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2021-11-11

受講者20名と50名では、場の生態系が変わる

クライアントに社員研修を提供する仕事をしていると、最初に相談を受けたときには受講者10~20名くらいだった話が、提案を通して実施準備をしている段で、40~50名とか100~300名とかに膨れ上がっていることがある。オンラインだと、会場キャパシティを気にしなくていいため、こうしたことは一層起こりやすくなっているかもしれない。

会場が手配できるならOK、入れるだけ入れよう、そのほうが一人当たりの受講料が安くなるし、今回のメイン対象じゃない社員だって聴いて無駄な話じゃない、何かしら得るものはあるはずだ。メイン対象は必須参加、サブ対象には告知して任意参加にすればいい。そういう展開は、よくあるんじゃなかろうか。

1社の社員研修ではなく、業界コミュニティのイベントや勉強会においても、「できるだけ多くの人に」「申し込んでくれた人は全員受け入れたい」との思いから、当初の想定より大幅に定員数を広げるケースは少なくない。

また有料で講座を開いている教育機関の場合、受講者が多いほど受講料が入るわけで、1回の開催で多くの受講者を受け入れたほうが売上も増し、利益率も高くなる。

そんなわけで、当初20名定員を想定していたところ、50名、100名を受け入れて講座を実施するという風景は、さまざまなところで見かける。

もちろんそれこそが適切な判断というケースもあるだろう。主催者がその認知拡大・見込み客獲得こそ狙いとするセミナーイベントだったり、ネットワーキングが主目的の業界コミュニティのイベントなど。

しかし、参加者の能力開発を主目的としている場合は、いったん踏みとどまって考えたい観点がある。大幅の増枠によって損なわれるものはないか、当初目的の達成から遠のく施策に転じることはないか。「会場に入るかぎり受け入れるが良し」と、すぐ結論せずに。というのは、受講者人数というのは、その場の生態系に多大な影響を与えると考えるからだ。

最初から1対多の講演形式を想定していて、教え手から学び手に一方的に話を聴かせるという話であれば、さして気にしなくていいだろうが、それでは期待できる学習効果も限定的で不確かなものになる。

最近だと、もっと教え手と学び手のインタラクティブ性を組み込んだ講座展開が多いと思うが、その場合、参加者が20名なのか50名なのか100名なのかは、受講者心理に大いなる影響を与える。20名なら挙がる質問や意見が、50名集まっている講座では出てこないということが起こる。そんなの受講者が悪いんだよ、やる気の問題だよ、知ったこっちゃないとするのは簡単だけど、1回かぎりの学習の場を、より効果的で創発的な環境にしようと企てるなら、主催するなり講師する側として、受け入れ人数には一考の価値があると思う。

その場の環境・状況をみて、自分がどうふるまうべきか計算を無意識にも働かせるというのは、人として自然のふるまいだ。日本で教育を受けてきた受け身態度を自ら意識的に脱せよという提言ももちろんわかるのだが、とはいえ20人の教室、50人の教室、100人の教室に入ったとき、その参加の仕方が変わるのは人として当然、自然じゃないかとも思う。

20名だったら、ちょっと今回のテーマと合っているかわからないけど訊いてみようかなと質問したり、自分の意見を表明するハードルも低いが、50名、100名だと、この場を有効な場にするためには、この手の質問・意見表明はちょっとそぐわないかな、過度な脱線を許容する場じゃないよなと発言を躊躇する。そういう判断が働く人は少なくないと思う。

私は1受講者として、オンラインの講座を画面ごしに自室で一人で受けていても、この講座には50人参加しているんだな、300人のイベントなんだなっていうのは念頭において受けている。20人なら、比較的小ぶりな貸会議室に人が集まっているようなイメージをもって参加しているし、50名になるとそこそこ大きなセミナールームで、前に先生の席、それと向き合うようにして受講者全員が前を向いて着席しているような構図が浮かぶ。300名ともなれば大学の大講堂なり、大きな映画館にシアター形式の椅子が並んでいて、その1席に自分が腰かけているようなイメージをもつ。オンラインでそんなイメージをもっている人なんて稀だよ…という話かもしれないが、1例あれば軽く5万人くらいはそういう人がいるだろう。

そんなわけで、あくまでメインの受講者の能力開発を狙った研修の場合、またその場をファシリテーターと参加者の創発的な場にしたいといった場合は、「せっかくだから、できるだけ多くの人に」を一旦踏みとどまって、当初目的を実現するための適正サイズを見定める一考を組み込んでみると良いと思う。今回は参加者をメイン対象者だけに絞ろうとか、2回に分けて実施しようとか、1回の定員を維持する選択肢も考えてみる。

一線を超えた増員は、当初想定していた学習の場の構造を解体し、その場の生態系を質的に変えてしまうことがある。そんなことを折に触れて思うので、脳内整理がてら書いてみた。生態系は、うん、使ってみたかっただけ感ある、否めない。

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