3月の初詣、出雲がゆかりの地に
今週の月曜日、父を誘って成田山へ初詣に出かけた。3月に初詣なんて遅過ぎるけれど、コロナ禍でお正月恒例の参拝はひかえ、少し落ち着いた頃合いに…と思っていたら3月に。
再延長の緊急事態宣言下ではあるものの、有休休暇を取って平日の真っ昼間に決行すれば、電車は行きが下りで、帰りが上りだし、おおむね田舎から田舎への移動という感じだから(特に父は)人混みにあわず行き来できるのでは、と企てた。むしろ宣言明けのほうがリスクを感じる…。
この日なら仕事も都合がつくし、世の中的には普通の平日ながら、私の誕生日前日とあって父と私にとってはなかなかめでたいデーなので、ちょうど良かった。
その日を迎えると、天気はあいにく冷たい雨。しかしコロナ禍では絶好のお出かけ日和とも言える。父が朝に電話をかけてきたので、第一声「雨だねぇ」と様子を伺うと、父が「俺のメモには雨天決行と書いてあるよ」と返してきたので、「じゃあ行きましょ!」と応じた。
実際向かってみると、電車がらがら、参道もがらがら、食事処もがらがら、新勝寺もがらがらで、すばらしくゆったりのんびりできた。私は成田山てお正月しか訪れたことがなかったので、ギャップがすごかった。人混みなく歩く参道も境内も初めてで、こんなに大きいのか、こんなに広いのか、こんなに立派なのかーと、あちこちで感心した。同じ場所でも見え方ってこんなに変わるものなのか。
大本堂の中にも少しあがって、祈祷の様子を眺めた。お坊さんのお経を読む声が堂内に響き渡り、お坊さんの前には大きな炎があがっていて、端からは大太鼓を打つ音が鳴り響いていた。自分の心は、時を重ねるごと静寂さを得た。私は太鼓の音が好きだ。
食事処も、お正月だと食べたらすぐ出て行く混み具合なのだけど、今回ばかりはいつまででもゆっくりしていってくださいなーという竜宮城状態だったので、あれやこれや父とおしゃべりして長居した。
そこで、そういえばと思い当たったのが、私は父方の祖母のことをほとんど知らないまま今日までやってきたということだ。祖母は、私が生まれた20日後くらいに亡くなったので一度も会えずじまいで、入れ替わりのようにして私がこの世に生を享けた。彼女が、父とのおしゃべりの中で出雲の人だと知り、えぇ!と内心テンションがあがった。この歳まで知らなかった。
がぜん出雲行きたさが高まり、いや前から行きたいところではあったのだけど、急に「ゆかり」感が高まったのだ。人の認識っておもしろいなと思う。お調子者とも思うが…、いやぁやっぱり生きている間に一度は行かなきゃな、コロナが明けたら行きたいなぁと、「出雲」の地を心に書きとめた。
翌日の誕生日の晩、床について目を閉じた刹那、ふと、この、今生きている私の人生が幕を閉じ、いつか私の意識も無意識もなくなって、体もなくなって、土に帰るのか、天に向かうのか、それとも海に帰すのか、全部がなくなるんだなぁという核心に、触れた。こんな文章をしたためている、もととなっている心のうちが、何もかもなくなるのだ。それくらいちっぽけなものと認めながら、私は大事に、大事に、この人生を生きていく。感謝して、生きていきたい。
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