ひとりの中にある「父性と母性」
父性と母性について言葉をくだいて書いてあるのが、臨床心理学者の河合隼雄さんが遺した「母性社会日本の病理」。1976年の著作だ。
ちょっと要点を書き出してみたい。
母性
- 母性原理が示すのは「包含する」機能
- すべてのものを(良きにつけ悪しきにつけ)包みこみ、絶対的な平等性をもって扱う
- 与えられた場に属するものに対しては、個人の能力の差などに注目せずに平等に扱う
- 肯定的な面では、生み育てるもの
- 否定的な面では、呑みこみ、しがみつきして、自立を妨げる、死に至らしめるもの
- 「場の倫理」を重んじる(与えられた場の平衡状態の維持にもっとも高い倫理性を与える)
父性
- 父性原理が示すのは「切断する」機能
- すべてのものを切断し分割する(主体と客体、善と悪、上と下、物質と精神などに分類する)
- 個人の能力や個性に応じて類別する。個人の能力を測定し、評価することを公平さの前提にもつ
- 肯定的な面では、強いものを建設的につくりあげてゆく
- 否定的な面では、切断の力が強すぎて破壊に至らしめる
- 「個の倫理」を重んじる(個人の欲求の充足、個人の成長に高い価値を与える)
改めて記述してみて、やっぱり一人ひとり両方もっているよなぁと思う。男性であれ女性であれ。私という一体の中で、両方の意味や価値を見いだせるし、両方の危うさやリスクを理解できる。
機能として見れば、両方やる。包むことも、切ることも。呑みこむことも、分割することも。平等な価値判断も、公平な価値判断も。私たちは成熟していく過程で、うまく両方の機能を場面場面で使いこなせるようになっていく。他方で、いくら大人になってもストレス下で片方が出過ぎたり、片方が衰弱したりしてコントロールを失う場面もあるのが人の常だ。
性質として見れば、人それぞれ。どちらが優勢で、どちらが劣勢か、それには個体差がある。そこには一体の中である程度統合された現れ方があり、それを性格とよんだりパーソナリティーとよんだりするんだろうけど、性別がこっちだからどっちが優勢と決めてかかるのはあまりにステレオタイプな見方で、個人の捉え方が雑だよね。っていう見解をもつまでに、社会は発展を遂げようとしている、その只中にある。そんな感じだろうか。
父性と母性といえば、まずは「対立関係」にある原理として認めるのが普通だけれど、そこで立ち止まらずに、たとえ自分個人の中で、あるいは自分が生きてきた社会、時代、なじむ文化や宗教において、片方が優勢、もう片方が抑圧された状態だったとしても、そこから切り離れた視点をもって解釈を発展させられるのが、人の知性だ。
両方ないと世の中が成り立たないことを認めて、そこに互いが互いを補い合う「相補関係」を見いだして、自分の中にも、他の人の中にも、社会の中にも、双方の「融合した状態」を認められるようになること。ここに、私が好きな人間の豊かさがある気がする。
「男性と女性」についても、似た解釈ができるのではないか。この2つも対立関係をもつ概念であって、男性性と女性性を一人が同時に現すことはできない二律背反性をもつ。積極的かつ消極的であるとか、自律的かつ従順である状態を同時に出すのは、怒りながら笑う表情をつくるほどに難しい。
けれども、その同時性を排除すれば、性質としては一人の人間の中で、両者は内包しうるものである。その通常時の男女性質バランスには、性差というより個体差を認めるほうが、健全に個人や状況を洞察しやすいのではないか。「~さんは厳しい人だよね」というのは、ごく自然だけど、「~さんは男性だから厳しい人、そうあるべきだ」というのは不自然だ。
一人ひとりの中にも、また社会や時代がもつ文化によっても、一方が優勢、もう一方が抑圧されていることがある中で、そこに補償関係を認めて活かせるのが人間の知性であって、そんな捉え方が健全だろうなぁと思っている。
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