母の一声は何倍にも膨らむ
プールで泳いでいると、私がちょうど25メートルを泳ぎきって向き直り、折り返し始めるのとほぼ同時に、今プールにつかったばかりの人が泳ぎだすという場面に遭遇することがある。いや、そこ、ふつう待つでしょ!と思うんだけど、そういう常識で生きていない人もいるんだなぁと、わりとびっくりする。
じゃあ私はいつ、それを常識だと思うようになったのか?と、泳ぎながら原体験を探っていったところ、小学生の低学年の頃か、家族で初めてボウリングに行ったときの母の言葉に行き当たった。
何度かレーンにボールを転がして、とりあえずのやり方と面白さを覚えたところで、再び私の番。重たいボールをもってレーンのほうへ向かっていこうとすると、母が私を静かに呼びとめ、右のレーンの人が投げるところだから、それを待ってから行くのよと言葉をかけた。
確か右側のレーンの人を優先するのがマナーみたいな話だったと思うけれど、まぁ左であれ右であれ、隣りのレーンで今まさに投げようとしている人がいたら、その視界に後から入って集中を欠くのは野暮だという話である。
レーンにのって競技をするということでは、ボウリングも水泳も似たような光景であり、あの子どもの頃の学習からつながっているんではないか?と思い当たった。周囲を確認してから動く、周りの人に配慮して動く、そういうこと。
子どもの頃の、母のそういうさりげない教えについて、さらに思いめぐらしながら泳いでいると、電話の受け方に思い当たった。家の電話を最初に受けたときのことは憶えていないのだけど、物心ついたときには「はい、林です」と電話を受けていた。たぶん、これも小学生の低学年の頃に覚えたのだろう。
記憶にあるのは、中学にあがったときのこと。中学1年生になった春に母が、これからは「はい、林でございます」で受けるよう勧めてきたのだ。それは母のいつもの電話の受け方であり、つまりこれからは大人とまったく一緒のふるまいにアップデートするという話である。
兄はずっと「林です」で受けていたから、たぶん母は、私と妹には、中学にあがったらそういうふうに変えるように話そうって思っていたんだろう。
私はそこから「でございます」で家電を受けるようになった。それとあわせて、おそらくだけれど、言葉遣いというものに対して、わりと注意を払うというか、自分の言葉遣いを大事に選ぶという姿勢をもつようにもなった感がある。大人になってから振り返ってみて気づいたことだけど。
年相応のふるまいを覚えていくこと、自分のふるまいをアップデートして変えていくことの素地を養ったのは、たぶん母なんだろうなと思い至る。毎日、毎日を一緒に過ごす中でじわじわじわじわと、あるときは意識的に、あるときは無意識に私に注ぎこんでいってくれたものを私は大事にしている。彼女が私に遺していったもの。
私が「野郎言葉」のような表現を使わないのは母の影響としかいいようがなく、ほとんどプリインストールのような感覚で、自分の言葉遣いの中には母の言葉遣いが息づいている。母が、そういう言葉は使うんじゃありませんと私をとがめた記憶はなく、私はたぶん、母の丁寧な言葉遣いが好きだったんだろう、自然とそれにならって生きてきた。この先も大事に、大事にしていくだろう。
まぁ最近の、社内打ち合わせでのまくしたてるようにしゃべる話し方には自分で本当に辟易としていて、どうにかしたい、品がないと、打ち合わせが終わるたびに落ち込んでばかりなのだけど…。品のある生き方を心得るには、まだまだ先が長い。
« 「研修で学んだことを仕事で活かす受講者は1〜2割」からの | トップページ | 部外者の仕事 »
コメント