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2022-04-01

海色の「顔出しパネル」を彼女に

1996年8月のお盆明け、だから今から25年ほど前にさかのぼるが、彼女と私はデジタルハリウッドという会社に同日入社した。おたがい社会に出たばかりのひよっこで、猫の手も借りたいほど忙しすぎた創業2年目のデジハリに、ころりんと転がりこんだのだ。

当時のデジハリは、御茶ノ水駅から神田川を背に坂をくだっていった先の淡路町の界隈にあった。親会社や兄弟会社が半径数十メートル以内のビルに点在していて、センタービルだ、東誠ビルだ、MHビルだ、何か会を開くときは龍名館のセミナールームだと、用事に応じて淡路町内を行ったり来たりしていた。

彼女と私はビルが違ったので、おたがいを認識するのはもっと先のこと、同日入社だったと知るのなんてもっとずっと後のことなのだけど、あのとき確かに「淡路町の一角で同じ空気を吸っていた」という感覚は、年を経るごとに深まっていく。

その彼女が、この3月末でついに退職すると聞き、びっくりたまげた。私は丸4年勤務した2000年夏に退職したのだけれど、彼女はその後もずっとずっと残って四半世紀にわたるデジハリの発展、スクール事業にとどまらず大学の立ち上げや運営までをも、中核も中核メンバーとして支え続けてきたのだ。

とはいっても契約を変えて4月からも継続的に関わっていくようなので、その辺は心配ご無用なのだが、それにしたって大きな節目。久しぶりに会って一緒に食事をしようということになった。また、その際オフィスで待ち合わせて、フロアで一緒に写真を撮ろうと、彼女から誘いがあった。

それがなんだかすごく嬉しくて、ありがたくて、せっかく久々に直接会えるのだし、そんな節目に一緒に写真を撮れるのだから、これは何か、私なりの思いを私なりの形にして持っていきたいと思案した。

それで思いついたのが、顔出しパネルである。よく観光地においてある、あれがぱっと思い浮かんだのだ。お手製の顔出しパネルを作ってだな、そこから二人で顔をひょいと出して一緒に写真を撮るのだ。

大きな模造紙の真ん中を、二人がちょうど顔を出せるくらいの大きさの円にくり抜く。

円の周りは、海の色で彩る。私たちが入社した当時、親会社だった研究所が3Dで描いたクジラを、グラデーション美しい海の中へ泳がせていたイメージが頭に浮かんだからだ。

海は、千代紙をちぎって作る。小さくちぎって散りばめた千代紙の一枚一枚が、彼女がこの四半世紀をかけてデジタルハリウッドで経験したこと、思い出の数々というわけだ。たくさん、たくさんの思い出で、海を描こう。

正直言えば、その海にクジラを泳がそうだとか、当時の初代ロゴを中央にでっかく配置しようとか、いろいろ考えたのだが、圧倒的に絵心もデザイン力もなくて、そういう技量が一切ない。そんな私でも、ひたすら頑張ることによって思いが形になる「海のちぎり絵」作りに専念するに至ったのだった。

なんといっても「ちぎり絵」には失敗がない。ぐぐった先の、シニアにおすすめ趣味講座の案内文に、そう書かれていた。なんてたのもしいメッセージ、美術おんちの私の心をわしづかみした。

そうだ、これは絵心もデザインセンスもない私が、それでも私なりに頑張って作るところに、私らしさが出るのだ。ちぎった紙の数だけ、貼った紙の数だけ、それがいかに不器用な仕上がりだろうと思いは届く、物理的には伝わる、それがちぎり絵だ。

と自分勝手に納得して、必要なものを洗い出し、世界堂でコンパスやら千代紙やら模造紙やら買い出しして、帰宅するや模造紙に大きな円を描き、ハサミでチョキチョキ円型にくり抜き、せっせと千代紙をちぎっては、のりでペタペタ、メッセージは背景の海色に映える色紙で文字の形にして、あれやこれや。やればやるほど自分の不器用さを思い知らされて笑ってしまう。

当日、それと花束を大きな袋に入れて静まりかえったフロアを訪ねると、「まりちゃーん」と、すぐに彼女が迎え入れてくれた。本当に久しぶりの再会。おつかれさまでした!と言って、花束を渡す。

会社の中の人にお願いして、花束を手に彼女と私のツーショットで写真を撮ってもらう。数枚撮ってもらったところで、「あともう1枚、いいですか」と二人に背を向け、椅子においておいた大きな袋の中をがさごそ。「えーと、処女作なんですけど、写真用にね、顔出しパネルを作ってきたので、これに二人で顔出して写真を撮れたらなって思って」と、思い切ってバッと模造紙を広げてさらす。

いやぁ、ドン引きされなかった、(たぶん)喜んでくれた。写真とってくださった方も、近づいたり一歩下がったりしながら撮ってくれて、顔も(たぶん)ひきつっていなかった、優しい人だ。

さぁ、撮影を終えたら顔出しパネルはささっとしまって小川町にあるカジュアルなビストロへご案内。お店に向かいながら、御茶ノ水から淡路町のほうへ、昔の通勤路だった坂をくだっていく。淡路町時代の思い出話をしながら、夕刻の町並みを一緒に歩いた。

スパークリングワインで乾杯。ずーっと昔の話も、ごくごく最近の話も、これからの話も、くだらない話から大事な大事な話までごたまぜに行ったり来たりして話し込む。とっても、とっても豊かな時間。私はやっぱり、私の五感を通して直接に感触できるものをこそ第一にして、かぎりある人間1.0の人生を味わっていきたいと思い新たにする。

人の入れ替わりが激しい中にあって、90年代に創業した会社に勤め続け、内外のすさまじい変化と自身に期待される役割の大きな変化に実直に芯をもって応えてきた彼女に、心から拍手を送りたい。

また、これから新しいつきあいもできそうで、すごく嬉しい。歳をとるって、こういうところに醍醐味がある。ある時期、同じ空気をともにした人と、しばらく全く離れて過ごす時期が流れるんだけど後に、それぞれの人生経験を持ち寄って再会して、すごく豊かな時間、新たな関係がもてるってことがあって。それはまぁ多くの出会いのうち、ごくわずかでしかないんだけど、そういう体験は歳をとって味わえる人生の醍醐味だなぁって思う。

あぁそれにしても今日、会った日に撮った顔出しパネル写真をもらって見てみたら、思った以上に幼稚園児かって作品レベルで、見た瞬間に私がドン引きして笑ってしまった…。やれやれ。

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