小瓶の水を差し替えてくれる人たち
ひと月前に姐様からいただいた花束、主役らが退場した後のみんなの息が長くて、我がごとのように励まされる。えぇ、えぇ、小瓶の水の差し替えだけで静かに健やかに生きていきますぞ。このひと月、ひょんなきっかけも重なって立て続けに水を差し替えてくれる人たち現る、ありがたみ深し。
3月から4月にかけて、ふらり、ふらりと予定が入り、立て続けにいろんな人と会って、おいしいゴハンをつまみながら話しこむ機会に恵まれた。春ってこともあるんだろう、いや春になったから、かな。
週一ペースでってくらいなのだけど、ふだん本当に「自分の名前を知る人」と対面することがない暮らしぶりなので、あぁ私を知っている人ってこの世界にいたんだなという感慨からして、ありがたみが深い。
しかも世界に存在するだけでなく、私と会うのに表に出て店までやってきてくれているというのは、それがどれほどの暇つぶしだったとしても、何かのついでだったとしても、口がすべって約束しちゃったということであったとしても、ありがたい。しかも会えばそこそこ遠慮なくべらべらと話しこんでしまうので、時間もけっこう使わせてしまっている。
まぁそこまでぐにゃぐにゃ考えなくてもいいんだろうけど、そうだとしてもありがたいって思っちゃうくらいの心境なんである。こんな時間が生きている間にまた自分の人生に巡ってこようとは。
春って、やっぱり、なんかエネルギーを生命に与えるものだなぁ。最近、早朝に駅で寝っ転がっている人もよく見かけるようになった。春だなぁ、生き物だなぁって眺めている。これでまたしばらくやっていけそう。
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