「悩み」と「考え」を分別したい
「悩み」と「考え」を分別したい。人が自分の考えを述べているのに、聞き手がそれを悩みと無自覚に捉え違えて問題のありかとか解決アイデアを提示するやりとりを見ると、心がぞわぞわしてしまう。まぁグラデーションだったりもするし、それこそが楽しいおしゃべりの時もあって一概には言えないのだよな。
とTwitterに書いたらご返事もらえたので、ちょっとここにもメモっておきたい。
これにまつわる昔話をすると、あるイベントに参加した帰り道、郊外から都心に戻る電車が一緒だったので、その日初めて会った女性と、すいた車内で数十分、横並びに座っておしゃべりして帰ったことがあった。もう10年以上前の話、歳の頃は互いにアラサーという感じだった。
はじめはわりと自己紹介的なやりとりをしていたのだけど、彼女はコーチを職業にしているということで、私が自己紹介したくだりからだったか、ぐいぐいと私の課題やら問題やら目標設定やらに迫り出した。
いや、私は別に何かの目標設定をしたいわけじゃないし、悩みを抱え込んでいるわけでもない。もしそうだとしても相当なシンパシーでも感じないかぎり、今日初対面のあなたに悩みを吐露するタチでもないし、短時間に端的に課題を言葉にできる明晰さや表現力も持ち合わせていない、と戸惑った記憶がある。
彼女はいまいち話が進展しない私に、手応えのなさや物足りなさを覚えたかもしれない。すごく頭のきれる雰囲気をまとっていた。あちらからこちらから話術を駆使して、なにか猛烈なエネルギーで攻めてくるので、私はそれに気圧されて、電車を降りるまで「ふーむ」「なるほど」と言いながら、自分からはほとんど中身のあることをしゃべらずに過ごし、彼女と別れた。
そういう構図を作り出していることに私から問題提起するような間柄でもなかったし、そもそもそういうふりができるほど私も成熟していなかったし。
ちなみに私たちが参加したイベントは確かテック系のテーマであって、コーチング系でもコミュニケーション系でもなかったし、壺の売り方講座とかでもなかった。
つまりだ、話の聞き手(ここでいう彼女)が我れ先に!と、話し相手(ここでいう私)の抱える悩みやら問題やら課題やらを提起する人、解決策に示唆を与える人みたいな役取りをしだすと、必然的に話し手にまつりあげられた側は、悩みをもつ人、相談者という配役を割り当てられることになり、そういう舞台として、その場が固定してしまうのが、きっついなぁって話である。もうそこは、自由で対等な「おしゃべり」空間ではなくなってしまう。
登場人物は「相談者」と「示唆を与える賢者」となり、セリフは「相談内容」に始まり「問題の特定」「解決策」というような構成にシナリオ立てられ枠組みが規定されていってしまうような息苦しさを覚える(もちろん、そういう場であれば問題ないのだが)。
いや、そんな枠組みを空間に見る人なんて稀だと思う人もいるだろうし、相手がそう乗り出してきても、そんなのポイッと取っ払って自由に話せばいいだけだという人もいるだろう。私も、その舞台設定をその場でリアルタイムに把握できるかぎりは、そうしようという心構えではある、今は。
でも、この構図をその場で認識できないかぎりは、その舞台設定に飲み込まれて、気づけばその場に求められる配役を演じ、セリフをしゃべってしまいかねない懸念が残る。聞き手も話し手も登場人物がみんな無自覚に、これに飲み込まれて壇上で割り当てられた役を演じてしまう状態も起こり得て、そうするとかなり脱出困難である。
私はキャリアカウンセラーという立場をもつので、相手が自分に対して「悩みがあるので相談にのってほしい」と言っているのでないかぎり、相談や悩みを聞き出すような話の聴き方をしない「おしゃべり」をするよう注意している。
それによって互いの関係性は、自在に変化を続けるし、対等に考えを述べ合う自由さに開かれている。役割がもつ責任からも解放された状態で、いろんな話に展開する。おしゃべりは可能性のかたまりだ。
とりわけコーチとかカウンセラーとかリサーチャーとかインタビュアとか、人の話を聴くのをプロとしてやる人間が、無自覚にリングの外でこういうスキルを濫用するのは職業倫理にそむく気がする。
日常的な「おしゃべり」でも、「トークショー」みたいな公開イベントごとでも言えるんだけど、そういう自由空間に、へたに&無自覚に問題解決型の配役、シナリオ構成を片方がもちこんで舞台を固定化して、登場人物の発言、話の展開を規定しにかかるようなのって、もったいないよなって思う。そこは自由に縛りなくしておいたほうが、「悩みに示唆を与える」って構図から解放された、おたがいの考えや思いの交換を縦横無尽にできて楽しいな、広がりがあるなって思うんだよな。人間のコミュニケーションって、そっちのほうが自然で、メインじゃないかなって。うーん、難しいな、こういうこと書くのって。
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