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2021-11-01

昭和20年代後半の父の思い出探訪

コロナウイルスが一旦落ち着いた隙をついて、父娘で気晴らし旅行に出た。今回の行き先は、岐阜の長良川温泉。長良川といえば70年近く前、小学生だった父がおぼれて、長良川ホテルのおじさんがふんどし姿で川にとびこんで助けてくれたという。救出された父は堤防で大の字になって寝かされ、意識を取り戻して薄目をあけると、大勢の人が自分を取り囲んでいて恥ずかしいなぁと思っていたところに、家から裸足で飛び出してきたお母さん(私の祖母)が駆け寄ってきて、父をおんぶして帰ってくれた。

よくその話は聞いていて、その時のおばあちゃんの背中はさぞあったかかっただろうと、私も心温まる思い出話だった(祖母は私が生まれたその月にこの世を去ったので、私は一度も会えずじまい)。それに、そのホテルのおじさんが助けてくれなければ、うちの一家はなかったわけである。

そんな縁を感じて、今回の旅先の候補の一つに長良川を挙げてみると、父があれやこれや電話口で話しだした。いくつからいくつまでなんとか町に住んでいて、川の向こうになんとか小学校があって…と、ばんばん地名を挙げてくる。「川の向こう」と言うからには、父の脳内には「川の手前」側から見た地図が開かれているのだろうと思われ、そういう自分地図をもつ土地を70年近くぶりに訪れるというのは、なかなか乙なものではないかと思った。それに声の調子から察するに、ずいぶん懐かしそうで、行けるものなら行きたそうな雰囲気が感じ取れる。そんなわけで、じゃあ長良川で諸々手配するわねと言って、電話をきったのだった。

そのままあてをつけておいた宿を手配し、周辺の観光情報をざざっと確認し、旅程の見通しをつけると、あとはまぁ天気次第でもあるし、父の行きたいところもあろうかと、当日任せに。老舗旅館の温泉と食事、長良川と金華山と岐阜城があれば申し分ない、十分である。

結果3日間ずっと、すばらしい天気に恵まれて、ありがたいことこの上なし。秋のぽかぽか陽気の中、昔住んでいた家はどこだどこだと住宅地を歩き回り、陽光を浴びてきらきら水面光る長良川沿いをのんびり散策し、大空を舞う鳥を「鳶かー」と見上げ、河原にすっと立つ鳥を「鷺か、鵜かー」と見惚れ。ちなみに長良川ホテルは鵜飼ミュージアムになっていた。

写真リンク:父がぐんぐんいろんな所を訪ね歩くので、Googleマップは閉じて父任せに散策をたのしむ。

2日目は、これまた晴れ渡る空のもと金華山に登った。もちろんロープウェーのお世話になったのだけど、ロープウェーをおりた後、山のてっぺんの岐阜城のてっぺんまであがって織田信長の気分で天下を見渡すには、そこそこ老体に鞭打って石段を登らねばならなかった。しかしまぁ、本当に見事な景色を堪能して満足。岐阜公園、歴史博物館、大仏(正法寺)、柳ケ瀬(祖母が父を連れて買い物に足を運んだ商店街)なども周って、夕方には宿に戻ってゆったり温泉と、おいしい料理。

というわけで3日目は、図書館を訪れた。いわゆる観光地っぽいところは2日目までに周れてしまって、3日目はどうしようかと思案していたところ、その土地の図書館に行けば、当時の町の地図が見られるかもしれない!と思いつき、岐阜県立図書館へ足をのばしたのだ。

ものすごく立派な建物で、すごいすごいときょろきょろしていると、警備員さんが「景気のいいときに建てたもんでしょう」と笑って迎え入れてくださった。2階が岐阜ならではの資料の専用フロアになっている。おぉ!とテンションがあがり、父が新聞を読んでいる間に、私は地図カウンターというところへずんずん、司書さんを訪ねて事情を話すと、1956年(昭和31年)の地図があると言う。

見せてもらうと、一軒一軒、誰々さんち、誰々さんちと名前の入った、まさに町の地図がそこに。父に見せると、老眼鏡をかけて食い入るように見始めた。そして、ついに、自分が住んでいた所(らしきところ)を、ここだ!と突き止めた。父は地図の時点の1年くらい前には引っ越しているのだけど、そこには「アキチ」とカタカナで書かれていて、向かいの家の名字は記憶と合致する何々さんである。町や通りの名前も一致するし、小学校や長良川との位置関係、父親(私の祖父)と一緒に訪れていた近所の神社との位置関係も記憶と合ったようだ。

父の頭の中で、当時の思い出と、おととい歩いた今の町なみと、目の前の古い地図の3つが重なり合って咀嚼されているさまを見て、勝手に自己満足。司書さんに「ほんっとうに嬉しいです」と満面の笑みでお礼を言って、肝となる数枚を複写させてもらって旅のおみやげにした。

1956年の岐阜市の地図

旅先で図書館を訪ねたのは初めてだったけれど、派手さはないものの心踊る体験ができて楽しかった。変わるものもあれば、変わらぬものもある、そんな話をあれこれ父と話したのも、良き旅の思い出に。

*地図の出典元:「岐阜市縦横明細地図 1956年の岐阜市」(日本地図編集社)表紙、目次(分区図)、P3-4、7-8

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