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2021-12-12

知覚できる情報の複雑さが増すほど、課される明晰さが増す

クローズドなところでは相変わらず書き書きしているのだけど、自分のすみかで書くのがおろそかになってしまった。ここらで、ひと息。あと1週間くらいしたらマイペースを取り戻せるだろう、、か。ぼそぼそと、またここで書いていこう、そうしよう、そうしたい。今回は他所に書いたものから1つ取り出して、ここにメモっておきたい。

自分が「知覚できる情報の複雑さ」が増すほど、自分に「課される明晰さ」が増すの図。

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ある専門分野で知識や経験を積んでいくと、何か事にあたるときに考慮する観点、目の行き届くコンテキストの量や厚みも増していく。自分が知覚(認識)できる複雑性が増していくほど、表層的なところだけ見て対処法をぽっと結論することはできなくなるし、それについて一言で分かりやすく第三者に伝えることも難しくなる。自分に課す明晰さの難易度が高まる。

単純に狭い了見で見ていれば、表層的に一言で言い切れてしまうものが、より広域に階層的に見えるようになった人ほど、そう簡単にはものを言えなくなってしまう。

相手によって、今言うべきことと言わないでおくことを選ぶ明晰さを、自分に課すようになる。そのときの状況によって、今なすべきこととなすべきでないことを、明晰さをもって分別し、対策アプローチを構造立てて動く必要を自分に課さざるをえなくなる。

何か目の前で問題が起きたとき、初心者なら表層的に要因を一つ二つ思い浮かべ、対処法としてはこれとマニュアル通りに動くぶん、アクションが早いこともあるかもしれない。これが、見える領域が広がり、状況が階層的に見えるようになると、そう単純には結論できなくなる。初心者から「初動が遅い」とみられることもあるかもしれない。

今この問題が起きている要因は一つではない、あれもこれも要因の一つであり、間接的にはあれも関係しているかもしれない。短期的にこれで手を打つとして、中長期でみるとあそこにも手をまわさないと根本解決にならないだろう。さて、今ここで短期的な策を講じたとして、中長期的な策に影響はないだろうか、ここで関係を悪くすると中長期策が講じにくくなってしまうかもしれないなどと、あれやこれや考えごとが増える。

いっときを経ると、初動は早くとりつつ、第2、第3の手を別に講じて、パラレルに動かすというやり方を取れるようになったりもして、そうやって熟練のパフォーマンスを段階的に高めていく。

講座や研修を作る際は、講師を実務エキスパートにお願いして一緒にカリキュラムを組み上げていくが、ここでも大いに明晰さが求められる。

講師が自身の実務ノウハウや、それをこなす上で前提としている知識を体系立てて伝授しようとなると、「これを教えるには、こういう例外ケース、こういうリスクを抱え込むこともセットで伝える必要がある」「これをわかってもらうためには、前提知識としてこれも伝えなくては」「こういう応用もできる」と、どんどん内容が膨らんでいく。

しかし研修時間は限られているし、全部を一度に詰め込んだところで、それが受講者の中にすっかりインストールされるものでもない。講座は講師のための舞台ではない。

その時々の受講者の課題や業務環境、既有能力やキャパシティ、持ち時間や学習環境といった変数を総合的にみて、内容を削ぎ落とし、分かりやすく順序立て、今回の相手に最重要の観点を押さえて、記憶に残りやすく、現場のパフォーマンスを向上させる一歩を踏むための具体例、実践アプローチを能率よく伝える工夫を練り上げる必要がある。

これに限らず、私が支援相手とするクリエイティブ職の間では業界コミュニティの勉強会が活発で、老若男女フラットにスピーカー役となって自身のノウハウを共有するカルチャーがあり、話し手はたいてい「受講者以上に、自分が勉強になった」と言う。自分の話すテーマを決めて準備する段階が、明晰さを磨くトレーニングにもなっているのだろうと思う。そういう場面にも意識的に介入してサポートすることで、話し手側の学習支援にももっと役立てるかもな、とも。一つひとつ、できることをやっていこう。

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