ブログの置き場、その終わりの想定
このブログは2001年11月から書き始めたので、そろそろ20年になる。始めた当初はホームページという体裁だったけれど、ほとんど写真も絵も入れず飾り気のない文章をただただ書きつけるスタイルは、当時から変わらない。あれから20年、20歳も歳をとったわけだ。
少し前「終わり」ということについてよく考えていた時期に、このブログについても「これって終わりはどうなるんだ」というのを考えた。
いっときは、21世紀初頭の市井の人が考えていたこととして、未来の人類学者の情報源の一つに役立つかもしれないじゃないのとざっくり思っていた。「2005年に◯◯を話題にしている人は、Googleトレンド上で何人(件)確認されます」みたいなのの1件にカウントされるくらいの感じで。
でも、よく考えてみたら、私はココログというニフティのサービスを使っていて、広告表示が出ないように一応毎月770円ニフティに支払う有料会員になっているので、私がこの世からさよならすると(そうでなくても私が支払いを止めるなり契約を解除したタイミングで)、このブログはなくなることになるんだなと思い至った。
無料のところに書きつけているブログというのは、書き手の死後も残り続けたりするのだろうけれど、ココログの有料会員の文章というのは契約解除とともになくなるんだろう。なるほど、ネット上のどこに何を書き残すかというのは、そういう観点から選択するという見方もあるんだなぁと、その時ふむふむ思ったのだった。
それで改めて考えてみるに、私がブログに書いている内容は、まずは自分の思索日記であり、欲張ってもせいぜい同じ時代を生きる日本語読む人に最近書いたものをシェアできれば十分であり、後世まで残すべきようなことは特に書いていないので、ネット上からなくなるタイミングとしては、自分とともに消えてなくなるくらいが頃合いとしてはちょうどいいのではないかと。書き出しの20代半ばごろなど「恵比寿の歯科医の入った雑居ビルの某所で外から鍵しめられて閉じ込められ、電池切れる寸前のPHSで110番に電話して助けてもらったよー、はぁこわかったぁ」みたいな話を書いていて、んなの後世に残してどうするんだという話である。そんなわけで相変わらずココログにのらりくらり書き続けている。
他の(一般の)人は、どんな按配でこの辺のことを考えているのだろう。Twitterなんかは無料で利用しているから、アカウントを消して去らないかぎり、ずっとあり続けるのか、Twitterがあるかぎり。あるいはTwitterがなくなっても何らかの引き継ぎがなされて、こういう情報資産は大事に残されていく慣習のようなものが、この先数十年のうちに定着するものだろうか。なんか、いろいろ出てきそうではある。これで梅酒三杯はいけそうだ。
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こんにちは。ご無沙汰しています。
私も同じようなことを時々考えるので、すごくシンクロしているような気持ちで読ませていただきながら「うんうん」と頷いていました!
全く同じく、私も自分が亡くなった後、私はメアドのプロバイダーがniftyなので月々払っているけれど、口座が凍結された時点でこのブログも消えるのだな、、こんなに何十年と家族の思い出を書き綴ってきたけどあっさり消えるんだな、、と思っていたところでした。
以前はココログを本にして残すサービスがあってそれを使ってみようかと思ったこともありましたが、今更紙にしたところでなぁ、、と思い止めました。
私は両親が生きていたころや子供たちが小さい頃のほうがずっと頻繁に書いていて、それはそれで大事な記録なので子供たちに見せてもいいっちゃいいんですが、それもなんだか照れくさく、、ブログの存在は知らせていません。自分が時折読み返して、その中で活き活きとしているジジババを見て、ふふふっと笑ったりする、、それで十分な気持ちでもあります。
例えばmixiだと、亡くなられた方のアカウントや記事もずっと残っていますよね。それも懐かしむことができるので、自分の生きていた軌跡として残っていてもいいのかもしれませんが、自分だったら消えてもいいかな(いや消えたほうがいいのかな)と思ったり。。
いや私もこの辺のこと語ると紅茶3杯は行けそうです(笑)。
投稿: ベル | 2021-11-07 12:15
こんにちは、ベルさん。コメントありがとうございます。
ベルさんも、同じココログですもんね。笑
私は正直、自分がこの世界から消えて、その後もこの世界があり続けるということの理解がおいつかなくて(まぁ多かれ少なかれ皆そういうものかもしれませんが)、なのでどうも、このブログの終わりというのも、自分がどうしたらいいという現実的な回答を、現実的に考えるというのが難しいなって思っちゃっているのが実際です。
そういうことをおいておいて、一般の人のブログというものは…という前提で考えてみると、確かに本にして残す、それを家族など身近な人に残すような需要はある気がしますよね。
書いたお話全部じゃなくて、何かテーマをもって、家族の話だけとか、趣味の何とかについてだけピックアップして残すというのもありかもしれないなぁなんて思いました。まぁ私の場合、引きとり手がいないのであれなんですが…笑。
ベルさんのブログなどは、家族編みたいなものを本にして、お子さんがもっともっとおじちゃんになったときに渡したら、その後の自分の人生を下支えしてくれる特別な贈り物になるだろうなぁなんて思っちゃいました。
紅茶3杯、ふふ、こんな話を喫茶店であれこれおしゃべりする日がやってきたらなって思います。
投稿: hysmrk | 2021-11-07 12:57