過剰適応なリベラ理解者
え、なんで元々あった価値観Aを全否定しちゃうわけ?Bに完全移行しようとしちゃうわけ?Bを取り入れてAも残して、どちらをも否定せず、各々が自分で選べる自由、表明できる寛容さを確保するところに、多様性を認める社会っていうのが成り立つんじゃないの?と首をひねる案件に出くわすことがある。
昨日の昼さがり、ラジオを聴いていて心ざわついてしまったのが文化放送「ロンドンブーツ1号2号 田村淳のNewsCLUB」の「今週の気になるニュース」というコーナーでのこと。
このコーナーは、まず砂山アナウンサーが、その週に気になったニュースを7つほど取り上げ、新聞記事などから引いて概要を一気に紹介した後、ゲストと一緒にそのニュースを掘り下げていく流れ。主には政治、経済、社会ネタを取り上げるが、毎回最後の1ネタはくだらないものにして和らげる趣向だ。
今回のくだらなネタは、
デイリースポーツから「松丸亮吾、友人がリア充でショック」。謎解きクリエイターの松丸さんがTwitterで、10年前に「女子と何話したらいいか分からん!」って話してた男子校の同級生たちとオンライン通話してたら、僕以外みんな3年以上付き合ってる彼女がいることが発覚した、と呟きました。
これに対してTwitter上でどんなリアクションがあったか、とかも少し続くんだけれど、それは省略するとして、砂山アナの今週の主なニュース紹介を終えて繰り広げられるトークが、私にはものすごい違和感だった。
この日は、週刊文春ウーマン編集長の井崎彩さんを迎えてのトーク。ざっくり、こんな展開だ。
田村淳さん:(苦笑)井崎さん、松丸くん以外のニュースで、気になるニュースありますか?
井崎彩さん:松丸くんの、気になりますね。うちも大学生の息子がいて男子校出身なんですけど、当然のように彼女いないですよね、今。今こんなリア充の人、また、そこ、彼女がいることがリア充とも思ってない、みたいな
田村さん:そうですよね、そっちのほうがなんか、多そうですよね
井崎さん:そうそう、だから意外とエリートの人たちは、私たちの頃の価値観みたいなのでいるのかなって(笑)
田村さん:彼女がいないといけないみたいなツイートにびっくりだなと思って
井崎さん:うん、そうそうそう。
田村さん:別にいなくたっていいじゃんって思って
〜
田村さん:まだこの価値観が残ってるのだなぁ、そりゃ同性婚もなかなか進まないなぁ
井崎さん:そうそうそうそう、そうですよねぇ
たたみかけるように、このトーク展開。無理やりすぎない?リベラルこじらせすぎてない?と後ずさりした。
いや、むしろ松丸くんに「エリート」というラベルをぺたっと安直に貼って洞察する浅薄さが見え隠れして、そちらのほうがきついと思っちゃったのだが。
しかし、どうもTwitter上ではそんなリアクションしている人はいなさそうだったので、私の受け止め方がどこかで屈折しているのかもしれない。
あるいは「あなたは問題の根深さや闇深さをきちんと認識していないから、そんな脳天気なことを言っていられるのだ!」と言われれば、そうか、そうなのかとたじろぐ程度には自分に疑いの目を向ける意志はある。あるのだが。
いや、でもさ、今のところでいうと、なんか「私たちの頃の価値観は古い」として排除していく感じって、おかしいと思うんだよな。どっちもあっていいでしょっていう両者共存、両者肯定の価値観が普及すべきなのであって、「私たちの頃の価値観を今の若者がもっていること」に対して、なぜそれを古いものとして排除しようとするのかなぁって思っちゃうんだよな。
もっと言えば、「私がアップデートしているのに、なんでお若いあなたがアップデートしていないのかしら?」「あら、エリート層ではまだそちらの古い価値観が根強いのかしら?」みたいな圧を感じちゃうんだよなぁ。なんか、優しくないなぁって。私のほうがひねくれてるのか?
ちなみに放送では流れていなかったが、松丸くん本人のツイートを確認したところ、「〜発覚し、震える体を温めながら僕はそっと通話終了ボタンを押した」と書いてあった。別に、彼女がいない人のこと、選んでそうしている人の価値観も否定していないし、社会的にあるべき価値観をこっちだと示すそぶりもない、ただの(私たちから見たら)若者の個人的つぶやきにすぎない、肯定すべきだと叱られる筋合いはないと思うんだけどなぁ。
もてたいとか、つきあいたいとか、彼女ほしい彼氏ほしいと若者が思ったら、口にしたら、その価値観って古いのか?古いって糾弾されるのが社会として目指すところなのかしら。なんだろう、松丸くんのことをよくは知らないが「あなたのような影響力のある人が」みたいな何かが、ついてまわる人なのだろうか。うーん、実に不可解である。
Aが圧倒的な悪、間違いなら話は別だけど、AもいいけどBも認められていいはずというテーマのことであれば、Aだけでもなく、Bだけでもなく、AもBもコンセプトとして肯定しつつ、現実世界ではAとBの間に無限の個別的見解があることをどう選択肢として受け入れていけるかに知恵をしぼるのが人間の知性であり、創造力の発揮しどころちゃうんかい!と思う一市民であった。
なんかなぁ、そういうのちょいちょいあって一人でつまずいては、うーむうーむと考えこんでしまう。バリバリ働きたいという若者には「あなたは間違った古い価値観におかされています」とでも言うのだろうか。いやぁ、うーむ、うーむ。
* 文化放送「ロンドンブーツ1号2号 田村淳のNewsCLUB」6月25日(こちらのリンク先にとぶと、該当箇所からradikoで1週間聴けます)
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