「この中に一人だけなんでもない人が混じっています。誰でしょうか?」という問題を出したらダントツで1位を取れる自信があるってなものなんだけど、Webサイトをつくってきた人々の写真展「Era Web Architects」というプロジェクトで、被写体30人のうちの一人に選んでいただいた。
1年くらい前だったか、プロジェクト発起人の坂本貴史さんから連絡をもらって話を聞いたのが最初。こういうプロジェクトをやりたくて、という趣旨説明を受けとった私は、当然「なので裏方を手伝ってほしい」という相談が続くものと予想して次の一言を待っていたのだけど、その後のメッセージが写真展の被写体側の要請とあって、ものすっごい驚いた。そんなバカな、と。
スマホ片手に通りを歩きながらしばらく、どういうものの考え方をしたら被写体側に私を採用する話が成り立つんだろうかと頭を悩ませ、もう一度プロジェクトの趣旨を読み直したりした。
ただ、基本自分にはもったいないようなありがたい話が巡ってきた際は前向きに受けるようにしているのと、腕利きの写真家が自分のようななんでもない被写体をどう映すのか見てみたいという好奇心と、何はともあれ私にとって戦友のような発起人の企画を応援したいという気持ちが働いて、快く引き受ける旨、その場で返答した。
一応の納得の足場としては、自分の役どころはまぁ遊びというか、はずしというか、バラエティ担当というか、今回の人選に多様性と独自色をもたせる役割なんだろうと見た。この手の人選に私を混入させるなど、後にも先にも坂本さんしかいないだろうから、自分が入ることで、人選の独自性をむちゃくちゃ高めている自信?はある。不快な方、嫌悪感を抱く方もあるかもしれないが、これからは多様な価値観を寛容に受け止めることが求められる時代ということで、私も他の面々と横並びだなどと一切思い上がっていないので、どうか溜飲を下げてご容赦願いたい。
さて、その最初の声がけから、コロナの影響でスケジュールは後ろにずれつつも、この秋ごろから目に見える形でプロジェクトは活発に動き出し、私も少し前に写真展用のポートレート撮影をするため、都内のスタジオに足を運んだ。
スタジオには、発起人の坂本さん、写真家の坂本貴光さんのほか、少し前に撮影を終えた原一浩さん、中村享介さんがリラックスして談笑していた。私は皆さんと久しぶりに笑顔で再会できたことに120%意識が向いて片時の同窓会のような時間を過ごし、もうそれだけで、これに参加させてもらえて良かったなぁと心から感謝した。
改まった写真撮影なんて、遠い昔に履歴書用の撮影を伊勢丹の写真館でしてもらったくらいか。「女性なんでね、鏡の前でいくらでも準備してください」と席を譲られたところで、化粧道具も持ってきていないし、何か駆使する腕もないし、やることが思いつかず、髪を手ぐしでいくらか整えること3秒、これでいいです…とおずおず準備完了を申し出た。
撮影は、10分だか15分だかみんなとおしゃべりしている間に、写真家の坂本さんがシャッターを切って程なく終わった。ぱしゃぱしゃ何枚も撮るのではなく、ここという彼のタイミングで数少なく撮影が行われる。どういう瞬間をとらえたのかは、私も見ていないのでわからない。その場で覗かせてもらうこともできたのかもしれないが、何か踏み込んではいけない感じがして、写真展までお楽しみとした。
3月初旬に都内(恵比寿)のギャラリーで写真展を催す予定だという。2011年に坂本さんが「IAシンキング」という単著を出したとき、その書籍の奥付に企画協力として私の名前が載っているのを見せたら父がえらく喜んでいたので、今回の写真展も状況が許せば、父を誘って見に行ってみようかと思っている。実際以上に自分の子どもが何かえらいことしたふうに見える、数少ない親孝行の機会だ。
このプロジェクトは、写真展のほか、今すでにYouTubeでインタビュー動画を配信していたり、それを順次マイナビ出版「WD ONLINE」で記事にしたり、CAMPFIREで活動資金のクラウドファンディング支援者を募集していたりする。
私の個人的な親孝行はいいとして、このプロジェクトを広くはどう意味づけできるものだろう。クラウドファンディングで支援してもらえるような形で、内輪感や閉塞感をもたれず良い形でいろんな人に意味を見出してもらえるシェアは、どのようにして可能なものだろうかと、しばらく静かに考えていた。
というのは、どうもここ数ヶ月の坂本さんの発信を追っていると、彼はどうやら人の生き死にをも身近に捉えながら、このプロジェクトに並々ならぬ思い入れをもって力を注いでいるらしいことが伝わってきたからだ。
私のようなおまけが下手にプロジェクトを紹介して、格を落としたり下手に批判されるような目には合わせたくない。それは最低限として、何か良い形でこのプロジェクトを知ってくれた人が、それぞれの手元で有意義な意味を見出してもらえるあり方、私なりのシェアの仕方というのはないものだろうかと考え続けていた。
そんなことをあーじゃこーじゃ考えている暇があったら、さっさとシェアするのが一番だろうというのは、それはそれで自分で突っ込み入れつつではあったのだけど。
ネット黎明期から現場で汗水流して働いてきた面々を30人というと、いくらでも切り取り方がある。人の数だけ人選のしようがあるだろう。今回はあくまでも坂本さんが独自の視点で選んだものであり、その独自性にこそ意味がある一方で、別の人が見れば、自分が選ぶならそうはしないなって反発も覚えやすいことが危惧された。
でも、私たちがそれこそインターネット黎明期からずっと大切にしてきた心持ちというのは、こうしたいろんな受け止めようがある誰かの企てに対して、真っ先に落ち度や不満点に目をつけて叩くところから入るのではなく、それぞれが自分の手元に引き寄せて、そこに可能性を見出すポジティブさではなかったか。インターネットそのものが、オープンに、フラットに、情報をつなぎ、人間関係をつなげていく、その恵みの計り知れなさに興奮と感謝を覚えながら仕事生活を充実させてもらってきたのが私たち世代であったように思われた。
何かそういう心持ちに立ち返らせてくれるプロジェクトでもあって、いろんな人とそういう原点の心持ちを交わしていく、情報も人間も気持ちも有機的につながっていく発展的プロジェクトの種に、なったらいいなぁと思う。結局、だいぶモヤッとした文章にしか書き表せない自分の力量を認めて、これで一旦シェアすることにしたのであった…。
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