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2022-03-31

「Web系キャリア探訪」第38回、文化人類学とUXリサーチをつなぐふらっと

インタビュアを担当しているWeb担当者Forum連載「Web系キャリア探訪」第38回が公開されました。今回は大学で文化人類学を専攻し、リクルートを経て、現在はメルペイで活躍するUXリサーチャーの松薗美帆さんを取材しました。

「リサーチは思ったより深い沼だった!」ストイックに学び続けるメルペイUXリサーチャーのキャリア観

今のところデジタルプロダクトのUXリサーチ業務を手がけている実務家の中で、もともと大学で文化人類学を専攻していたという方は、まだ希少ではないかなと推測。松薗さんも就活していた時には「UXリサーチ」という仕事領域があることを認識していなかったそう。

「文化人類学とUXリサーチ」のように、実は深いつながりをもつんだけど、今の自分の中では点と点がつながっていないコンセプトをぱっと結びつけてくれるのって、ふらっと訪れる機会、周囲の人の一言だったりしますよね。自分の内から生まれるというより。

ある外的なきっかけによって、自分の内にあるバックグラウンドと、外にある新しいものが「ぱっ」とつながって、「はっ」とすることがあるなって思うんです。それを活かすも流すもあなた次第ってところ含めてキャリアを歩む醍醐味かなとも。

松薗さんのお話からは、そういう機会をオープンな眼差しで受け入れて、自分のキャリアの可能性をぐんぐん広げて舵取りしていく様子が存分に感じられました。

キャリア論として「キャリアはデザインすればするほどいいわけじゃなくて、一旦大まかに定めたら、そこでキャリアドリフト(漂流)の期間をもってしっかり目の前の仕事・役割を果たす中で経験・能力をものにしていく」重要性が説かれますが、松薗さんのキャリアはそれを地で行く。

今自分がいる場所、役割、立ち位置、周囲との関係性の中で「今の自分ができること」を導き出して、着実に成果を出して組織に貢献し、人の信頼を得て、次のステップを手繰り寄せていく丁寧で誠実な仕事ぶりも、キャリアの初期からうかがえて脱帽。

それからまた「リサーチ1本、これの専門家」というのではなく「リサーチの軸を持ちつつ、事業をリードするキャリア」を目指したいというふうに、自身の役どころを別に立てているところにも、ご自分の志しや心模様をこまやかに汲んでいる感じがうかがえて素敵でした。

本業を務めながら、本を執筆する、大学院に通う、大学の非常勤講師を務めるなど、様々な活動を並行して展開する様子も、今どんどん遭遇機会が増えている「本業一本ではない働き方、社会とのつながり方」を模索する方の刺激になるかも。ご興味ある方は、ぜひお時間のあるときに読んでみてくださいませ。

2022-03-21

自分のキャリアをあらます言葉スケッチ

私の勤め先は、3月末が期の節目。この時期に内示があり、来期の組織改編やら人事異動やらが発表される。私も4月から名刺が変わる見込みだが、今期やっていたことにあわせて配属を少し変えるふうのもの。ただ他にいくらかごにょごにょとしたこともあって、いろいろコミュニケーションをとって認識あわせなどなど。

それとは別に、少し前にぼーっとしていて思い至ったのは、私の仕事というのはこの四半世紀をざっくりみて、20代はB2C、30代はB2B、40代はB2Eに携わってきた感があるなぁというもの。

これ、頭の"B"がBusinessするということだとすると組織のビジネスドメインっぽいから、これを個人のワークドメインってことにすると頭をWorkの”W”に言い換えたほうが適当だろうか。W2C、W2B、W2Eとか、安直か。まぁ、この場かぎり思考をめぐらす道具に使うぶんには、なんでもいいのだが。こういうときにいちいち新語を作って唱和する文化圏と、そうでない文化圏ってあるよなぁと思う今日この頃。

Workdomain_careerchange

閑話休題。私の仕事というのは、長いこと Learning Design / Direction を軸にやってきたという点では、大きく変わるものではない。

職種なり肩書きなり、配属部署なり、もっと長くみれば勤め先の会社といった所属が変わろうとも、どういう役割を担って、どういう職能を発揮して個人・組織・社会に貢献することを仕事の幹とするかは、自分の中でさほどブレずにやってきた(幹の話なので、個人のキャリア発達支援、組織のパフォーマンス向上、そのときどきで多様に枝葉は伸びて活動にはあれこれあるわけだが)。

ともあれ、その学習を支援する対象というのが、20代は講座提供する中で個人向けに(to Customer)、30代では研修提供する中で法人向けに(to Business)、40代からは勤め先の社員向けに(to Employee)仕事している感があるなと。

20代、個人向けに提供する講座単体の良し悪しはInstructional Designとしておもしろみを感じ、この創造的興奮は今も変わらず感じるところ。一方、30代以降はクライアントから相談をもらって社員研修としてトレーニングを開発するようになり、個人のキャリア発達と、企業の事業発展を双方うまくからめて実現していくHuman Performance Improvement / Consultingが自分の中で重要度を増した。

そこにうまいこと介入して貢献できる仕事をしたいと思って30代を過ごすと、40代に入ってふられた社内の従業員向け能力開発や組織のナレッジマネジメント領域も、やりがいある仕事と思うように変遷した。事業部の中の奥に食い込んで潜入捜査して、直接に長期にわたって、関係を育みながら現場介入しないとどうにもならないことは多分にある。そこは、まだ自分にふがいなさを感じることばかりだけど、ならではのやりがいを見出すことはできている。

上司も組織も、私の仕事をそういう変遷で捉えてはいない。でも、上司が私の仕事をどう認識し、組織が私の仕事をどう位置づけているか、今期がどうで、来期はどう変わるかと関係なく、私自身が会社の仕事をどう認識して意味づけるか、それをどう上司や組織と認識あわせしていくかを自分の言葉でグリップする・し続けるって、大事なことだよなって思う。

まずは自分の腹のうちにもって、自分の言葉でグリップしておいて、上司や組織の見解に耳を傾けながら、こちらの見解も示しつつ、建設的に認識をあわせていく。そのとき、「言葉を尽くす」ということが、とても大事なことのように思う。

今回の内示でも、私からみてto Employeeな役割については自ら、こういうことをやっていくといいと思っている、こういうふうに貢献したいということを、自分なりに言葉を尽くして伝えるようにした。一方、Learning Design / Direction からはずれる役割も期待され、あれもこれもともみくちゃになりそうなところは自分なりに整理して、こうは貢献したいと思っているが、これ以上のごちゃまぜになると無理があるので、こうしてはどうかというふうに、これまた自分なりに言葉を尽くして認識あわせ、一緒に光をたぐり寄せていく。

これって、自分なりの見立てが腹のうちにあるからこそ言葉を尽くすことができるわけで、自分の中で曖昧模糊とした状態では言葉も出てこない。どう違和感を覚えるのかも、どう無理が生じると見立てるかも、こうしてはどうかという提案も、言葉にできるところまで自分の意識を引っ張り上げておかないと、相手に伝えることができない。

やりたい職種とか、行きたい部署とか、そういう既成の枠組みにとらわれず、自分の言葉で自分のキャリア世界をスケッチしておくことって、けっこう有意義なんじゃないかなって思う。とくに40代なんて域になってくると、どうにも一つの職種のジョブ・ディスクリプションでは自分のキャリアのあらましが説明つかない個性化が進んでいてこそ健全というふうになってくると思うし。

自分をグリップする言葉にとらわれて「頑な」になっちゃ不自由さが増すばかりだけど、多様な言葉で自分を把握しておくことで、現実世界の変化に多様なつながり方を模索できる自由さを手に入れられる。そういう個々人のキャリアの言葉スケッチをしたり、言葉でグリップするための探索活動をサポートするのが得意なキャリアカウンセラーでありたいなぁとも思う。

2022-03-17

京都のほうから会いに来た

夕刻、いま新幹線で東京に向かっているが今晩食事を一緒にどうかとの連絡が入る。ぜひ会いましょうと返信すると、間髪入れずに麻布十番にある四川料理の店が指定される。19時に品川に着くというので、現地に19時半で落ち合うことに。

連絡をくれたのは想定外の相手、京都に住むいとこである。特だん幼少期から頻繁に行き来があった仲良しというのでもない。逆に言えば、そのわりに親近感をもつ相手ともいえて、会うとなんとなくいとこだなっと自然な親しみがわく好青年である。

私が父似の人柄というのも影響しているかもしれない。彼は、私の父の弟の息子さんだ。それに私は、叔父さんが大好きだった。叔父は2年前に亡くなってしまったが、知的で情深く、母を亡くしたときも私たち家族の大きな支えになってくれた。彼は顔立ちも叔父に似たところがあり、また叔父に育てられた雰囲気がよく伝わってくる人柄でもある。彼もうちの父をすごく慕っている。

大人になってからというもの、私には「いとことおしゃべりする」という経験がほとんどない。とくに父方の親戚筋とは住まいが遠く離れていることもあってなかなか接点をもてぬまま今日に至るので、いとことのおしゃべりというのが新鮮でもあり、また不思議と最初から親しみもって話しだせたり話し込める感じもあって、終始居心地のよい食事会となった。

実はひと月ほど前から、いろいろ思うところあり、何かにつけて京都に行きたいなぁと気にかけていたところ。一人でふらっと行くなら日帰りでも行けるじゃないか、この日なら平日休みとって行けるんじゃないか、なんて思いつつGoogleマップに印をつけながら仮の旅程を企てたりすらしていた。

とはいえ、せっかく行くなら弾丸日帰りツアーではなく、せめて一泊とってゆっくりしたほうがいいかとか、年度末に罹患するわけにいかないしコロナがもう一歩落ち着いてからのほうがいいかとか、トンガの噴火で津波来るかもとか、ウクライナが大変だとか。なんやかんや足踏みしていたところ、京都のほうから会いに来た、会いに来てくれたー!と、お声がけもらって二重にも三重にも嬉しかった。

やっぱり、何はともあれ、京都に行こう。なんとなく、呼ばれている気がするのだ。生まれ変わりとまでは言わないけれど、私と入れ替わりでこの世を去った祖母のお墓参りに、近いうちに行きたいと思う。

あるんだなぁ、こんなことが。迎えに来てくれたみたいな、早くいらっしゃいと機を促されたような。大事にしないとな、そろそろ、こういうことを。

2022-03-09

足取り軽く、心の向くほうへ

先月、同級生の友人が誕生日を迎えたときには、「年齢の下一桁が3から6あたりって、まずまず凪いでいて穏やかに過ごせるよねぇ」なんて、のんきなメッセージを添えて誕生日祝いをしていたのだけど、いざ自分の誕生日が迫ってくると、あら不思議「ぜんぜん凪いでる感じじゃない」ってなって内心おどろいた。

私は誕生日の前後で「この一年は」とか「◯歳になったからには」とか、さして気合いを入れることなく行き過ぎるのが常だったけれど、今回はどうも、いつもに比べて節目の感覚があるなっていう46歳の誕生日を迎えた。

それを探ってみると、このところとみに「自分がこの世から消失する」リアリティが前景化して感じられるようになったのが理由の一つだ。狙ってそうなったのではない、向こうからやってきたのだ。向こうがどこなのかはよくわからないが。

最近SF小説を読んだのは一因にあるかもしれない。年齢のせいもあるだろう、一線を越えた感がある。コロナ禍暮らしもウクライナ情勢も間違いなく影響しているはずで、なんだかんだ複合的なものだ。

じっと、その「自分の消失」について考える時間をもっていると、空恐ろしさを感じる。感じるのだがしかし、今の人間関係だと、そうそう話題にあげるアテもない。

年始に地元で、そういう話をしても良さそうな古い友人に会ったとき、「いや最近、死んじゃうってよくよく考えてみると本当に空恐ろしいと思ってさ」とこぼしたが、「考えても仕方ないことだから、そういうことはみんな考えないんだよ」と諭された。まぁそうなんだけどさ、いや、でもさ、仕方がないことでも考えちゃうのが人でもあるわけじゃない?

今読んでいるエルヴェ ル・テリエの「異常(アノマリー)」という小説の中に、ミゼルという登場人物を描写する一節がある。

ミゼルは一見、うわの空でよそよそしい感じを与えることもあるが、"いろいろ抱えていながらもユーモアのある男"との評判を取っている。だがそもそも"ユーモアのある男"の呼び名にふさわしい人物は、 "いろいろ抱えていながらも"ユーモアを失わないからこそ当の呼び名を頂戴するものではないか。

文学っておもしろいよな。こうやって、私の思考の扉を開いてくれる。私が小説を読むのは、物語そのもののおもしろさを味わうことと同等かそれ以上に、こういう言い回しの妙に触れることで、自分の物事の受け止め方や思考展開に選択肢を与える、奥行きを作り出す鍛錬ができるからなんだよな。

まぁともかく、この空恐ろしさを自分のうちに抱えながら、それを抱えているからこそ生きられる人生を歩んでいくのが人の尊いところだったり、底知れなさだったりもするわけだから、そこはタフにやるっきゃないというか、そうやって生きてなんぼというか。そんなことをまた、ぽつぽつ考える。

ここ数年は実のところ、心のほうはへたへたの全治30年みたいな痛手を負って暮らしていたのだけど、まぁここらでそろそろ立ち上がらねばなりますまい。手のひらをひらいて、手ぶらで、身軽に、シンプルに、自分が大事だなって思うことを大事にして、感謝して、役に立つよう努めて、泳いで走って歌って健やかに生きていこう。

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