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2022-02-25

他との対比で浮き彫りにする「カオス」の像

私たちが生きる世界を「Cynefin Framework(クネヴィン・フレームワーク)」(*1)として示した図がある。Cynefinとはウェールズ語で「生息地」を表す。1999年にIBM Global ServicesのDave Snowden(デイヴ・スノーデン)が考案した、意思決定に活かすための状況分析フレームワークだとか。

私たちが生きる環境の性質を5つに区分して図示。真ん中に、

無秩序(Disorder)

があって、その周りを4区分して取り囲んでいる。時計と逆まわりで、右下から

単純(Simple)
煩雑(Complicated)
複雑(Complex)
混沌(Chaotic)

と段階的に複雑さが増していく図だ。

Cynefinframework201102

この図はDave Snowden "Cynefin Framework" の2011年版(Wikipediaより)で、一番最初の図。同氏はSimpleを2014年にObviousに、今はClearに更新している。とりあえずざっくり「単純明快」から始まるということだ。

直面する環境の複雑さが増すほど、その状況の予測やコントロールは難しくなる。当然それぞれの現場で、人が取るべき行動、意味をもつ活動、求められる発揮能力も違ってくる。これをフレームワーク化した。

以下は、これを教えてくれた鈴木則夫さん著作「人が成長するとは、どういうことか」(*2)を読んだときの個人的なメモと、Wikipediaなどの情報を合わせて整理した私のメモ書きだが、こうやって段階を追っていくと「カオス」って言葉の状態、そこを主戦場(生息地)とする人の手腕が意味深長さをもって迫ってくる。

1つ目はSimple / Obvious / Clear(単純明快)

ここは比較的安定した世界。発生する問題は因果関係が明快で、「こういう原因でこの問題が起きているから、こうすれば解決する」という枠組みを用意して、問題に対処できる。

すでにルールやマニュアルがある現場も多いし、無い場合も一旦ベストプラクティスを形にして、それを習得する教育の仕組みを作ってしまえば、あとは運用とアップデートでまわせる。

Simple(単純)の推奨行動はBest Practice、踏むステップはSense(気づく)→Categorize(分類する)→Respond(対処する)

一度マニュアル化してしまえば、それを成した人間はここに定住したがらない、飽きが来て2つ目以上の世界に移住したがるのが常だろうと思ったりする。無理やり留まらせようとすると会社辞めちゃったり、居眠りしちゃったり、凡ミス多発しちゃったり、元気なくしちゃったり。適材適所。

2つ目はComplicated(煩雑)

ここでは発生する問題が「複雑性」をもつ。まだある程度の安定性は保たれているが、「なんでそういう状況になっているかという原因が複雑で、いくつかの要因が絡み合っている」状況。

だから表面化・顕在化している現象の背景を探って、問題は「複合的な影響の結果」としてみて問題構造を分析する必要が出てくる。その上で、どういう解決策を講じたら効果的かも複数の解決策を並べて比較・検討して、取捨選択や組み合わせ技で実行する必要がある。

Complicated(煩雑)の推奨行動はGood Practice、踏むステップはSense(気づく)→Analyze(分析する)→Respond(対処する)

この時点で、求められる仕事力はけっこう難度が高まるよな。思考を巡らす面白さがあるとも言える。わりと多くの人が、この段階での仕事クリエイティビティは楽しめるのではなかろうか。

3つ目はComplex(複雑)

ここで上乗せされるのは「流動性」だ。2つ目の複雑性に加えて、常に新しい状況が現出してきて、想定外のこともあれこれ起こる変化が特徴的。腰を据えて状況を分析して「よし、これだ」と練りに練った策を講じたときには、すでに状況が変わっている。そういう能力の高さだけでは太刀打ちできない。

状況が刻々と変わり、想定外のことも起こる前提で、大きくはずさず問題の因果関係をつかんで、暫定的な計画を立てて行動を起こして、その反応を洞察して次の策に展開するという循環をまわせることの価値が高くなる。自身が打った策がどう影響を及ぼすかも冷静に観察しながら状況認識をアップデート&軌道修正をかけ、その変更を関係者とも認識合わせしながら推進していける力が求められる。

Complex(複雑)の推奨行動はEmergent Practice、踏むステップはProbe(調査する)→Sense(気づく)→Respond(対処する)

IT寄り業界、と言わず現代の多くの業界では、ここのプレイヤーが求められそう。一家に一台ならぬ、組織に1~2割ほしいところか。「でも、お高いんでしょ」レベルの、かなり仕事できるリーダーを想起する。頭いいだけじゃなくて、瞬発力も高く、実践経験が豊富で、いろんなタイプの人を懐柔する手腕も身につけている感じの。採用市場にそんなたくさんいないから、自社で育てる施策が必要か。

と長々書き連ねての4つ目がChaotic(混沌)

ここでは3つ目までの複雑性、流動性が極まった状況で「想定外のことが次々と発生」する。

その対処に忙殺されながらも、なお状況を俯瞰して効果的な対応策を構想できる力が価値をもつ。混沌とした状況に「秩序」を持ち込んで、3つ目のComplexなり、2つ目のComplicatedまでもっていって事態を鎮める、治める力が求められる。次を預かってマネジメントできる人たちに、しっかりバトンを渡すコミュニケーションも大事だろうな。

Chaotic(混沌)の推奨行動はNovel Practice、踏むステップはAct(行動する)→Sense(気づく)→Respond(対処する)

ここでの頭脳戦が好きな人には、安定運用の世界は退屈だろうなぁとも。

対処するために踏むべきステップは、状況の複雑さに応じて違ってくる。そして大ざっぱに言えば、今の世の中は至るところに混沌としていた局面があって、そうそう腰を落ち着けて解決策をあーだこーだ思案してはいられない状況にある。私の現場は世の中の片隅にあれども今、自分の中にもどかしさが募っている背景の一つが、これだ。問題がすごく複雑で、表層的・顕在化した状況だけを見て「こうだからこうすべき」と実効性を見込める策に進められない。最近そういう「もどかしい」「もがく」「もやり」と、心が「も」っている。

*1: Dave Snowden "Cynefin Framework" (Wikipedia)

*2: 鈴木則夫著「人が成長するとは、どういうことか」(日本能率協会マネジメントセンター)

2022-02-24

「Web系キャリア探訪」第37回、バリバリ働きたい人の実現法もやり

インタビュアを担当しているWeb担当者Forum連載「Web系キャリア探訪」第37回が公開されました。今回はDMMで50を超える事業のマーケティングを横断的に手がける武井慎吾さんを取材しました。

転職を重ねた“Mr.ジョブチェンジ”、DMMに見出した「おもちゃ箱」のような魅力とは!?

工業高校で電気・機械を学んだ武井さんは、新卒で機械メーカーに就職、メカニックエンジニアとして働きだすも程なく退職。その後、片手では足りない数の会社を転々として、自分のキャリアをオリジナルに育んでいきます。

「やってみないとわからないから、やってみよう」というシンプルな行動指針で、実際に行動してきた武井さんのキャリア変遷には、とりわけ「やる前から情報に埋もれて行動停止」してしまいがちな昨今、頭でっかちになっている自分に問いを投げかけ、身を軽くしてくれるお話だったなと思います。

とにかくフットワークが軽く、バイタリティがあって、自身で仕掛けたチャレンジを、方々で着実にモノにしていく。その経験を無駄なく肥やしにして自分ができることを増やし、動けるフィールドを広げ、自分がやりたいことをさらに鮮明にして、それが実現できそうな場所に身を移して新たなチャレンジを仕掛ける。現職の、言わばカオスな環境を「おもちゃ箱」と見立てて存分に楽しむ姿は、実に清々しい。

「過去の/自分の育て方」と「今の/部下の育て方」を分けて、より確度の高い部下の育成法について語ってくれた話も、経験に裏打ちされたお話でありがたかった。ご興味ある方は、ぜひお時間のあるときに読んでみてくださいませ。

そして、ごくごく個人的な編集後記的にネットの片隅でメモりたいのは、「バリバリ働きたい」という今の若者が「働きにくい」と不自由を感じないよう、バランスをとっていきたいんだよなぁという考えごと。

以前、大学生にキャリア講話をする機会があって、その後のアンケートに「自分は社会に出たらバリバリ仕事したいと思っていて」って書いてくれた学生さんがいた。そりゃ、そうだ。ワークライフバランスに向かう今の時代であれ、「24時間戦えますか」なバブル期であれ、バリバリ仕事したい若者もいれば、仕事ほどほどにプライベートを重視したい若者も社会に出てくる。仕事を始めてみたら、その価値観に変化を覚える人だっているし、ライフステージによって同じ人の中でも優先順位が変わるのが人の常だ。

今はどちらかというと、過重労働にならないよう社会で改善活動を進めている最中って感じだけど(そして、それ自体を否定する気はないけれど)、度を越して社会の縛りをきつくして、バリバリ働きたい若者が「バリバリ働けない」不自由を強いる環境を構築するのも、なんか、それはそれでバランス悪いんだよなって思ったりしてしまう。

AかBの行ったり来たりじゃなくて、1つ高い次元に引き上げて止揚したCを創り出すのが人間の知性。AもBも、その人の希望やライフステージによって選べる選択肢を用意する社会を目指すほうが健全な気がするんだけれども。まだもんやりしすぎていて、今それ以上語るな、もっと考えてからものを言えと言われれば、そうですねとしか返しようのないところで空を見上げている。

1社に就職して、そこだけで「バリバリ仕事」を実現するのは社会制度的に無理が来るとしたら、今後はそういう人たちの選択が「本業と副業」とか「本業とボランティア」とか、あるいは会社員ではなく雇用する側に立つこととするのか。そういう選択を、本人が自らすれば実現しうる社会制度が充実していくことになるのか。もんやり考える。もんやりすぎる。

2022-02-20

「悩み」と「考え」を分別したい

「悩み」と「考え」を分別したい。人が自分の考えを述べているのに、聞き手がそれを悩みと無自覚に捉え違えて問題のありかとか解決アイデアを提示するやりとりを見ると、心がぞわぞわしてしまう。まぁグラデーションだったりもするし、それこそが楽しいおしゃべりの時もあって一概には言えないのだよな。

とTwitterに書いたらご返事もらえたので、ちょっとここにもメモっておきたい。

これにまつわる昔話をすると、あるイベントに参加した帰り道、郊外から都心に戻る電車が一緒だったので、その日初めて会った女性と、すいた車内で数十分、横並びに座っておしゃべりして帰ったことがあった。もう10年以上前の話、歳の頃は互いにアラサーという感じだった。

はじめはわりと自己紹介的なやりとりをしていたのだけど、彼女はコーチを職業にしているということで、私が自己紹介したくだりからだったか、ぐいぐいと私の課題やら問題やら目標設定やらに迫り出した。

いや、私は別に何かの目標設定をしたいわけじゃないし、悩みを抱え込んでいるわけでもない。もしそうだとしても相当なシンパシーでも感じないかぎり、今日初対面のあなたに悩みを吐露するタチでもないし、短時間に端的に課題を言葉にできる明晰さや表現力も持ち合わせていない、と戸惑った記憶がある。

彼女はいまいち話が進展しない私に、手応えのなさや物足りなさを覚えたかもしれない。すごく頭のきれる雰囲気をまとっていた。あちらからこちらから話術を駆使して、なにか猛烈なエネルギーで攻めてくるので、私はそれに気圧されて、電車を降りるまで「ふーむ」「なるほど」と言いながら、自分からはほとんど中身のあることをしゃべらずに過ごし、彼女と別れた。

そういう構図を作り出していることに私から問題提起するような間柄でもなかったし、そもそもそういうふりができるほど私も成熟していなかったし。

ちなみに私たちが参加したイベントは確かテック系のテーマであって、コーチング系でもコミュニケーション系でもなかったし、壺の売り方講座とかでもなかった。

つまりだ、話の聞き手(ここでいう彼女)が我れ先に!と、話し相手(ここでいう私)の抱える悩みやら問題やら課題やらを提起する人、解決策に示唆を与える人みたいな役取りをしだすと、必然的に話し手にまつりあげられた側は、悩みをもつ人、相談者という配役を割り当てられることになり、そういう舞台として、その場が固定してしまうのが、きっついなぁって話である。もうそこは、自由で対等な「おしゃべり」空間ではなくなってしまう。

登場人物は「相談者」と「示唆を与える賢者」となり、セリフは「相談内容」に始まり「問題の特定」「解決策」というような構成にシナリオ立てられ枠組みが規定されていってしまうような息苦しさを覚える(もちろん、そういう場であれば問題ないのだが)。

いや、そんな枠組みを空間に見る人なんて稀だと思う人もいるだろうし、相手がそう乗り出してきても、そんなのポイッと取っ払って自由に話せばいいだけだという人もいるだろう。私も、その舞台設定をその場でリアルタイムに把握できるかぎりは、そうしようという心構えではある、今は。

でも、この構図をその場で認識できないかぎりは、その舞台設定に飲み込まれて、気づけばその場に求められる配役を演じ、セリフをしゃべってしまいかねない懸念が残る。聞き手も話し手も登場人物がみんな無自覚に、これに飲み込まれて壇上で割り当てられた役を演じてしまう状態も起こり得て、そうするとかなり脱出困難である。

私はキャリアカウンセラーという立場をもつので、相手が自分に対して「悩みがあるので相談にのってほしい」と言っているのでないかぎり、相談や悩みを聞き出すような話の聴き方をしない「おしゃべり」をするよう注意している。

それによって互いの関係性は、自在に変化を続けるし、対等に考えを述べ合う自由さに開かれている。役割がもつ責任からも解放された状態で、いろんな話に展開する。おしゃべりは可能性のかたまりだ。

とりわけコーチとかカウンセラーとかリサーチャーとかインタビュアとか、人の話を聴くのをプロとしてやる人間が、無自覚にリングの外でこういうスキルを濫用するのは職業倫理にそむく気がする。

日常的な「おしゃべり」でも、「トークショー」みたいな公開イベントごとでも言えるんだけど、そういう自由空間に、へたに&無自覚に問題解決型の配役、シナリオ構成を片方がもちこんで舞台を固定化して、登場人物の発言、話の展開を規定しにかかるようなのって、もったいないよなって思う。そこは自由に縛りなくしておいたほうが、「悩みに示唆を与える」って構図から解放された、おたがいの考えや思いの交換を縦横無尽にできて楽しいな、広がりがあるなって思うんだよな。人間のコミュニケーションって、そっちのほうが自然で、メインじゃないかなって。うーん、難しいな、こういうこと書くのって。

2022-02-01

「気持ち悪さ」を原動力にする

カリフォルニア大学バークレー校教授の村山斉さんが著した「宇宙はなぜ美しいのか」という新書を、きわめて文学的に読んだ。最初からその気だったわけじゃない。単に私の「理科を読む力」が乏しかったからにすぎないのだが、結果的に「物理学者ってこんなふうに宇宙を探究するのかぁ」という心もようをたどる読み方になった(なので細かいことは理解できていない、流し読んだと言わざるを得ない…)。

いちばん面白かったのは、“物理学者を驚かせた「気持ちの悪い」観測結果”という一節だ(宇宙をたしなむ人には、よく知られたことなのだろうが)。

宇宙は膨張している。その膨張速度はずっと「減速している」と考えられてきた。その減速の度合いを調べる目的で観測をしてみたら、なんと70億年ほど前から「加速している」ことがわかって、びっくり!という話である。わかったのは1998年だから、たかだか20年ちょい前のこと。

138億年前のビッグバン直後、膨張速度が少しずつ減速していたことは観測で確かめられていた。ところが70億年ほど前から、それが加速に転じているとわかった。物理学者の間では、なんで、なんで?と相なった。ここに添えられた著者の例えが秀逸。

空に向かって投げ上げたボールが、最初は徐々に減速したのに、途中からスピードを上げたのと同じことです。そんなことが起きたら、誰でも「気持ち悪い」と思うはずです。

そう、この本は著者の持ち出す例えが、一般の人にもわかりやすいよう練りに練られていて、その手腕にも、いちいち脱帽なのだ。

で、これは物理学者にとってもひどく気持ちの悪い観測結果だったそうで、

膨張速度は宇宙にある物質の重力によって決まるはずなので、減速することはあっても加速することなど考えられません。それが事実ならば、重力で引っ張られるよりも大きな力で、何かが宇宙膨張を後押ししていることになります。その「何か」の正体はまだまったくわかっていませんが(続く)

なので加速がそのまま続くのかどうかもわからないし、途中で減速に転じる可能性もある。わからん。そこに物理学者は「気持ち悪さ」を感じる。「気持ち悪さ」を解消すべく、仮説を立てて実証しようとする。

この「気持ち悪さ」の対極に、物理学者の「美意識」が見出せる。表裏一体と言ってもいいかもしれない。

物理学者は、別々に考えられていたものが「同じ」であるとわかったとき、一種の美しさを感じる。「一つの法則でたくさんの事象を説明できる理論」「一見すると無関係に思える現象が同じ法則にしたがっているということ」を美しいと感じ、そうした統一理論を追究する。「できることなら自然界の森羅万象をたったひとつの統一理論で説明したいと願っている」と言う。

物理学者が「美しい」と感じるのは、「高い対称性」「簡潔さ(統一理論)」「自然さ(安定感)」。多少の差はあれども、人はその美意識を共有しているようにも思う。

カラー写真で彩られる宇宙の美しさもさることながら、この美意識を腹にもちながら、さまざまな事象に出くわしては「なんか気持ち悪いよね」と感じることが、創造的な活動の原動力になっている人の尊さに、感じ入ってしまう読書体験だった。

「気持ち悪い」「わからない」と思うだけで止まっちゃうのって、もったいないよなと思わせてくれる。もう少し解釈を広げてみるなら、一見「負の感情」に思えるような、落ち込んだり凹んだり傷ついたりなんだりも、自分なりの創造活動のエネルギーに転じていける、転じていきたいよなって思わせてくれる本で、ちょっと元気ない1月を過ごしていた中で元気をもらった。「なるほど、わからん」な、私の理科を読む力の著しい欠如も、別のものをつかむ原動力に転じたと言えよう。

*村山斉「宇宙はなぜ美しいのか 究極の「宇宙の法則」を目指して」(幻冬舎)

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