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2021-05-26

カミュの「正義より母の命」、村上春樹の「壁と卵」

Amazonのサイトをうろうろしているとき、なんとなく流れ着いて週末の晩に観た「アルベール・カミュ」の映画。アルジェリア出身、フランスの小説家、劇作家、哲学者とも言われるカミュの生涯をえがいた作品。

窮地に立たされたとき、何に価値をおく人間かがあぶり出される。その価値のために闘うか、手放すか。

言葉の表現者だけに、セリフの一つひとつからカミュの苦悩、意思、志すものが伝わってくる。

分裂じゃなく一致を求めている。道徳は政治を上回る。この世界の破壊を防ぐこと。

ノーベル文学賞を受賞したときの講演会場で、カミュはアルジェリアの記者に非難されたとき、「君がしていることが正義なら、私は正義より母の命を重んじる」という返すシーンには、村上春樹がエルサレム賞の授賞式に出向いて講演した「壁と卵」の話が浮かんで重なった。

もし、硬くて高い壁と、そこに叩きつけられている卵があったなら、私は常に卵の側に立つ。そう、いかに壁が正しく卵が間違っていたとしても、私は卵の側に立ちます。何が正しくて何が間違っているのか、それは他の誰かが決めなければならないことかもしれないし、恐らくは時間とか歴史といったものが決めるものでしょう。しかし、いかなる理由であれ、壁の側に立つような作家の作品にどのような価値があるのでしょうか。*

カミュの作品は、まだ「ペスト」しか読んだことがないのだけど、もういくつか人気のものを読んでみたくなった。作品を通して、彼のえがく「不条理」を読み取ってみたい。不条理について、そろそろ腰をすえて考える年頃なのかもしれない。

彼は、自分を非難して罵声を浴びせたアルジェリアの記者のことを、彼の中にあるのは自分への「憎しみじゃない、絶望だ」と静かに述べていた。

*: 村上春樹エルサレム受賞スピーチ│書き起こし.com より

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