京都のほうから会いに来た
夕刻、いま新幹線で東京に向かっているが今晩食事を一緒にどうかとの連絡が入る。ぜひ会いましょうと返信すると、間髪入れずに麻布十番にある四川料理の店が指定される。19時に品川に着くというので、現地に19時半で落ち合うことに。
連絡をくれたのは想定外の相手、京都に住むいとこである。特だん幼少期から頻繁に行き来があった仲良しというのでもない。逆に言えば、そのわりに親近感をもつ相手ともいえて、会うとなんとなくいとこだなっと自然な親しみがわく好青年である。
私が父似の人柄というのも影響しているかもしれない。彼は、私の父の弟の息子さんだ。それに私は、叔父さんが大好きだった。叔父は2年前に亡くなってしまったが、知的で情深く、母を亡くしたときも私たち家族の大きな支えになってくれた。彼は顔立ちも叔父に似たところがあり、また叔父に育てられた雰囲気がよく伝わってくる人柄でもある。彼もうちの父をすごく慕っている。
大人になってからというもの、私には「いとことおしゃべりする」という経験がほとんどない。とくに父方の親戚筋とは住まいが遠く離れていることもあってなかなか接点をもてぬまま今日に至るので、いとことのおしゃべりというのが新鮮でもあり、また不思議と最初から親しみもって話しだせたり話し込める感じもあって、終始居心地のよい食事会となった。
実はひと月ほど前から、いろいろ思うところあり、何かにつけて京都に行きたいなぁと気にかけていたところ。一人でふらっと行くなら日帰りでも行けるじゃないか、この日なら平日休みとって行けるんじゃないか、なんて思いつつGoogleマップに印をつけながら仮の旅程を企てたりすらしていた。
とはいえ、せっかく行くなら弾丸日帰りツアーではなく、せめて一泊とってゆっくりしたほうがいいかとか、年度末に罹患するわけにいかないしコロナがもう一歩落ち着いてからのほうがいいかとか、トンガの噴火で津波来るかもとか、ウクライナが大変だとか。なんやかんや足踏みしていたところ、京都のほうから会いに来た、会いに来てくれたー!と、お声がけもらって二重にも三重にも嬉しかった。
やっぱり、何はともあれ、京都に行こう。なんとなく、呼ばれている気がするのだ。生まれ変わりとまでは言わないけれど、私と入れ替わりでこの世を去った祖母のお墓参りに、近いうちに行きたいと思う。
あるんだなぁ、こんなことが。迎えに来てくれたみたいな、早くいらっしゃいと機を促されたような。大事にしないとな、そろそろ、こういうことを。
« 足取り軽く、心の向くほうへ | トップページ | 自分のキャリアをあらます言葉スケッチ »
コメント