思索ブログの原体験は「班日記」かも
中学生のとき、班日記というのがあった。あれは全国的にやられているものなんだろうか。クラスで席の近いもの同士5~6人ごとくくられて、学期ごとに席替えして班を組みかえ、その中で日記帳をまわす。小学生のときもあった気がするが、もはや記憶が定かでない。
学期始めに1冊のキャンパスノートが配られ、班の中で書く順番を決める。番がまわってくると家に持ち帰って日記を書き、翌朝に担任の先生に提出する。休み時間のうちに先生が全班の日記に目を通して(今思えば毎日大変だったんだな)赤ペンでコメントを入れ、「帰りの会」のときに本人に返す。生徒は、赤ペンで書かれた先生のコメントを読んだ後、次の子にまわすんだったかな。
数日持ってこないで止めちゃう子もいたし、他の子の日記を読むか読まないかも人それぞれだっただろう。男子の文章はたいてい短く、他の子の日記にも関心ないそぶりをしていた印象があるけれど、実際はいろいろだったろう。そりゃ班日記なんて面倒くさいだけの女子もいれば、好んで読み書きする男子もいると考えたほうが自然だ、今振り返ればそう思う。
中学2〜3年のときの担任の先生は、班日記の熱の入れようがすごかった。40代くらいの教育熱心な女性教師で、かなり頻繁に、その日の班日記でよかったものの抜粋を手書きでしたためてB4サイズの学級日誌みたいなのを作っては、わら半紙に印刷して、帰りの会で配っていた。
私はそれに取り上げられることが多く、いわば常連だった。当時の私に、それに掲載されたいという気持ちは特になかった気がするが、地でものを書いていると、よく取り上げられたのだ。どんなことを書いていたのかさっぱり覚えていないが、たぶん真面目に当たり前のことを書いていたから、中学教師として生徒に「真面目に当たり前のこと」を教えるのにちょうどよかったのではないか。先生が言いたいことを皆に伝えるのにちょうどよく使える文章を書いていたんだろう。
私はただの中坊であり、与えられた場所に、ただ率直に自分の思ったこと、考えていることを書いていた。自己洞察や思索・表現手段として文章が一番自分に合うなぁなんてことは意識にのぼっていなかったと思うし、私は文章を書くのが好きなようだという認識すらなかった気がする。「国語はわりに得意だ」という意識は、通知表で他の教科と見比べて思っていたかもしれないが、本を読むのには当時から苦手意識があったから、文章への向き合い方は本当にぼんやりしたものだった。
しかし、ふと、半年くらい前か、ついつい最近になって、中学時代の班日記がもしかすると、大人になってからブログを書きつづったり、自分の頭の中のことをとりあえず文字にして批判的にみたり、別の角度からみたり、転がしてみたり、吟味するようになった原体験かもしれないなと思いついた。
自由テーマで自分が考えたことを文章に起こし、それが他人の目にさらされ、読んだ他者が何かしらフィードバックを返してくる(なり、何もフィードバックがないのもフィードバックのうち)というのは、なかなか尊い人の営みである。
別に多くの人に読まれる文章じゃないが、SNSでつながっている人や、何かのキーワードでぐぐってやってきた縁のある人が一編だけ読んでいったり、時々コメントをもらえたりするブログ。ブログにあげている文章は、自分が書き留めているもののほんの一部に過ぎないのではあるが。
こんなくだらない文章を人に見せるなんて信じられないと蔑視されてしょげたこともないではないのだけど、まぁ等身大の文章なので、それは受け入れるほか仕方ないし、それも一つのフィードバックである。そこを盛っても意味がないし、ブログを書いているのは、読んでもらうことは二番で、自分が書くことが一番なんだ。もちろん私にとっては、ということだが、そういうことを、ここ20年を振り返って最近認識を鮮明にした次第。
というのは、実際に他人が読むか読まないかに関わらず、他人が目を通せる場所におくことにして文章を推敲していく過程で、自分の思いや考えていることを客体化してとらえようとする視点が明らかに存在感を増し、そういう書き時間こそが今の自分を形成してきた面が多分にあるのではないかと思い至ったからだ。
文章に書き起こさなければ、あるいはすべてを手元の閉じたメモに留めておいたなら、自分の中のもやっとはもやっとのままだった。それをいくらかでも「他者の目」の触れるところにおく前提で文章として推敲してみるすったもんだを通して、私はいろんなことを考えたし、いろんな思いをもった。その時間に、深いところにもおりていったし、遠くへも迷い道した。結局それでブログにはのせなかった文章もごまんとあるわけだけど、それもまた私の過ごした人生の時間なのだ。
書いていない20年、書いた20年、前者を過ごした私が今ここにいるとしたらって考えると、まぁ想像しがたいわけだが、ともかく私は今の私にはなっていなかっただろう。ということには確信めいたものを感じる。だから、人さまから見れば恥さらしみたいな文章だったとしても、私にとっては必要不可欠な活動だったし、それで今の自分があるのだ。それだけで十分だ。
20年といったって、毎日書き続けてきたわけじゃない。かといって、ひと月に一度も書かなかったこともほぼない。概ね週1回ペースくらいで書いてきたが、ひと月近く書かないこともあったし、連日のように書き連ねたこともあった。書きたくなったとき、そこに書く場所があったから同じところに書き続けてきたという感じで、つかず離れずずっと身近にあって、20年連れ添ってきた。書く場所がここにあって、ここにあり続けてくれて、助かっている。20年間、一度もこういう節目を意識することなくやってきた気がするけれども、今回はなんとなく、この場に感謝を表明したくなった。
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