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2021-01-29

Era Web Architects オンライン番組に出演して撃沈の巻

以前ここに書いた"Era Web Architects"というプロジェクトの一環で、オンライン番組に出演することになり、それが昨晩(1/28)ライブ配信されました。 21時から1時間半くらい。

Era Web Architects オンライン #16

30年くらい寝かせたら、あるいは面白おかしく観られるかもしれないということで、一応ここに残しておくのですが…(ココログあるかしら)。いやはや、かように人はおしゃべり下手をふるまえるものか…という話し下手っぷりを披露してしまい、穴があったら入りたい。こんなに、こんなに私は話し下手だったのか…という自覚をあらたにして床につきました(それでも熟睡できるのが私の強み)。

ライブ配信終了後、まぁすぐに眠れるものでもないしなと反省がてら、一通り1時間半の自分の話をYouTubeのアーカイブで聴きなおしてみたのですが、ダメダメなのは分かりつつも、具体的な改善策が見いだせない。準備もしたし、当日も精一杯やったけど、これが自分の力量なのだとしか言いようがなく、今からやり直したからといって何かものすごくパフォーマンスが改善されることは望めないのだということを受け止めざるをえず、打ちひしがれて床についたのでした(それでも安眠できるのが…)。

一夜明けて、改めて、目が覚めてみてもやっぱり昨日のしゃべりはひどかったなぁと思う次第なのですが、まぁとにかく偉人の中にひとり凡人が入ったことによって、やっぱり他の皆さんはすごいんだ感が少しでも演出できれば意味もあるというものです。

ここでゲストに登場する面々は、ネットに出合い頭、世界が変わる!これは面白い!とびびびっと来た方が大半かと思われ、これを観ている方で90年代まだ小さかったり、まだ生まれていなかったという方は、そういうものかと思うかもしれないけれど、んなこたぁないのだと。当時その場に居合わせても私のようにぼんやりインターネットに触れだして、じわじわインターネットすごいーと思っていった一般人だってたくさんいたのだと。びびびっと来た面々というのは、研ぎ澄まされた先見性の高さあってこそ、びびびっとしたのだということを、私を混入させることによって共有できればと思います。

お話はダメダメだったのだけど、個人的には、当日までにけっこうな内省時間をとって自分の古き頃の振り返りができ、自分がいかに環境に、人に、良き影響を与えてもらって今ここにたどりついているのかが改めて認識できたので、非常に良い体験でした。

特に今の会社に入ってからのここ16年の振り返りというのが、なかなかできていなかったなと思いました。2005年以降を今回丁寧に振り返ってみまして、すると「あの時、あの人にこういう形で育てられていたんだ」という日常に埋まっていた影響を浮き彫りにでき、また「私があの人を好きなのは、こういう人間的深みをあのときに読み取っていたからなんだなぁ」という気づきもふんだんに得られました。これは個人的にものすごく良かったです。当時もふんわりとは思っていたのですが、今回手元ではそういうことをたくさん文字にして言葉にできました。

そういう意味では、よかったんだね、そっかそっか、そりゃよかったねってことで、どうか、どうか、ご勘弁ください…。

その掘り起こしの中から当日話題に挙げられたのが1割もないのはナゼなんだぜって感じなんですが…、いい掘り起こしの機会をいただいたので、自分の中でそれをまた豊かに血肉化しつつ、また折に触れブログなど文字にしたためてシェアしていけたらいいかなぁと思います。

ブログはほんと、私が何十時間かけて1エントリー書こうと人に迷惑かけないし、しゃべりの下手さで相手をいらいらさせることもなく、非同期コミュニケーションツール最高!文字媒体の懐の深さよ!ブログという仕組みに感謝、感謝であります。役立ったツールに「ココログ」あげる人もなかなかいないわよってなもんでしょう、そうでしょうそうでしょう。

ちなみに2021年1月現在「円グラフ 帯グラフ」ってぐぐろうとすると「使い分け」ってサジェスト表示され、これで検索結果トップに私のブログが来るという話題を披露しましたが、「セブンプレミアム 柿ピー」とぐぐろうとすると「メーカー」ってサジェスト表示され、ここでも「柿ピーのウラ面を読む」という私のブログが1ページ目のけっこうなところに出てきて、むふふと思ったりします。こうして、ただの一市民が書いたちょっとした文章が、こんなテーマで検索した人と世の中の隅っこでつながってシェアされる面白み。

専門家でない私にとってのインターネットは、やっぱり一市民として恩恵を感じいるところが一番で。それは90年代デジタルハリウッドで働いていたときに杉山先生が語り聴かせてくれていた、みんながデジタルの力をもって創るってことをするようになるんだって世界の、その体現者として今自分もあるということでもあって、それをすごく感慨深く思うのであります。

そんなわけで、そういう一市民の混入を、箸休め回としてご堪忍いただければ幸いです。もしアーカイブでお聞き流しいただける奇特な方がおられましたら、何とぞ1.25か1.5倍速くらいにしてご視聴くださいませ(いらいら軽減策として有効かと)。

坂本さん、郷さん、そして貴重な時間をご視聴に割いてくださった皆さま、本当にありがとうございました。

2021-01-27

YouTube「キャリアデザイン講座」第7回を公開(プロへのキャリアパス)

勤め先のYouTube公式チャンネルで「キャリアデザイン講座」第7回を公開しました。今回は、プロフェッショナルへのキャリアパスを下敷きにして、それと照らし合わせながら自分の現在地を確認したら、自分の次の一手を明らかにする一助に使えるんじゃないか?を試みる10分動画を作ってみました。

【クリエイターのためのキャリアデザイン講座7】プロフェッショナルへのキャリアパス

クオリティ的には、、一歩進んで二歩下がる感もありつつ、引き続き手作りしております。

今回も台本作りにうんうんうなりまくっているうちに、ぎりぎりになってしまって、スライド作りやらナレーション収録やらは最後にどどどーっとやる感じに…。ここを改善するのと、「クリエイターのための」クオリティを上げるのが目下の課題。

あと、ちょっと息ふきかけちゃっているような音が入っちゃっている反省と。首まわりすっきりした服を着ていないと、つまった感すごいんだなっていう学びもあったので、今後はすっきりした格好で撮影しようと。そういうちょぼちょぼした改善を図りながら、引き続きがんばります。

中身はオーソドックスなキャリアデザインの基礎知識ですが、今の時代感をつかみながら、クリエイターの皆さんにできるだけ親しみやすく、1本10分程度で気軽に見られるものを念頭において作っています。2週間おきで更新していますので、どうぞ、ごひいきに。

2021-01-24

仕事を「労働」「仕事」「活動」に分けてみる

一つ前に書いた、山口周さんの著作「ビジネスの未来」を読んだという話で最も興味をひいたのが労働観の変化について。ドイツの政治哲学者ハンナ・アーレントは、いわゆる一般的な仕事を「労働」「仕事」「活動」の3つに分けたという。

山口さんの本では、この分類を簡潔に説明してくれている。

生存するための食糧や日用品を得る=労働
快適に生きるためのインフラをつくる=仕事
健全な社会の建設・運営に携わる=活動

これに興味をもってネットで検索してみると、ハンナ・アーレントがこれを著した「人間の条件」について詳説しているブログに行き当たった。平原卓さんのPhilosophy Guides「アーレント『人間の条件』を解読する」。おぉ、平原卓さんって「読まずに死ねない哲学名著50冊」の人ではないか。

で、自分なりの理解で、この3つを図解してみると、こんな感じになった。

Laborworkaction

平原卓さんによるハンナ・アーレント「人間の条件」の解読を一部引用すると、

人間には「労働」「仕事」「活動」の3つの活動力があって、それらが人間を他の動物から区別している。しかし近代社会は「労働社会」となり、私たちが人間であり、自由となるために欠かせない「仕事」や「活動」を押しつぶそうとしている。人間はいまや動物化の危機に直面しているのだ。

また、山口周さんの先の本で問題提起されていることの一部を、私なりに要約してみると、

私たちの社会は「労働」と「仕事」から解放されつつあり、そうすると私たちに残されている役割は「活動」しかなくなる。実際、最前線で活躍している人ほど「遊びと仕事」の境界が曖昧になっている。仕事は何かを得る手段としてではなく、仕事そのものが報酬となっている。労働と報酬が一体化するとなると、労働そのものの概念が変わることになる。これは大転換期である。労働観が「辛く苦しく望ましくないものだが、その対価として報酬が得られる」という位置づけから、「遊びと渾然一体となって、望ましく有意義で、その活動自体が報酬」というふうに変化。つまり「労働」の概念がネガティブからポジティブに転換するなら、労働時間外の「余暇」という概念がポジティブからネガティブに転換することにも。

といったところ辺りに、読んでいて悶々とした思いを抱えた。従来の労働観を前提にした法体制だと、「活動」したい人が制限される、労働にあたらない「余暇時間の確保」を強制されるということにもなり、すでに気になる兆候はある。

確かに、組織が無理やり労働させようとするのを抑制する法律は大事だし、組織が対外的には「これは活動だから」と言いながら従業員的には労働にあたるものを強いられる状況も起こりうるわけだから、そういう意味での法整備は大事だろうと思う。

けれど、それだけだと今後、世の中から「労働」が減っていって「活動」が増えていくとしたら、それを促進したり支援する社会のあり方とか、創造を生業とする職業人をサポートする仕事に就く自分の仕事なり活動なりというのは、どう変わっていくべきなのかとか、そういうことがもやもや頭をもたげた。

この転換期に生きているという認識をもって、目の前の仕事を「これでいいのか」と自己批判しながらやっていく繰り返しが大事なのかなとも思いつつ。今という時代がどういう時代なのか、どういう転換期にあるのかを丁寧にみて、事に仕えていきたいと思う読書体験だった。

2021-01-19

山口周「ビジネスの未来」が美味だった

ホタテのバター醤油焼きなみに美味だった山口周さんの「ビジネスの未来-エコノミーにヒューマニティを取り戻す」の読書メモ。

山口周さんの本は、事実と分析と主張と挑発と激励が全部入りで、知性と理性と感性と野性と全部詰まって書かれている感じが好きだ。単純なので挑発にのって奮起し、激励によって快い読後感を得る。

導入部の心奪われポイントを走り書いておくと(キャラ全然違うけど)。

ビジネスはその歴史的使命を終えつつあるんだよ。低成長、停滞、衰退だとか、売上・利益が伸びない、株価が上がらない、成長機会が見つからない、新規事業が立ち上がらないとか言うけどさ、「低成長」って言い換えれば「成熟」した状態ってことだろ。「高成長」できる余地があるってのは「未熟」だってことさ。私たちはもう十分に成熟したってことさ。このビジネスゲームは、もう完了しつつあるんだ。

過去200年、いやいや古代から振り返ったって「物質的な貧困を社会からなくす」って使命はもう達成されつつある。古代から2000年に渡ってずっと上昇してきたGDP成長率の推移は1950~1990年にピークを記録した後、下降局面に突入。この先もう一度盛り返す気配もない。私たちは人類史上、初めて経済成長率が上昇から下降に反転する瞬間を生きているんだよ。

そういう自覚がなくって、過去のノスタルジーに引きずられてしまっているのは愚かだよ。私たちは「経済成長」というゲームに不毛な延命・蘇生措置を施すんじゃなくて、このゴール達成を祝祭しつつ、新しい活動、新しいゲームを始めるタイミングにあるんだ。この世界を「安全で便利で快適な(だけの)世界」から「真に豊かで生きるに値する社会」へと変成させていくのが新たな使命なのだよ、と。

ウィリアム・ブリッジズ(米国の臨床心理学者&組織開発コンサルタント)は、「転機をうまく乗り切れずに苦しんでいるケース」には共通して「過去を終わらせていない」という問題が潜んでいると言っているよ。終焉をポジティブに受け容れて、次のゲームに行こうぜ、という話。

これは本の始めのところで話されていて、ただ問題提起するだけでなく、次のゲームってどういうことという話に切り込んでいく。なんか、元気もらったなぁ。

私たちが乗っかっているさまざまな社会システムはやプラットフォームは「成長が当然の前提」となっている1950年代から1960年代にかけて作られたもので、それによって日本の社会ではさまざまな軋轢や齟齬が起きている、現状とシステムの不整合が起きている。

まずは、思考様式・行動様式が「インストルメンタル」から「コンサマトリー」に変わっていく社会を自覚して、頭の中でこねて馴染ませて、自分の思考・行動様式、身近なところの当たり前に見直しをかけていきたい。

インストルメンタル
・中長期的
・手段はコスト
・手段と目的が別
・利得が外在的
・合理的

コンサマトリー
・瞬間的
・手段自体が利得
・手段と目的が融合
・利得が内在的
・直感的

労働と遊びが融合して一体化する見通しをもって、わがごととして考えるべきことは多い。

2021-01-14

「Web系キャリア探訪」第27回、体系化より個別化

インタビュアを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第27回が公開されました。今回は2000年から20年にわたって「花王のインターネット活用」を最前線で率いてこられた板橋万里子さんを取材しました。

花王でインターネット一筋20年。時代の変化を無理なく楽しむ仕事観

テレビCMの制作会社、日本マクドナルドを経て、2000年に花王に入社。以来20年間ずーっとずっと、花王のインターネット活用をテーマにキャリアを積んでこられた板橋さん。

数多くの多様なブランドを擁し、日本を代表する企業である花王で、絶え間なく進化していくインターネットをどう活用していくかを前線で考え続け、社内の専門家チームとして会社を引っ張っていく立場に立ち続けてこられたとあって、転職せずとも常に周囲の環境、自分の役割が変わり続け、チャレンジする機会に事欠かなかったキャリア変遷がうかがえました。

コーポレートサイトを作ったり、デジタル広告を活用するところから始まり、全ブランドのサイトを作ったり、花王のWebサイトのガイドラインを作ったり、自社のコミュニティサイトを立ち上げて運営したり、ソーシャルメディア活用を推進したり、動画マーケティング、SNSマーケティングと。

ただ、それぞれ流行にのって手を出すというのではなく、インターネットの発展とともに登場してくる新たな概念、手段、ツールやサービスをいち早くキャッチアップしては、まず自分で使ってみて、どんなものか自分の実体験を通じて理解することを怠らない。そして「花王でどう使えるだろうか」と問うて、考えやアイデアを膨らませるという基本所作を、着実にやり続けてこられた。丁寧に、真面目に、真っ当に、自分の手元で続けてこられたことが何より尊いことだよなと敬服しながら、お話を伺いました。

また若手の育成に関しても、へたに新人の育成方法を統一・体系化しようとするのではなくて、一人ひとりを丁寧にみて関わっている様子が伝わってきて素敵だなぁと思いました。

板橋さんは、以前この連載にご登場いただいた廣澤祐さんの初代上司にあたる方。本当に花王の方にお話を伺うと、真面目さ、真っ当さにこそ魅了されます。

なんてったって私、廣澤さんの取材で、本当にいい会社だなぁと思いまして、以来キュレルのボディシャンプーを使い始めました、はい。ボトルの後に詰替え用にも手を出しまして、もう安泰な客となって、めでたし、めでたし。ご興味ある方は、ぜひ読んでみてくださいませ。

2021-01-13

YouTube「キャリアデザイン講座」第6回を公開(自己分析の方法)

勤め先のYouTube公式チャンネルで公開している「クリエイターのためのキャリアデザイン講座」、このたび第6回を公開しました。今回は、けっこうポピュラーなWill、Can、Mustの3つの切り口から自分について掘り下げるアプローチをご紹介。

【クリエイターのためのキャリアデザイン講座6】自己分析の方法

なかなかどうして「クリエイターのための」っていう掘り下げが甘いなぁと毎度反省しながら昨年末まで動画を公開し続けていたのですが、今回はいくらか濃度を高めて公開できたか…というところ。今年は回を重ねるごと濃度アップを図っていきたい。

年末年始にもっと作りためておければ良かったのだけど結局、この第6回を仕上げるので精いっぱい、台本作るまでで1月4日の仕事始めを迎えてしまった…。あーでもないこーでもないと書いたり消したり書き直したりしているうちに年が明け、あれを削いでこれを削いでと10分のお話にまとまったときには休暇が明けていた。

仕事始めの4日に台本を作り終え、その後えっさほいさとスライド作ってアニメーションをつけてナレーションどりして動画ファイル作って…と。

冬休みあけに宿題を終えていない中学生の気分で「いや、でも、ほら、年明け初回の現国は水曜日だから、宿題提出までは実質あと2日ある」みたいな言い訳をひとりごちながら仕上げた次第。水曜ぎりぎりに一式素材をまとめ、映像編集してくださる方にパスして一息。

今回の動画作りのプチ成長は、(前回も同じこと言っているけれど)初回当時に比べればだいぶ普通にしゃべっていること。中身がいっぱいだったので、10分程度におさめるべくテンポアップした結果でもある。

あと、観てくださる方との双方向性を意識して、メモをとってもらいながら使ってもらえたらなぁという想定で声がけしたりスライド起こししたことあたりか。

スライドに1点打ち間違えが混入しているのは猛烈に恥ずかしいのだけど、気づくタイミングが遅すぎた&内々で誰もつっこまなかった&軽度のミスなので、そのままになっている。反省。

引き続き自宅で家内制手工業しているお手製感が半端ない仕上がりですが、本年も数か月は続けるかと思いますので、ご愛顧のほど、よろしくお願いします。私と直につながっている方には無用の長物かもしれませんが、周りの若者などで、ちょっと見てみたらいいかも?と思う方などいらしたら、ご紹介いただければと。

中身はオーソドックスなキャリアデザインの基礎知識ですが、今の時代感をつかみながら、クリエイターの皆さんにできるだけ親しみやすく、1本10分程度で気軽に見られるものを念頭において作っています。2週間おきで更新していますので、どうぞ、ごひいきに。

2021-01-09

新しい習慣を作りたいときは66回繰り返す

昨年末にオンラインで行われたATD Japan Summitで、脳科学を専門とするBritt Andreatta博士(7th Mind, Inc.)がお話ししていた新しい習慣づくりのメモ(セッションの中のごく一部なんだけども)。

習慣は、繰り返しから生まれる。何かを繰り返しやっていると脳が「これ何度も何度も同じことやってるから、低エネルギーパッケージにして自動操縦にしようぜ」って頭を使うのだと。

そのときに紹介していたマジックナンバーが、20、40〜50、66。
●20回繰り返すと、神経ネットワークが形成される
●40〜50回繰り返すと、脳がそれを習慣に変えて、自動操縦になって、考える必要がなくなる
●66回繰り返すと、ニューロンはかなり太くなる

とのこと。ニューロンは筋肉のように使うほど太くなるのだと。つまり「習慣づく」ということだ。ジョギングも2ヶ月くらい毎日走り続けると習慣としての安定感出てきた気もするし、体感的にもふむふむ感があって印象に残った話。

従業員や部下に習慣を身につけさせたいといった場合は、どうすれば66回繰り返し練習するようになるかの学習環境をデザインすると良いとも。

習慣づくりはかなり奥深いので、これはあくまでその片鱗の知見ということになるけれども。個人の習慣、成功する企業の習慣、社会の習慣づくりまでを論じた本だと、チャールズ・デュヒッグ氏の「習慣の力」*にはいろいろ詰まっていて興味深く読んだ。けれど、けっこう分厚くて(Kindleで読んだんだけど…)読み終えるまで大変だったので、とりあえずぱぱっと生活の支えになりそうな目安の数字のシェア&自分の備忘録として。「騙されたと思って」というフレーズが絶妙に合うわ。

*チャールズ・デュヒッグ氏「習慣の力」(早川書房)

2021-01-05

人に会えるのは生きている間だけ

3年前の年賀メールきりになっていた方が、2年ほど前に亡くなっていたことを昨晩知った。同じ世界に生きながら、私よりずいぶんと複雑な世界に身をおいて孤独に闘っている哲学者のような女性だった。

一人の人間という容れ物におさめるにはあまりに複雑な情報を感受せざるをえない精巧なつくりに生まれついてしまって、それを切り盛りできるだけの優秀な頭脳と精神とを持ち合わせてもいて、だけどもやっぱり人間だもの、いかに優秀といえ大変な苦労をしているように思われた。

私が一緒に過ごした時間はたいそう短く、やりとりしたメールも数少ない。けれど、いつも彼女は自分の本当の言葉を選んで、話して、書いた。そういう日々のことだけでも、大変なエネルギーを使っていたのではないか。手元にある彼女からのメールを読み返してみて、改めてそう思う。自分の本当を全うするって、大変なことだ。だけど、彼女は本当じゃないことを選べなかったのではないか。

今回は、共通の友人が年賀状を送ったことから、ご家族より返事があって、このことがわかったけれど、私のようにメールのやりとりじゃ、ネット上で届かぬメールが右往左往して、いずれ消失してしまうだけ。ぼーっとしている間に2年でも3年でも経ってしまう。

伊坂幸太郎「モダンタイムス」に出てきたセリフが、脳裏に浮かぶ。

あなたはまだ実感ないだろうけど、人に会えるのはね、生きている間だけだよ

そうは言っても、自分が会いたい人誰しもに会えるわけじゃない。大方は、もう会えないのだろうなぁとも思う。だからこそ、自分に時間を割いて会ってくれる稀有な人とは、大事に時間を過ごしたいと改めて思った。本当に限られた、ありがたい機会なのだなと。こんな時勢ではあるけれど。

2021-01-03

今年はきちんと

昨年は地味につらい時間に覆われていたので、今年の始めは(私にしては珍しく)この節目をうまく使って気持ちを切り替えよう、ひと区切りつけようという意識が高い。いつもはもっとずるずるって感じの幕開けなのだけど…。

この年末年始に改めたのは、まず静寂時間の確保だ。静かな時間を大事にしている。そうすると、いろんなことを自分の頭で考えたり、あれをしよう、あれはどうなっているんだっけ、そういえばこれを調べたかったんだ、本を読もうと、あれこれ自分が始動する感覚がわく。これは手放してはいけない。

昨年はわりとYouTubeやTVerなんかも見て気晴らししていたのだけど、視聴覚を奪われるのはやっぱり、どうも意識も時間ももっていかれ過ぎるきらいがある。これをラジオに戻し、なんとなくじゃなく人が手をかけた作品にきちんと向き合うのを本と映画から摂取するようにすると、なかなか豊かに暮らせることを、この年末年始で実感した。

あとは、この休みのほとんど仕事の宿題を抱えて書いたり読んだりうんうんうなったりしていたので実質、日常生活の延長だったのだけど…。

大晦日と元日の2日間は年末年始っぽく過ごせた。大晦日に父と一緒に母のお墓参りに行って、年越しそばを食べて、スーパーで大量の買いものをして、晩は妹方が送ってくれたカニ鍋を作って満腹。元日は兄一家を迎えておせち料理とお雑煮とお年玉でもてなして。妹は急遽、遠方から帰省できなくなってしまい、初詣も先延ばしにしたものの、家族で父を囲んで過ごせて良かった。

今年は、きちんと自分を生きていこう。

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