なんか、もやっとしちゃってるんだよな、このニュース。まず4月26日に、
ランドセルの負荷90%減 小学生のアイデア商品が4カ月待ちの大人気 収益で「廃校にゲーム部屋」
という記事がTwitter上をにぎわせて、その記事を読みにいったときに私が思ったことには、賛否両論あった。そう、一人の中にも賛否は両論が展開される、それこそが人間の頭というものだ。
まず賛同意見として、
○小学生が、自分たちが使うものの改良アイデアを出し、それを実際に商品化する機会をもつ
○商品化したものをリリースして、世間の耳目を集め、外からフィードバックを得る体験をもつ
って素晴らしいと思った。
一方で、私はこのアイデア商品と同じ発想で重量負荷を軽減しているキャスター付きバッグで腰を猛烈に痛めたことがあり、医者に行ったところ、キャスター付きバッグは腰を痛めるので使用を止めたほうがいいと指南された経験があったので、
否定的な意見として、
△これは腰を痛めるだろうなぁ
とも思った。
キャスター付きバッグって、ずっとどちらか一方に体をひねって重たいものをひきずるので、すごく腰に負担をかけて姿勢を悪くするのだ。どっちの手で荷物をひきずるかって、どうしても利き手の癖が出ちゃうから、左右バランスよく持ちかえて使うというのも、それこそ子どもだと難しいだろうし。私も以来キャスター付きバッグは使っておらず、これは重たいぞ!と思うものを運ぶときもリュック使いとなった。
他の人のコメントも読んでいくと、批判的なものとしては、次のようなランドセル本来の優位を手放しているとの指摘には、なるほどというところもある。
△両肩に重量負荷を分散できる
△両手があく
△後ろに転んだときに頭を守ってくれる
ただ、やはり、頭ごなしに否定する、批判ではなく非難めいたコメントも多数目に触れることになり、初めての作り手として、これを受け取るのは、きっついことこの上ないだろうとも察した。私だって1週間か1か月か、ぐったりするだろうし、子どもたち作り手の気持ちを案じた。
この記事を読んだときは、そういうあれこれを思って、結局私は、上記の一切をネット上には書かず、ただ、うーむ…と黙り込んでいた。自分的には、さらなる改良を期待して「批判」を含めた発言をしたつもりでも、多くは「非難」とひとまとめにされて受け取られ、「せっかく頑張って作ったというのに、なんでそうやって出鼻をくじくようなことを言うのか!」と思われてしまうリスクが界隈に漂っている。それで終わってしまっては、まったく本意ではない。本意は、なかなか届けるのが難しい。
でも、本当に大事なことって何だろうなって、改めて考えることになった。それは5月30日に、作り手側がまっこうから反撃するリリースを出したからだった。
小学生に大人たちの批判が1000件超【悲しい発売】
ネットの玉石混交・賛否両論の反応を浴びて、一次的に反発の気持ちを覚えるのは当然だと思う。気持ちは十分に察する。でもやっぱり、せっかくの機会をこう落とし込んじゃうのは、何かすごくもったいない気がした。
この2つ目の記事に触れた人たちのSNS上の声も、「全面的にこれに賛同し、作り手を応援する大人たち(批判と非難を分けないで、ネガティブコメントした人たちの一切を否定的にみる向き)」という感じで、そういう対立構造で反発しあっちゃうと先がないなぁって、もやもやしてしまった。
この先ネット社会で「作り手」に立つ以上、大なり小なり否定的なコメントを受け取ることは避けられないだろう。今回のも、耳目を集める発表をできてこそ受け取った反響だ。
否定的なコメントの中には、次に打つべき一手を発想させる「有効な批判」もあれば、中身のない「非難」もある。子どもたちが、この世界で「作り手」として力を発揮していくための魂を養うとすれば、ここでなすべきは、ここでただ感情的に反発したり、全面的に否定的コメントから守ろうとすることじゃないんじゃなかろうか。
気持ちが落ち着くのを十分に待った後でいいから、せっかく集まった1000件のコメントを冷静に見直して、次の4つに分類していく知的活動、知的な武器の取り扱いを学ぶ機会に導くのが大事なんじゃなかろうか。
1.ポジティブ「褒め・プラスα」
2.ポジティブ「賛同、応援」
3.ネガティブ「有効な批判」
4.ネガティブ「中身のない非難」
ネガティブな3、4を一緒くたにして、「なんで頑張ってるのに、そういうネガティブなこと言うわけ!」って跳ねのけちゃうのって、有効な批判をする世間のフィードバックを委縮させちゃう。
社会全体がそういう方向にいっちゃうと、自由闊達に意見言えあえる成熟した社会づくりからどんどん遠のいていってしまうような。それこそ、きれいごと、理想論なのか。もう少し限定的な空間で、そういうことを望むほうが現実的なのかもしれないが、もう少し良い感じで意見交流ができると良いなぁと。
子どもたちには、ゲーム仕立てにして、ステージを構えて、一つひとつクリアしていくようにシナリオ立てて導くとか。開発した商品を一般に広報して売り出す。ここまで来られたら第1ステージクリア。注目してもらえた場合には第2ステージクリア。玉石混交の賛否両論入り混じったフィードバックに一通り目を通し、へんてこなコメントもやり過ごしつつ、心やられずに大漁の収穫があったと受け止められれば第3ステージクリア。だけど「肯定的コメント」に喜んで「否定的コメント」は無視・憤慨するで終わっちゃったら、ここでゲームオーバーやぞ!みたいな。いや、まぁ、ちょっと雑なつくりかもしれないが。
次のステージに進むには、否定的なコメントを丁寧に読んでいって「有効な批判」と「中身のない非難」に分けること。1000件もあったら、自分たちが気づかなかったような視点も見つかるはずで、これは大漁の収穫とも解釈可能なのだ。それを、こうして先に挙げたようなポジ・ネガで4つの箱に分けていこう!とかできると、良い学習ステップにならぬものか。
1、3から次の一手に活かすコメントをピックアップして、その先の改良とか、どう運用(使い方)でカバーするかとかに知恵をしぼれるタフさが育めたら最強だなぁとも思うのだった。「改良班」と「新作班」に分かれて批判コメントをどう活かすか考案できたら、作り手魂養えそうだなぁと。
フィードバックに対して敵対構造を作らないこと、対立軸にもちこまずに有効なものとして内に取り込もうとする構えって大事だと思っていて。あとフィードバックは「人」ではなく「意見」としてみて受け取ること。そういう構えって、頭の面でも心の面でも、けっこう大切かなぁって思うのだけど、言うは易しっていうのはあるんだろうな。ちょっと急ぎ足で書きなぐった感あるけれど、どうも気になっちゃって書き留めておきたかったのだった。
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