赤と青とエスキース、作る心、作り手の心
この小説は、読んで良かったなぁ。青山美智子さんの「赤と青とエスキース」。そろそろ小説が足りないと体がピコピコ言いだしたので、気分で手に取ってみた。紹介文もレビューも読まず、ページをめくり出す。恋愛小説?と思いきや、それで終わらない。短編集?と思いきや、次へ、次へとバトンを渡しながら、「エスキース」と題する絵の存在、「エスキース」を描く行為の奥行きが深まっていく。
エスキースとは、下絵のこと。画家が本番を描く前に、いったんイメージを落とし込むものだそう。「漫画でいうネームみたいなことか」というセリフが出てくるが、画家や漫画家にかぎらず「作る」という行為に勤しんでいる人であれば、自分の活動でいうと「あの時間、あの工程か」と結びつけられる下準備のプロセスはありそうである。
そして、それは「作る」という行為の中で本来的に最もいきいきとする時間、作る面白さを覚える工程の一つではないかしら。
この小説には、そういう作り手の心の躍動が、丹念に書き表されている。私はそこに一番惹かれた。
画家は、こう言う。
構図を考えてるんだ。君をどれくらいの大きさに、どんなふうに紙にのせようかって。実際に描く前に、イメージの中で遊ぶのが好きなんだ。たぶん、このときが一番、頭の中で完璧な傑作が出来上がってる。
漫画家は、こう言う。
体感的には、ここが一番おもしろいよな。頭ん中にあるイメージが、わあっと手からあふれ出てきて、紙の上で踊りはじめて。誰があーしてこーして、こう言って、こういう構図で、場面展開でって。描き直しなんか何度だってきくから失敗したってかまわねえ。自由に鉛筆を走らせて
私は芸術作品を作っているわけじゃないけれど、何かを構想するときには、とりあえず粗い図を描くとか、ざっくり言葉に書き起こしてみるというのは、よくやる。いったん頭の中に漠然とあるものを、自分の外に出してみて、いくらかでも具体的な形を与えて観察できる状態にしてみる。そうすると必ず「粗いな」「ちょっと違うな」「こうじゃなくて、こういう軸の引き方もあるかな」など自分突っ込みが入る、入らないことがない。それで書き足したり、書き直したりする。作るって、こういう時間のことだよなと思う。
何の作り手であれ、丁寧に何かを作っていく過程では、「本番を作る前に」とわりきって、「描き直しも書き直しも上等よ」とわりきって、人の目を気にせず自由に、下絵を描くという過程をもっているものなのだよな。
「できるだけ効率的に」「最初から本番と思って、うまいこと一回で」なんて思わずに。それって、より良いものを作るためにって作用を期待するところもあるけれど、もっと根本に立ち返ると「作る」という活動の本来的な面白さをはずさない、とりあげないってことなのかもって思った。
でもね、描いているうちに、自分でも予想できないことが起きるんだ。筆が勝手に動いたり、偶発的な芸術が生まれたり。思ったとおりにすらすら描けたらそりゃあ気持ちいいだろうけど、どちらかというとそっちのほうがおもしろくて、絵を描くことがやめられない。たとえ完璧じゃなくても
奔放に、無邪気に、面白がって、描き散らかしてみる、描き直したかったら何度でも描き直せばいいというスタンスで下絵を描く。そうすることで、偶発的な何かに出会う。描き出さなければ、その偶発性には出会えないし、最初から「本番」と思って描き出せば、その偶発性を快く受け止めることはできないだろう、無視して強行突破してやり過ごしてしまうのではないか。
形にして見せないと、知ることもできない
額の職人が放つ一言が、なかなか丸ごとわかったと言えるには至らぬまま。だけど、誰かに見せるのじゃなくて、まずは自分に対して「形にして見せないと、知ることもできない」というのは体験的にすごく腑に落ちる。まずは、そこから。
不思議なことに絵画は、たくさんの人に見られて、たくさんの人に愛されていくうちに、勝手にどんどん成長していく気がするのだ。描き手から離れたあと、自ずと力がついていくような。あれはなんなのだろう。芸術作品はみな、人々の目に映ること、心に住むことで、息吹いていくものなのかもしれない。発する側ではなく受けた側が何かに込める祈りや念のようなものを、私はシンプルに感じ取っている。
作品が作品を呼ぶ。誰かの作る行為が、誰かの作る行為を連鎖的に作り出していくこと。そのことの尊さを思う。小説も、そうだろう。私はこの小説を「受けた側として」、自分が何を祈り、何に尽くしたいと思っているのかを感じ取った。私はやっぱり、作り手のサポーターとして尽力したい。私のこの熱を、どう形にしていいかは、いまだ手探り状態のままだけど、エスキースを描きだす手を止めてはならない。
*青山美智子「赤と青とエスキース」(PHP研究所)
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