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2022-05-01

妹が見てきた「この世界」の物語り

このゴールデンウィークは、コロナ禍ずっと帰省を控えていた妹が、久しぶりに千葉の実家に帰ってくるというので、私も日を合わせて帰省した。

その日は雨天で風も強く、飛行機が飛ぶか、飛んでも途中で引き返すかもしれないという空模様だったけれど、いくらか遅れる程度で済み、夕方のうちに成田空港に着いた。

私は地元のほうの駅近くで、その報をLINEで受け、そのまま妹を待つことにした。実家に帰って父と一緒に待ってもよかったのだけど、父はすでに晩酌を始めており、これから家を出てくる様子でもない。家にごはんを用意しているわけでもないから、二人で外で食べてきたら?と父も言っている。ならばと駅近くのお店を探して、どこかで妹と二人で晩ごはんを食べてから一緒に実家に帰ろうと企てた。

というのも今回、妹が数年ぶりに帰ってくると聞いて、なんとなくぼんやり、妹から見た、この世界の話、彼女の歩んできた道とはどんなものだったのかを、ゆっくり聴いてみたいなと思いついたからだ。

近いようで遠い、というか、よく考えてみれば小学高学年くらいからは友だちと遊ぶ時間のほうが圧倒的に長くなって、4つ離れた妹とは、そんなに時間をともにしなくなった。大人になってからでいえば、さほどじっくり話しこんだ思い出もない。

会えばたわいのない話を普通に交わす仲だが、とくべつ仲良し姉妹というのでもないし、おたがい独立した人生を歩んできた。母が亡くなるときの壮絶をなんとか乗り越えた共通体験には思い重なるところもあるだろうけれど、それだってやっぱり、かなり各々に母との思い出も違えば、乗り越え方も独自だった。

ここにきてなんとなく、私とさして同じところがないように見える妹から見た、この世界とか、この時代とか、自分の人生をどうやってきたのかとか、彼女はどんな物語を生きているのかといった話を、率直に聴いてみたいと思ったのだった。

これが実に、とっても豊かなおしゃべりとなった。地元の商店街に「こんなところに、こんなオサレなお店が?!」と妹もびっくりな(失礼…)ビストロを見つけたので、そこに妹を呼んで、あれこれつまみながらお酒を酌み交わし、気がつけば3時間ほど話しこんでいた。

まず彼女が笑顔で店に現れて健康な姿を見せてくれたとき、姉というより半分母ごころで喜ぶ自分があって、なんだか不思議な気分になった。それに妹が瓶ビールをついで、ぷはっと飲んでいるのを真正面から眺めるのも、なかなか乙なものであった。

さらに、妹が見てきた世界、妹自身のこと、子どもの頃のことや、大人になる過程で自分のことをどんなふうに捉えて、どんなふうに生きてきたのか、今の仕事のこと、健康のこと、いろーんな話をたくさん聴いた。

いろいろ聴いてみると、案外私のほうが図太いのかもなぁと思えてきたり、まったく違う性格だと思っていたけれど案外こういうところは同じなんだなぁと思えるところが見つかったり。私がもっていたぼんやりした妹の像が、いろんな方角に広がったり、塗り替えられたり、豊かに彩られたりした。

父は、さすがに3時間も話しこんで帰ってくるとは思っておらず、21時過ぎに帰って実家の玄関を開けると、眠たそうな目をしてソファに座って出迎えた。30分かせいぜい1時間、なんかつまんで帰ってくると思っていた。こんなに遅くなるなんて、二人で喧嘩してるのかと思ったと言っていたが、ちょっとすねていたのかもしれない。

翌日は、朝から三人でお出かけだ。この日は終日お天気が良くて、陽は暖かく、風はひやっとさわやか。妹にレンタカーを借りてもらって、彼女の運転で東京までドライブ。京葉道路にのって江戸川を越えていくと、真っ青に広がる空のもと、右手にスカイツリー、左手に雪をかぶった富士山が見える絶景。

首都高を下りると、大手町のビル群を抜け、日比谷から皇居にかけて、まっすぐにのびる大通りを走る。いくらかぐるぐるして辿り着いたのは帝国ホテル。ランチなら入れてもらえるでしょうと、17階にあるビュッフェ形式のレストランを予約しておいた。テーブルを囲むと、三人でたくさんおしゃべり、自然と子どもの頃の思い出話もたくさん話題にあがった。

小学生のとき、私たち一家は夏休みに伊豆大島に行った。そこでみんなでサイクリングしたとき、私は頭にポトっと何か落ちたのを感じて、自転車を止め「なんか頭に落ちた、なんか乗ってる!」と興奮して、頭を前に突き出した。すると母が私の頭の上を確認して「毛虫がいる」と言った。私はもちろん「きゃーっ」っとなって「誰か取って、早く取って!」と涙目。それを意を決してはらおうとしてくれたのは、そのときお母さんだけだったと述懐。すると妹が「そのとき、お父さん何やってたの?」と突っ込む。父は「そんなことあったっけ、笑って見てたかな、うひゃひゃひゃ」と笑う。

私は伊豆大島と言えば、まず「毛虫ぽたり事件」が思い出されるのだけど、もちろん他の面々はそんなこと覚えちゃいない。同じ場所で同じ出来事を体験していても、そのときの体験をどう感覚して、どう解釈して、どんな思い出として記憶しているのか、何を背負って、何を刻んで、何を抱え込んでその後の人生を生きてきたかは人それぞれ全然違う。同じ境遇なり体験なりを持っているからこそ、そのギャップがすごくおもしろい。

数十年前のことなんて、大方忘れている中で、相手は何をどう憶えているか。その話を聴くことで、自分の中では眠らせていた出来事が数十年ぶりによみがえってきたり、記憶が塗り替えられたり、アップデートしたりもして。年を経てから、思い出にひもづく心の交換こをするのって、新しい発見があるなって思う。

そんなこんなで、あれこれ食べて少し落ち着いたところで、妹がローストビーフをもぐもぐ食べながら「お父さん、もうお腹いっぱいなの?早くない?」と尋ねる。すると父が「お腹いっぱいっていうか、娘二人に囲まれて食事して胸がいっぱいになっちゃった」と口にした。あぁ、この時間を一緒に過ごせて良かったと思った。

そのうち、お店の人がイチゴのショートケーキにロウソクを立てて持ってきてくれた。妹の誕生日が近かったので、予約時に伝えておいたのだ。店のデジカメで写真も撮ってくれて、すぐにカラー出力してカードに入れてプレゼントしてくれた。妹もすごく喜んでいて、ほんと良かったなぁと思った。

せっかくなので母にもインペリアル気分を!ということで、帝国ホテルの地下に入っている日比谷花壇で、その後に行くお墓参りのお花を買うことにした。真っ白とピンクのカーネーションに、黄色いアルストロメリアというユリの花を合わせた。

帝国ホテルを出た後は、少し皇居外苑の北の丸公園を歩いて森林浴。私は昔から大木を見るとテンションが上がる(Instagram写真)のだけど、そこらじゅう樹齢いくらだろうという先輩たちに囲まれて、青い空に新緑がまぶしく映えて、人の混雑もなくて、家族でのんびり散策できて、たいそう元気をもらって帰ってきた。今回はまた独特の、家族の時間を過ごせたな。

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