自分のキャリアをあらます言葉スケッチ
私の勤め先は、3月末が期の節目。この時期に内示があり、来期の組織改編やら人事異動やらが発表される。私も4月から名刺が変わる見込みだが、今期やっていたことにあわせて配属を少し変えるふうのもの。ただ他にいくらかごにょごにょとしたこともあって、いろいろコミュニケーションをとって認識あわせなどなど。
それとは別に、少し前にぼーっとしていて思い至ったのは、私の仕事というのはこの四半世紀をざっくりみて、20代はB2C、30代はB2B、40代はB2Eに携わってきた感があるなぁというもの。
これ、頭の"B"がBusinessするということだとすると組織のビジネスドメインっぽいから、これを個人のワークドメインってことにすると頭をWorkの”W”に言い換えたほうが適当だろうか。W2C、W2B、W2Eとか、安直か。まぁ、この場かぎり思考をめぐらす道具に使うぶんには、なんでもいいのだが。こういうときにいちいち新語を作って唱和する文化圏と、そうでない文化圏ってあるよなぁと思う今日この頃。
閑話休題。私の仕事というのは、長いこと Learning Design / Direction を軸にやってきたという点では、大きく変わるものではない。
職種なり肩書きなり、配属部署なり、もっと長くみれば勤め先の会社といった所属が変わろうとも、どういう役割を担って、どういう職能を発揮して個人・組織・社会に貢献することを仕事の幹とするかは、自分の中でさほどブレずにやってきた(幹の話なので、個人のキャリア発達支援、組織のパフォーマンス向上、そのときどきで多様に枝葉は伸びて活動にはあれこれあるわけだが)。
ともあれ、その学習を支援する対象というのが、20代は講座提供する中で個人向けに(to Customer)、30代では研修提供する中で法人向けに(to Business)、40代からは勤め先の社員向けに(to Employee)仕事している感があるなと。
20代、個人向けに提供する講座単体の良し悪しはInstructional Designとしておもしろみを感じ、この創造的興奮は今も変わらず感じるところ。一方、30代以降はクライアントから相談をもらって社員研修としてトレーニングを開発するようになり、個人のキャリア発達と、企業の事業発展を双方うまくからめて実現していくHuman Performance Improvement / Consultingが自分の中で重要度を増した。
そこにうまいこと介入して貢献できる仕事をしたいと思って30代を過ごすと、40代に入ってふられた社内の従業員向け能力開発や組織のナレッジマネジメント領域も、やりがいある仕事と思うように変遷した。事業部の中の奥に食い込んで潜入捜査して、直接に長期にわたって、関係を育みながら現場介入しないとどうにもならないことは多分にある。そこは、まだ自分にふがいなさを感じることばかりだけど、ならではのやりがいを見出すことはできている。
上司も組織も、私の仕事をそういう変遷で捉えてはいない。でも、上司が私の仕事をどう認識し、組織が私の仕事をどう位置づけているか、今期がどうで、来期はどう変わるかと関係なく、私自身が会社の仕事をどう認識して意味づけるか、それをどう上司や組織と認識あわせしていくかを自分の言葉でグリップする・し続けるって、大事なことだよなって思う。
まずは自分の腹のうちにもって、自分の言葉でグリップしておいて、上司や組織の見解に耳を傾けながら、こちらの見解も示しつつ、建設的に認識をあわせていく。そのとき、「言葉を尽くす」ということが、とても大事なことのように思う。
今回の内示でも、私からみてto Employeeな役割については自ら、こういうことをやっていくといいと思っている、こういうふうに貢献したいということを、自分なりに言葉を尽くして伝えるようにした。一方、Learning Design / Direction からはずれる役割も期待され、あれもこれもともみくちゃになりそうなところは自分なりに整理して、こうは貢献したいと思っているが、これ以上のごちゃまぜになると無理があるので、こうしてはどうかというふうに、これまた自分なりに言葉を尽くして認識あわせ、一緒に光をたぐり寄せていく。
これって、自分なりの見立てが腹のうちにあるからこそ言葉を尽くすことができるわけで、自分の中で曖昧模糊とした状態では言葉も出てこない。どう違和感を覚えるのかも、どう無理が生じると見立てるかも、こうしてはどうかという提案も、言葉にできるところまで自分の意識を引っ張り上げておかないと、相手に伝えることができない。
やりたい職種とか、行きたい部署とか、そういう既成の枠組みにとらわれず、自分の言葉で自分のキャリア世界をスケッチしておくことって、けっこう有意義なんじゃないかなって思う。とくに40代なんて域になってくると、どうにも一つの職種のジョブ・ディスクリプションでは自分のキャリアのあらましが説明つかない個性化が進んでいてこそ健全というふうになってくると思うし。
自分をグリップする言葉にとらわれて「頑な」になっちゃ不自由さが増すばかりだけど、多様な言葉で自分を把握しておくことで、現実世界の変化に多様なつながり方を模索できる自由さを手に入れられる。そういう個々人のキャリアの言葉スケッチをしたり、言葉でグリップするための探索活動をサポートするのが得意なキャリアカウンセラーでありたいなぁとも思う。
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