは、どうにも待ち時間が発生しがちで、郡山でデパートうろうろ、会津若松の駅前スーパーでうろうろ、乗り換え電車の出発まで30分とか1時間とか時間をつぶす必要が出てくる。が、「うちの近所の西友のほうが圧倒的に安い」とか、ぶつぶつ言いながら食品売り場をひやかして歩くのも一興である、ということにしておく。

当初、会津若松は周遊バスを使って移動しようと考えていたが、その時刻表にあわせようとすると、どうにも無理が出てくる。なので、2キロ移動とかはタクシーを活用することにする。タクシーの運転手さんは、いろいろ町のことを教えてくれるし、それはそれで旅の楽しみだ。

一方、当初は猪苗代湖にも足を延ばして遊覧船に乗ろうかと思っていたが、そこに行くのにバスは時間が合わず、これを15キロ20数分かけてタクシーに乗るのは無駄遣いだと父が納得しない。なので猪苗代湖は旅程からはずすことにした。

磐越西線の1,170円も高い高いと言っていて、しかし飯盛山を登るのに動くスロープ250円かかるのはOKと言う。どちらも自分の足で移動するのは大変だし、利用客の人数と移動距離や開発工数を考えれば、磐越西線の1,170円も高いとは言えない気がするのだが、父には父の金勘定の価値観がある。それはそれで受け入れるが好し。認知症が口癖のわりに十円単位までよく覚えているなとからかうと、父がわしゃわしゃ笑う。

自分の価値観とかち合うようであれば話し合いも必要だろうが、おおもと立ち返ると私は、山と川と田園風景に大空で十分、湖なくとも満足だ。そういうときに、当初想定では湖も行く予定だったからという仮置きマイプランに喰われてはいけない。「当初の想定」などあっけらかんと手放してしまえばストレスもかからない。どこを訪ねるか、どうやって巡るか、訪問先も交通手段も「当初の想定」を固持しようとしない開放性が、ごきげん旅にはとにかく肝要である。

歳をとって大変なのは、やはり宿をとるとか、道中の交通手段を固めて切符を手配するとか、ターミナル駅でてきぱき乗り換えて関所を突破していく手続きだ。それをしても旅に出ようという意志決定と行動力が必要になる。そこだけどうにかすれば、旅をすること自体はいくらでも楽しめるものである。観光地では、山頂まで登れるロープウェイや、動くスロープを作ってくれているし、行く先々の人たちは皆、情があって愛嬌がある。だから父が自分の足で歩けるうちは、さくっと旅に連れ出して関所突破をサポートし、山やら海やら川やら楽しみたいところ。

観光地を歩きながら、鶴ヶ城や飯盛山の歴史に思いを馳せたり、森林浴したり、小川のせせらぎに耳を澄ませたり、荘厳な大木を見上げたり。部屋でくつろぎながら、阿賀川の涼やかな渓流、しんとして青々しい山の静けさを眺めたり。部屋でテレビを見ながら、あるいは食事処で、政治やら社会情勢やら、正しさって何かについて語らったり。大浴場や檜風呂に各々出かけて、ゆっくり湯につかったり。電車に揺られながら、ただ静かに一面に広がる田畑、遠くの山々と大空をぼーっと眺めたり。

目の前にある静寂と、世の動乱の極端が並行する親子旅となったけれど、二人して行けて良かった。ごきげんは作れるものであり、みずから率先して作りだすものだ。

Instagramの写真

2022-07-08

クリエイターEXPOでゼロがイチに見える

6月末、久々に東京ビッグサイトを訪れた。ゆりかもめに乗ったのは何十年ぶりだろうか。朝日を浴びて水面がきらめいている、遠くに観覧車が霞んで見える(葛西のほうの)、大きくまたがる橋梁の曲線が美しい、背景には夏の大空が広がっている。とりわけ新橋を出て竹芝、日の出、芝浦埠頭までの景色(進行方向みて左窓からの眺め)は最高だ。もう、このまま帰ってもいい…。

一つひとつに焦点をあわせたり、ひいて全景を眺めたり、そうやって眺める自分自身に焦点を移して物思いに耽ったりした。

もう何年もやっていないことは、この先の人生でもう一度もやらないで終わるものが多いんだろう。もう何年も会っていない人とは、もうこの人生で会うことなく終わる確率が高いのだろうと、最近よく思う。私はこれを頻度問題と名づけて、ちょいちょい頭に浮かべてしまう。ゼロに何を掛けてもゼロの掛け算はゼロしか導かない。

さて、今回の目当ては「コンテンツ東京」だった。映像・CG制作展、ライセンシングジャパン、先端デジタルテクノロジー展、広告クリエイティブ・マーケティングEXPO、クリエイターEXPOと、勢いある業界を結集して催される見本市の総合展。けっこうな賑わいを予想していったが、もう完全にコロナ前に戻ったであろう人の入り、大盛況だった。

私は会期最終日、会場内で催される朝一番のセミナーを予約していて、それに参加したあと展示会場も少しだけ覗いて帰ろうという魂胆だった。が、あまりにぎゅっと心を鷲づかみされるものがあって、さっとその場を後にすることが叶わなくなってしまった。私を足止めしたのは、クリエイターEXPOだ。

5つの見本市がおさまる大きな展示会場の奥、ど真ん中に「クリエイターEXPO」のスペースがあったのだけど、そこはもう、個性豊かな小料理屋が軒を連ねる神楽坂や荒木町のごとく、クリエイター個々人が最小単位のブースを買って、ずらずらずらーっと通りをなし、作品展示を行っていた。

看板には、屋号名より自分の氏名をそのまま掲げているクリエイターが多く、「私が、これらの作品を作っている本人です」というふうに、展示作品を背景にして、そのすぐ前に椅子をおき本人が座っている。立ちあがって作品集を配って売り込みしている人もたくさん。ジャンルも多様で、イラストが一番多かったけれど、映像、CG、サウンド、ナレーション、写真、画・絵本、漫画、書道などさまざま。とにかく、そのパワーに圧倒され、感動して、しばし立ち尽くしてしまった。

これはもう、とにかく全員のエネルギーを浴びて帰ろうと思い、すべての通りを歩いて作品を観ていった(サウンドは聞けなかったが)。

こんなにたくさんの作り手たちが、スペースを買って、お手製でブースを作り、自分の名前の看板を掲げ、来場者に声をかけ、作品を紹介し、商談を行なっていることに、くらくらするほど感銘を受けた。

そして私は、この人たちのようなクリエイティブ職のキャリアを支援したいという思いをもって生きていることを体で再確認するとともに、残りの時間で自分に何ができるんだろうなぁという思いを募らせた。

そんなことを考えながら歩いていると、会場の雑踏の中で「林さん?」という女性の声が耳に届いた。えっ?と驚いて振り向くと、そこにはもう何年もお会いしていなかった、とある女史が立っていた。マスクをして顔を覆っているし、こんな大きな展示会場の中、こんなたくさんの人が往来する中で、すれ違いざまに見つけてくれて、さらに声をかけてくれるなんて、これはなんという運命の引き合わせだ。

私と同じようなクリエイティブ職を支援する立場で働く人だったので(所属的にいうと競合関係ともいうが)、私はそのときの思いのままを伝えた。近況を交換した後、このクリエイターEXPOを歩きながら今自分が何を思い感じていたかを率直に伝えると、向こうからも呼応する言葉が返ってきて、いやぁ同志だ、同志と引き合わせてくださったーと、おてんとさんに感謝した。長いこと足止めして、立ち話で話し込んでしまった。

やっぱり、人間は、動物は、活動して、運動して、なんぼだなぁ。もうないんだろうなぁとゼロを入れていたところ、ふいに、それがイチに切り替わることが巡ってくる。それによって自分の世界は一気に彩りを与えられる。この世界は、去るにはあまりにも尊いし、この人生で私が出会えた人たちは、あまりに魅力的なのだった。

2022-07-07

高校生にキャリア「話のまくら」ばなし

昨年の夏は、縁あって大学の授業でキャリアデザインの話をした。それは事前収録して編集したものを動画配信する形式だったが、後に視聴してくれた数百人に及ぶ学生たちのアンケートの声をもらい、あぁ自分が伝えたかったことを受け取ってくれたんだな、それを刺激にしてそれぞれに自分のキャリアについて考えるところをもってくれたんだなと、ありがたく読んだ。

その中で一番笑ったのは、私のことを「森先生」と書いているコメントだったが(私は「林」だが、一つ「木」を盛ってくれたようだ)、一番印象に残っているのは「自分は社会に出たらバリバリ働きたいと思っているので」というコメントだ。この実在が、ずっと胸に刻まれて1年が経った。

そして今夏、別の方面からご縁をいただいて、今度は高校生向けにリアルタイムのオンライン授業で話すこととなった。進学塾の特別プログラムで、受講を選択した高校生(と中学生)が参加している。私は6回目の授業、「テクノロジ時代の働き方、キャリアの作り方」というお題をもらった。平日の晩、2時間の枠だ。

骨となる部分は、昨年大学生に話した「キャリアデザインを始める前に知っておくと良さそうなこと」と共通シナリオで依頼主の意向に沿いそうだったので引き受けたのだが、いざ日が迫って準備に取りかかると「今回の高校生に向けて」「いま私が伝えたいこと」というのがむくむく湧き上がってきて、全体をどう構成立てるか、どういう言葉で伝えるか、どういう例示なら最も伝わるだろうか、何を考えてもらう問いが意味をもつか、それに対してどういうフィードバックをしたら本当に伝えたい核心を腹落ちしてもらえるだろうかと四苦八苦。数週間前から週末は準備に明け暮れることとなった。

でも、なんか良い時間だったな。一人でうんうんうなった準備時間も、もちろん当日みんなとご一緒できた時間も。画面越しとはいえ、やっぱりリアルタイムで交流できるのは格別のものがあるし。事後に今回もアンケートの声を読ませてもらったけれど、私が伝えようとしていたことを汲み取ってくれ、また真正面から受けとめて自分のキャリアについて考えてくれているコメントに触れて、ありがたいなぁと思った。

昨年に大学生向けに話したときから私がとみに関心を強めているのは、「社会に出たらバリバリ働きたいと思っている」若者に対して、今の社会は健全だろうかという点なのだけど、それについて私が考えていることも、今回高校生に、私は今こんなふうに考えていてっていうのを「話のまくら」で共有してみた。

こういう社会動向がデータから読み取れて、私は現状をこう捉えていて、社会が混沌としているというのは例えばこういうことに現れていて、大人はこんなふうに今まさに頭を悩まして試行錯誤しているという現在進行形の実態レポートを、不完全な社会の一例としてお話しする試みをしたかった。

自分の直観に任せて、「今回はこれを話に盛り込みたい」と思うことを、まずは最初にわーっと書き出してみるって、大事だなって改めて思った。少なくとも自分の性に合ったアプローチだなと。

その後で、肉づけしたり省いたり言い換えたりして精度を高めていくプロセスはもちろん必要なんだけど、最初の直観シナリオの素描には、自分の強い思いとか信念とか問題意識とか、話し手のエネルギーの塊が入っていて、それは後の整然とした本論とも、おのずと連関してくるものなんだよな。

それを練りあげてブラッシュアップしていく過程で、「話のまくら」と「本論」はぐっと連関性を深めていくというか、もともと深いところで通底していることに自分が気づいていくというか。結局、自分がまくらで伝えたいことと、本論で伝えたいことって、密接につながっているものなのだった。

それを、まくらでは「今リアルタイムで起きている具体的な現象・動向・問題」で示し、本論では「俯瞰的、理論的、抽象的なコンセプト」に言い換えて繰り返す。そうすると、その反復的な伝え方によって、受け取る側にも本質理解が促されるし、心に届きやすくなる、そういう流れに(勝手に)落ち着くようになっているというか。

まぁ実際にやった話し手としてのパフォーマンスはそんな立派なものじゃなかったんだけど、いったん直観を頼りに描ききってみるっていうのは、やっぱり大事だなぁと認識新たにする機会ともなった。本当にちょっとした袖の触れ合いという時間ではあったけれど、ありがたいご縁に感謝している。

2022-07-02

ポッドキャスト番組にネタ投稿するセッター

最近始まった「古賀・ブルボンの採用ラジオ」というポッドキャスト番組(Spotifyで配信)にネタを投稿したら、なんと読んでもらえた。とても嬉しい。

vol.4 もし短編小説なら要素多すぎの後半、24:20あたりから投稿コーナーが始まるんだけど、その1つ目に読まれたんだ、わーい。

この番組は、デイリーポータルZでおなじみの古賀及子(ちかこ)さんと、コラムニストのブルボン小林(作家名は長嶋有)さんによるトーク番組。

まだ始まったばかりで1〜3回目は同日収録だったので、リスナー投稿を読むコーナーは4回目の今回が初めて。なんだか二人のおしゃべりにセッターとしてトスを上げられたようで、それが嬉しいんだよな。

私は「たなぽた」さん。「読めない漢字の話」というお題に、こういう投稿を送ったんだけど、

中学の同級生に「元如(がんにょ)くん」がいて、へぇ、この漢字「にょ」って読むんだと学び、同時期に「如実(にょじつ)」も覚えたので、もうこの漢字は完全に「にょ」と思いこんで大人になりました。「如才ない」を「じょさいない」と言う人に遭遇しても、相手が間違っていることにして済ませておりましたが、2、3人の「じょ」読みに遭遇してはじめて自分を疑い、調べたら「じょ」が合っていました。正解はわかったものの、中学時代のインプットは強固で、今も「じょさいない」には手が出せず、言葉の採用を避けてしまいます。

「この、たなぽたさんの面白いのはさぁ」とか、自分が送ったネタを起点にして、いろいろおしゃべりを繰り広げてくれるのが楽しいんだよな。「まちがった侮り」とか、おかしい名前をつけてくれたり。

それで思ったんだけど、AMラジオの番組っぽくリスナーにお題出してネタを受けつけるポッドキャスト番組に投稿するの、老後の楽しみにもいいかもしれない。

頭使うし、そんなに長文じゃ読まれないから実質「短く編んだお話づくり」が前提になるし、まれに読まれたりしたらとっても嬉しいし、読まれるか読まれないかゲームっぽさもあって。何より一番に「プチ創作」する行為っていうのがいいんだよな、うん。

老後以前もだけど、別に大作じゃなくていいから、日々の、日常の「創作する」行為を持ち続けるの、ずっとずっと大事にしたいよな。生きるとは、創ることだ。

« 2022年6月 | トップページ | 2022年8月 »