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2022-04-28

「Web系キャリア探訪」第39回、語られがたい光

インタビュアを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第39回が公開されました。今回はSBテクノロジーでWebフォントサービス「FONTPLUS」を手がけ、エバンジェリスト(またの名を「フォントおじさん」)としても知られる関口浩之さん(の裏の顔?というか、今日に至るまでの分厚いキャリア)を取材しました。

「50歳を過ぎたら知見の伝承を」Web黎明期を支えた“フォントおじさん”が長年働いて気づいたこと

関口さんの講演を以前に拝聴したことがあって、私のような門外漢でも、お話を聴く数十分のうちに「フォント」への関心がぐいっと引き上げられるのを感じて、これがエヴァンジェリストの手腕かぁと感心してしまったのが数年前のこと。

表層的なプレゼンの巧さっていうのではなくて、ほんと(あ、ダジャレじゃなくて)フォントへの造詣が深くて、一つひとつの書体の個性にも通じていて、それぞれを愛情豊かに紹介する雄弁さも人並みはずれていて。

その一方、私たち聴衆に向ける表情は好奇心旺盛な少年そのもの、ずっとにこやか&なごやかで、会場中みんなが快く関口さんの語りに巻き込まれていく舞台パフォーマンスには、ものすごいインパクトがありました。

そのイベントの懇親会で少し立ち話をさせていただいたのですが、当時は定年を間近に控えていらした時期だったかな、それまでの激動のキャリアにも話がおよび、ぜひゆっくりお話をうかがえたらなぁと思っていた方だったのです。そんなわけで、この度そのものずばりキャリアについて取材させていただく縁に恵まれて、記事としてシェアできることを大変うれしく思っています。

あれから数年が経ち、現在はすでに定年を迎えられて、SBテクノロジーには嘱託社員という契約に切り替えてお仕事されていますが、今も超ご活躍。SBテクノロジー在籍27年をひも解き、1995年からビジネスプロデューサーとして数々の新規事業を立ち上げ、今に至るまでのキャリア変遷をうかがいました。

記事内の「二人の帰り道」にも書いたように、旺盛な好奇心が底力として働いてきたのであろうなぁと強く思う次第なのですが、そうした少年の魂と同居するようにして関口さんに一貫して感じられるのは、人・こと・ものに真摯に向き合う姿、それをすごく大事にしていること。

その心持ちが、関口さんの包容力、にとどまらず、深い洞察力や、多方面への目配せ力、いろんな人を巻き込んだり巻き込まれたりする中での事業推進力やチーム統率力、関わる人・こと・ものの全部を有機的につないで事業を軌道にのせていく、もう一つの底力としてずっと働いてきたのだろうことが察せられました。

関口さんも記事内で、専門職へのコンプレックスがあったと言及されていますが、上に書いたような働きというのはなかなか具体的な言葉が追いつかなくて、周囲もそこに専門性を見出して褒めたり評価したりというのが、その場で直接的には難しかったりする。

けれど関口さんだからこそ場面場面で人から引き出せたこと、目配せできたこと、あって気づいたけど口にせず相手を信じて待ったこと、誰かの訴えを咀嚼して別の誰かに翻訳してうまく伝えられたこと、一見つながらない何かと何かを結びつけて発想できたこと、リスクを前もって回避できたこと、いろんな壁を乗り越えて前進させられたことが、これまでにたくさんたくさんあったんだろうなって思うのでした。関口さんがそこにいなければ、そうは成らなかったということが。

結局私も「なんとなく、そう思いました」にとどまっているのが、まったく力不足なわけですが…。でも、誰に認められるか、どれだけ多くの人に認められるかって話とは別に、「こういう役割を果たせた」って自分で自分を認められるキャリアの満たされ方もあるんじゃないかって思っていて、そういう充実感を関口さんの笑顔に覚え、勝手に受け止めながらお話をうかがいました。

いろんな世代、いろんな職種の方に、何か思ったり思い出したり、考えたり感じたりするきっかけをお届けできるんじゃないかなと願っています。自分がごきげんに仕事を楽しめるように、深い自己理解のもとにキャリアを舵取りしてこられた軌跡も読みごたえあり。ぜひお時間よろしいときに、ご一読いただければ幸いです。

2022-04-24

赤と青とエスキース、作る心、作り手の心

この小説は、読んで良かったなぁ。青山美智子さんの「赤と青とエスキース」。そろそろ小説が足りないと体がピコピコ言いだしたので、気分で手に取ってみた。紹介文もレビューも読まず、ページをめくり出す。恋愛小説?と思いきや、それで終わらない。短編集?と思いきや、次へ、次へとバトンを渡しながら、「エスキース」と題する絵の存在、「エスキース」を描く行為の奥行きが深まっていく。

エスキースとは、下絵のこと。画家が本番を描く前に、いったんイメージを落とし込むものだそう。「漫画でいうネームみたいなことか」というセリフが出てくるが、画家や漫画家にかぎらず「作る」という行為に勤しんでいる人であれば、自分の活動でいうと「あの時間、あの工程か」と結びつけられる下準備のプロセスはありそうである。

そして、それは「作る」という行為の中で本来的に最もいきいきとする時間、作る面白さを覚える工程の一つではないかしら。

この小説には、そういう作り手の心の躍動が、丹念に書き表されている。私はそこに一番惹かれた。

画家は、こう言う。

構図を考えてるんだ。君をどれくらいの大きさに、どんなふうに紙にのせようかって。実際に描く前に、イメージの中で遊ぶのが好きなんだ。たぶん、このときが一番、頭の中で完璧な傑作が出来上がってる。

漫画家は、こう言う。

体感的には、ここが一番おもしろいよな。頭ん中にあるイメージが、わあっと手からあふれ出てきて、紙の上で踊りはじめて。誰があーしてこーして、こう言って、こういう構図で、場面展開でって。描き直しなんか何度だってきくから失敗したってかまわねえ。自由に鉛筆を走らせて

私は芸術作品を作っているわけじゃないけれど、何かを構想するときには、とりあえず粗い図を描くとか、ざっくり言葉に書き起こしてみるというのは、よくやる。いったん頭の中に漠然とあるものを、自分の外に出してみて、いくらかでも具体的な形を与えて観察できる状態にしてみる。そうすると必ず「粗いな」「ちょっと違うな」「こうじゃなくて、こういう軸の引き方もあるかな」など自分突っ込みが入る、入らないことがない。それで書き足したり、書き直したりする。作るって、こういう時間のことだよなと思う。

何の作り手であれ、丁寧に何かを作っていく過程では、「本番を作る前に」とわりきって、「描き直しも書き直しも上等よ」とわりきって、人の目を気にせず自由に、下絵を描くという過程をもっているものなのだよな。

「できるだけ効率的に」「最初から本番と思って、うまいこと一回で」なんて思わずに。それって、より良いものを作るためにって作用を期待するところもあるけれど、もっと根本に立ち返ると「作る」という活動の本来的な面白さをはずさない、とりあげないってことなのかもって思った。

でもね、描いているうちに、自分でも予想できないことが起きるんだ。筆が勝手に動いたり、偶発的な芸術が生まれたり。思ったとおりにすらすら描けたらそりゃあ気持ちいいだろうけど、どちらかというとそっちのほうがおもしろくて、絵を描くことがやめられない。たとえ完璧じゃなくても

奔放に、無邪気に、面白がって、描き散らかしてみる、描き直したかったら何度でも描き直せばいいというスタンスで下絵を描く。そうすることで、偶発的な何かに出会う。描き出さなければ、その偶発性には出会えないし、最初から「本番」と思って描き出せば、その偶発性を快く受け止めることはできないだろう、無視して強行突破してやり過ごしてしまうのではないか。

形にして見せないと、知ることもできない

額の職人が放つ一言が、なかなか丸ごとわかったと言えるには至らぬまま。だけど、誰かに見せるのじゃなくて、まずは自分に対して「形にして見せないと、知ることもできない」というのは体験的にすごく腑に落ちる。まずは、そこから。

不思議なことに絵画は、たくさんの人に見られて、たくさんの人に愛されていくうちに、勝手にどんどん成長していく気がするのだ。描き手から離れたあと、自ずと力がついていくような。あれはなんなのだろう。芸術作品はみな、人々の目に映ること、心に住むことで、息吹いていくものなのかもしれない。発する側ではなく受けた側が何かに込める祈りや念のようなものを、私はシンプルに感じ取っている。

作品が作品を呼ぶ。誰かの作る行為が、誰かの作る行為を連鎖的に作り出していくこと。そのことの尊さを思う。小説も、そうだろう。私はこの小説を「受けた側として」、自分が何を祈り、何に尽くしたいと思っているのかを感じ取った。私はやっぱり、作り手のサポーターとして尽力したい。私のこの熱を、どう形にしていいかは、いまだ手探り状態のままだけど、エスキースを描きだす手を止めてはならない。

*青山美智子「赤と青とエスキース」(PHP研究所)

2022-04-18

怒りに優しく、大切にしたいものを観る

怒りについて、話を聴いていた。こんなことがあって、どうにも怒りがおさまらなくて、その感情を落ち着かせるのにけっこう時間がかかって、何日も消えなくて、そのうちいつまでもこだわり続けている自分に嫌気が差してきて。

私はその話を、その心をさするように聴いた。聴いているとき、人が「怒り」を感じているときに注意を向けている対象とは何かという佐渡島庸平さんの著書(*1)の中の一節が、頭に浮かんだ。予防医学研究者の石川善樹氏によれば、

「怒り」というのは、大切なものがおびやかされることに注意が向いている状態だそうだ。自分の価値観が否定される、というときに怒りはわきやすい。また「悲しみ」は「ないもの」に注意が向いている状態だという。

話を聴きながら、あぁだから私はこの怒りを、静かに心さするようにして受け止めたいと思うのだなぁと合点がいった。その人が大切にしたいものが話の中に汲み取れたし、それが尊いものだと私も価値観をともにしていた。暗黙的であれども、吐露される感情とともに、語られぬその人の価値観も汲みながら、人の話って聴いているものなんだなと思った。

その怒りは悪くない、とがめなくていい。感情そのものに、いいも悪いもないし、怒りを感じる自分そのものを否定しにかからなくていい。どう対処するかは別として、そこに生まれた怒りは尊いものとして認めていいんじゃないか。そう思いながら、大事に話を聴いた。

先の本には、こんな一節もあった。

感情の中に、感じてはいけないものはない。ずっと幸せを感じているのがいい、とも限らない。むしろ、たくさんの感情を感じたほうがいい。避けたほうがいいのは、一つの感情に浸って、ずっとその感情に支配されてしまうことだ。全ての物事に複数の解釈が可能なように、感情が一つに支配されているというのは、解釈が固定化されているということ。全ての感情は、ヒトが生き延びるために大切な感情で、全てを感じているほうがいい。

一つの感情に飲み込まれずに、複数の感情を、複数の解釈を、複数の視点をもてればいい。ほんと、そう思う。

佐渡島庸平さんは、怒りに限らず「感情」について、こんな表し方をしている。

感情とは、自分が今、何に注意を向けているのか、を自覚するツールだということができる。

そして次のように、いろいろな感情を挙げて、それぞれ「人が何に注意を向けている状態か」を提示している。


  • 不安:わからないものに対して、注意が向いている
  • 恐怖:手に負えないものに、注意が向いている
  • 悲しみ:無いことに、注意が向いている
  • 怒り:大切なものがおびやかされることに、注意が向いている
  • 喜び:獲得したことに、注意が向いている
  • 安らぎ:満たされていることに、注意が向いている

鈴木伸一氏「不安症をどのように凌ぐか 不安の医学」第23回都民講演会(2016)を参考にしているとのこと。

左に並べた感情を覚えたとき、右側を問うてみる。「自分が何に注意を向けているか」を探り当ててみる。そういう観点で解釈を試みることで気持ちはほぐされ、一つの感情に飲み込まれた状態から解放できるのではないか。感情の選択ができるようになるのではないか。最初に抱いた感情をすっかり手放すことは難しいかもしれない。けれど、

一つの出来事に対して、たった一つの感情にしかなれないことはない

として佐渡島さんは「複数の感情をもって、対象を見るクセをつけるようにする」ことを勧める。複数の感情で、その出来事を受け止められるようにできれば、だいぶ風通しが良くなる。けっこう使えそうではないかしら。怒りに優しく、感情に優しく。

*1:佐渡島庸平「観察力の鍛え方 一流のクリエイターは世界をどう見ているのか」(SBクリエイティブ)

2022-04-17

夜更けのバーテンと馴染み客の会話

都心の路地裏にあるオーセンティックバーで、夜更けまで友人と語らう。友人がお手洗いに席を立ったところで、逆側に座っている男性客の声が耳に入ってくる。歳の頃は50代半ばくらいか。ここは馴染みの店のようで、カウンターの中の店員さんに「B-29」ってカクテルを知っているかと問うている。知らないと返す彼女に、男性客はカルーアとなんとかとなんとかとで作るんだとレシピを披露する。私は前を向いたまま、その会話を聞くともなく聞いている。

店員さんが男性客に、召し上がります?と尋ねる。あぁ、そうしようと男性客は応じる。店員さんは、カウンターの中央で立ち働くバーテンの女性に近づいていって小声で確認をする。B-29って、ご存じですか?というぐあいに。

バーテンの女性は、知るとも知らぬとも反応を示さぬふうのまま、すーっと奥へ消えていく。私は彼女が現れるのを待つともなく待って、前に並ぶお酒のボトルを見るともなく見つめて過ごす。

ほどなく、バーテン女性がカウンターに戻ってくる。私の前を通り過ぎ、一番左端に座る男性客の前まで行って、B-52、ですかね?あれとこれとそれで作る、とレシピをそらんじて穏やかに語りかける。男性客は、あぁーそうだそうだと応じる。バーテンさんは、ふふ、B-29だと爆撃機になっちゃう。男性客も、本当だ、本当だ、B-29じゃ爆撃機だよ。

これがオーセンティックバーのバーテンと客の会話か…と、私は静かに聞き耳を立てつつ、目線を正面のままとする。ここで身動きをしては、この会話に反応していることがばれてしまう。バーの客しろうとは、この会話に立ち入らぬほうが安全だ。なんとなく、そう思って、姿勢を固定する。でも、ちょっと口角があがってしまう。

翌朝ふいにそのことが思い出されて、B-52についてぐぐってみる。するとB-52もアメリカのボーイング社の爆撃機の名前由来だった。オーセンティックバーのバーテンと客の会話。しばし、その場に居合わせた隣席の客として添える気の利いた一言選手権を脳内で催してみたが、なかなかいいセリフが思いつけない。口を開かないのが、やはりスマートということなのか。こういう日が、たぶんあっていい。日常の一コマに、きっとあっていい。

2022-04-11

小瓶の水を差し替えてくれる人たち

ひと月前に姐様からいただいた花束、主役らが退場した後のみんなの息が長くて、我がごとのように励まされる。えぇ、えぇ、小瓶の水の差し替えだけで静かに健やかに生きていきますぞ。このひと月、ひょんなきっかけも重なって立て続けに水を差し替えてくれる人たち現る、ありがたみ深し。

Instagramにあげた写真

3月から4月にかけて、ふらり、ふらりと予定が入り、立て続けにいろんな人と会って、おいしいゴハンをつまみながら話しこむ機会に恵まれた。春ってこともあるんだろう、いや春になったから、かな。

週一ペースでってくらいなのだけど、ふだん本当に「自分の名前を知る人」と対面することがない暮らしぶりなので、あぁ私を知っている人ってこの世界にいたんだなという感慨からして、ありがたみが深い。

しかも世界に存在するだけでなく、私と会うのに表に出て店までやってきてくれているというのは、それがどれほどの暇つぶしだったとしても、何かのついでだったとしても、口がすべって約束しちゃったということであったとしても、ありがたい。しかも会えばそこそこ遠慮なくべらべらと話しこんでしまうので、時間もけっこう使わせてしまっている。

まぁそこまでぐにゃぐにゃ考えなくてもいいんだろうけど、そうだとしてもありがたいって思っちゃうくらいの心境なんである。こんな時間が生きている間にまた自分の人生に巡ってこようとは。

春って、やっぱり、なんかエネルギーを生命に与えるものだなぁ。最近、早朝に駅で寝っ転がっている人もよく見かけるようになった。春だなぁ、生き物だなぁって眺めている。これでまたしばらくやっていけそう。

2022-04-01

海色の「顔出しパネル」を彼女に

1996年8月のお盆明け、だから今から25年ほど前にさかのぼるが、彼女と私はデジタルハリウッドという会社に同日入社した。おたがい社会に出たばかりのひよっこで、猫の手も借りたいほど忙しすぎた創業2年目のデジハリに、ころりんと転がりこんだのだ。

当時のデジハリは、御茶ノ水駅から神田川を背に坂をくだっていった先の淡路町の界隈にあった。親会社や兄弟会社が半径数十メートル以内のビルに点在していて、センタービルだ、東誠ビルだ、MHビルだ、何か会を開くときは龍名館のセミナールームだと、用事に応じて淡路町内を行ったり来たりしていた。

彼女と私はビルが違ったので、おたがいを認識するのはもっと先のこと、同日入社だったと知るのなんてもっとずっと後のことなのだけど、あのとき確かに「淡路町の一角で同じ空気を吸っていた」という感覚は、年を経るごとに深まっていく。

その彼女が、この3月末でついに退職すると聞き、びっくりたまげた。私は丸4年勤務した2000年夏に退職したのだけれど、彼女はその後もずっとずっと残って四半世紀にわたるデジハリの発展、スクール事業にとどまらず大学の立ち上げや運営までをも、中核も中核メンバーとして支え続けてきたのだ。

とはいっても契約を変えて4月からも継続的に関わっていくようなので、その辺は心配ご無用なのだが、それにしたって大きな節目。久しぶりに会って一緒に食事をしようということになった。また、その際オフィスで待ち合わせて、フロアで一緒に写真を撮ろうと、彼女から誘いがあった。

それがなんだかすごく嬉しくて、ありがたくて、せっかく久々に直接会えるのだし、そんな節目に一緒に写真を撮れるのだから、これは何か、私なりの思いを私なりの形にして持っていきたいと思案した。

それで思いついたのが、顔出しパネルである。よく観光地においてある、あれがぱっと思い浮かんだのだ。お手製の顔出しパネルを作ってだな、そこから二人で顔をひょいと出して一緒に写真を撮るのだ。

大きな模造紙の真ん中を、二人がちょうど顔を出せるくらいの大きさの円にくり抜く。

円の周りは、海の色で彩る。私たちが入社した当時、親会社だった研究所が3Dで描いたクジラを、グラデーション美しい海の中へ泳がせていたイメージが頭に浮かんだからだ。

海は、千代紙をちぎって作る。小さくちぎって散りばめた千代紙の一枚一枚が、彼女がこの四半世紀をかけてデジタルハリウッドで経験したこと、思い出の数々というわけだ。たくさん、たくさんの思い出で、海を描こう。

正直言えば、その海にクジラを泳がそうだとか、当時の初代ロゴを中央にでっかく配置しようとか、いろいろ考えたのだが、圧倒的に絵心もデザイン力もなくて、そういう技量が一切ない。そんな私でも、ひたすら頑張ることによって思いが形になる「海のちぎり絵」作りに専念するに至ったのだった。

なんといっても「ちぎり絵」には失敗がない。ぐぐった先の、シニアにおすすめ趣味講座の案内文に、そう書かれていた。なんてたのもしいメッセージ、美術おんちの私の心をわしづかみした。

そうだ、これは絵心もデザインセンスもない私が、それでも私なりに頑張って作るところに、私らしさが出るのだ。ちぎった紙の数だけ、貼った紙の数だけ、それがいかに不器用な仕上がりだろうと思いは届く、物理的には伝わる、それがちぎり絵だ。

と自分勝手に納得して、必要なものを洗い出し、世界堂でコンパスやら千代紙やら模造紙やら買い出しして、帰宅するや模造紙に大きな円を描き、ハサミでチョキチョキ円型にくり抜き、せっせと千代紙をちぎっては、のりでペタペタ、メッセージは背景の海色に映える色紙で文字の形にして、あれやこれや。やればやるほど自分の不器用さを思い知らされて笑ってしまう。

当日、それと花束を大きな袋に入れて静まりかえったフロアを訪ねると、「まりちゃーん」と、すぐに彼女が迎え入れてくれた。本当に久しぶりの再会。おつかれさまでした!と言って、花束を渡す。

会社の中の人にお願いして、花束を手に彼女と私のツーショットで写真を撮ってもらう。数枚撮ってもらったところで、「あともう1枚、いいですか」と二人に背を向け、椅子においておいた大きな袋の中をがさごそ。「えーと、処女作なんですけど、写真用にね、顔出しパネルを作ってきたので、これに二人で顔出して写真を撮れたらなって思って」と、思い切ってバッと模造紙を広げてさらす。

いやぁ、ドン引きされなかった、(たぶん)喜んでくれた。写真とってくださった方も、近づいたり一歩下がったりしながら撮ってくれて、顔も(たぶん)ひきつっていなかった、優しい人だ。

さぁ、撮影を終えたら顔出しパネルはささっとしまって小川町にあるカジュアルなビストロへご案内。お店に向かいながら、御茶ノ水から淡路町のほうへ、昔の通勤路だった坂をくだっていく。淡路町時代の思い出話をしながら、夕刻の町並みを一緒に歩いた。

スパークリングワインで乾杯。ずーっと昔の話も、ごくごく最近の話も、これからの話も、くだらない話から大事な大事な話までごたまぜに行ったり来たりして話し込む。とっても、とっても豊かな時間。私はやっぱり、私の五感を通して直接に感触できるものをこそ第一にして、かぎりある人間1.0の人生を味わっていきたいと思い新たにする。

人の入れ替わりが激しい中にあって、90年代に創業した会社に勤め続け、内外のすさまじい変化と自身に期待される役割の大きな変化に実直に芯をもって応えてきた彼女に、心から拍手を送りたい。

また、これから新しいつきあいもできそうで、すごく嬉しい。歳をとるって、こういうところに醍醐味がある。ある時期、同じ空気をともにした人と、しばらく全く離れて過ごす時期が流れるんだけど後に、それぞれの人生経験を持ち寄って再会して、すごく豊かな時間、新たな関係がもてるってことがあって。それはまぁ多くの出会いのうち、ごくわずかでしかないんだけど、そういう体験は歳をとって味わえる人生の醍醐味だなぁって思う。

あぁそれにしても今日、会った日に撮った顔出しパネル写真をもらって見てみたら、思った以上に幼稚園児かって作品レベルで、見た瞬間に私がドン引きして笑ってしまった…。やれやれ。

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