わーっと立ち上がってくるときは境界線なんて踏み倒している
4月にちょっとしたテスト問題を作ったのだけど、やっぱりテスト作り、楽しいなぁって思った。回答者の心理をあれこれ推し量りながら、うまいこと誤答しやすい選択肢を作りこみ、簡潔に要点がつかめる解説文を推敲し、原点に立ち返って目的に適っているかの確認、こういうのは実に創造的で職人的なおもしろさを覚える仕事だ。
テストというのは、学校でやるテストじゃなくて、会社でやるテスト。部門のメンバーが業務に使う専門分野の理解度を腕試しするミニテスト。
テスト作り単体でいうと、実質かけた時間は半日程度。ひとり工房にこもって(自宅だが)黙々と作ったようなものなのだけど、この地味な創意工夫の時間が、実に豊かなひとときだった。
その夕方、できたてほやほやのプロトタイプ的なのを関係者にやってみてもらったら反応が良く、結果も意図した通りにはまって、求めていた効果が発揮されることも確認でき、よしよしとプチ達成感を得た。
今回作ったテストは「事前テスト」という位置づけで、次ステップの「勉強会」に呼び込むための踏み台。ミニテストを受けてもらうことで、内心「やばっ、できてない」と思ってもらって、「お、ちょうどいいところに、自分で情報かき集めなくても、教えてくれる勉強会やってくれるんだ、じゃあ効率いいし参加しよっかなぁ」と思ってもらえたら、という設え。
だから、全問正解できる簡単な問題では、その役目を果たせない。とはいえ、知らなくても支障なさそうな問題で打ち負かしても意味がないし、くだらないひっかけ問題で減点したって回答者(=能力開発を支援したいメンバー)との信頼関係を結び損ねるだけ。間違っちゃうんだけど、これは知っておかないとなぁと思えるところに心情を着地する問題かが問われる。
見た感じはあくまでライトに、気軽に受けてもらえるよう5問のみ、すべて択一式、さくっとブラウザ上で答えられるGoogleフォームで用意。
しかし実際に解いてみると満点がとれない。回答後そのまま自分で答え合わせができるようになっていて、短い解説もついている。人の目を気にすることもないので、そのままの流れで採点と解説を読む。すると、へぇ、知らなかったー、でも、これは知っておかないとまずいなぁという気になる。そこに来て、さくっと教えてくれる勉強会が開かれるという。ならば参加しようということになる。
この間コンテンポラリーダンスのパフォーマンスや振り付け、演出など手がける方とおしゃべりする機会があって、それって構想のとっかかりは、「客席」から見た構図の視点から発想が広がっていくのか、「自分」の内側から感受したものに身体的な動きをつけていくところから発想が広がっていくのか、最初どういうふうにイメージが出てくるものなのか?という素人質問をしたら、両方とも同時にイメージが立ち上がってくるという回答があって、うわーすごいなぁと思ったんだけど、翻ってみるとテスト作りのときは私もそうかもって思った(一気に話を戻す…)。
何のためには何が必要かという全体の設えや、受ける人の感情の動きのようなもの、そのためにはどういう作りこみが必要かは、私も同時に立ち上がってくる。小さすぎるか、地味すぎるか、コンテンポラリーダンスと重ねていい話じゃない気もするが、そこは穏便に。
こう立ち上がってきたものを、まずは粗い全体構想としてスケッチして、各要素に分けていって、イベントを時系列に並べたり、それぞれの要件を書き出して、その要件を満たすためには、事前にこういう下ごしらえも必要だなとステップを追加したりして、行ったり来たりしながら体系を詰めていく。
どこまでを実務的に担当できるかは、確かにそのときの自身の立場・役割・環境が関わってくる。だけど、どこまで自分が関われるかに関わらず、全体構想が立ち上がってくるときに、自分の脳内で職域とか職階とか私の担当範囲はここまでとかいう境界線は踏み倒して考えたほうが自然なんじゃないか、そこは止めないほうがいいんじゃないかと思う。
社外クライアントの社員研修プログラムを作っていた頃は、研修単体の予算しか割けないことも多く、勝手にテストを作って取り入れるわけにもいかなかった。何のために、どこをゴールに、誰向けにという分析を手際よくやって、それを足場にして筋の通った研修カリキュラムをいかに短時間で済むよう組み上げて提供できるかという知恵しぼりが求められる。
それでも時にはじっくり関わらせてもらえる案件も巡ってきて、研修前後にテストを組み込んだり、評価のフィードバック、OJTプログラムを組んだり。そこで、こういう(研修単体にとどまらぬ)包括的な組織の人材育成、パフォーマンス向上の施策に、戦略から戦術まで関わることの意義と面白さを覚えた。
これが自社内の事業推進的な役どころに身を移した今、私が動く分には原価が発生するわけでもないし、私が工房にこもって、ここでは勉強会を開く前にテストを組み込むと良さそうだなと勝手に発想して勝手にプロトタイプを作って勝手に提案しても、良ければ「おぉ、いいね、ぜひやろう」っていうぐあいに事を進められる自由を得た。
ここの創意工夫をインストラクショナルデザインの専門性として認めてくれる職場環境ではないけれど、事業推進に貢献することならわりと職域だのセクションだの職階だのの境界線は踏み倒していける往来自在な環境は、野生児には都合がよく好ましい。
繰り返しになるけれど、確かに今の役割・環境だと、職種や職階で自分の立ち回りに制限が加わることは現実的にあるだろうけれど、それっていつ崩れるかわからない不確かなものだ。自分の中に全体構想がうわーっと立ち上がってくるときには、既成の枠組みなんてなぎ倒して、境界線なんて踏み倒してもの考えるのが自然と思う。それはそれで大事にした上で、各工程、各パーツの中身を冷静に詰めていったり洗練させていく部分は、ときには分業して自身の担当範囲を預かり詳細に作りこんでいく。両方そなえて、行ったり来たりの往来は、へんに意固地にならず、自由にしておいたほうが健康的なんじゃないかなと思ったりした。
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