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2020-11-25

YouTube「キャリアデザイン講座」第4回を公開(やりすぎ注意!のキャリアデザイン)

勤め先のYouTube公式チャンネルで始めた「クリエイターのためのキャリアデザイン講座」、このたび第4回を公開しました。人生は予定調和にはいかないという前提に立つならば、という話。

【クリエイターのためのキャリアデザイン講座4】やりすぎ注意!のキャリアデザイン

今回のテーマは、遠い昔「withD」というWebマガジンで連載コラムを担当していたときに「キャリアをデザインしすぎるな」というお題で1本書いたことがあるのですが、それを今YouTube動画として再生させた感もあり。

あれから10年は軽く経っているよなぁと、今これを書きながら調べてみたら2008年6月の記事でした。あれから12年経ったと言えば、まぁそんなもんかという気もするけれど、あれから12歳年取ったと思うと、一気に重みがぐっと増すのはなぜなのか…。

そのときに記事の締めくくりで紹介したのは、

人生が生き抜くに値するかどうかは、生きてみないとわからない

というウィリアム・ジェームズの言葉。あの時と比べると、人生という言葉の受け取り方がずいぶんと、自分の中で深みを増したというか、変化を遂げたというか。当時はこの言葉を素直に、素敵なこと言うなぁと味わっていた気がしますが、今はそう単純でもない心もちで、じーっと眺めてしまう。純真さはいつまでも大切にしたいものですが…。

さて、あいかわらず家内制で一人こつこつ作っておりまして、お手製感はご愛嬌なのですが、今回の小さな成長は、前よりペースを上げて普通のテンポで話していることでしょうか…。あと地味にタイトルのつけ方を見直し、その回の中身がわかるようにしたとか、ハッシュタグをつけたとか…(亀の歩み)。

とにもかくにも中身そのものがどうなのよ問題という根本を引きずって、北風に吹かれながら自問自答して早2ヶ月経つのですが、今後もしばらく気を確かに心を強くもって、せっせと作り続ける見込みです。

中身はオーソドックスなキャリアデザインの基礎知識ですが、今の時代感をつかみながら、クリエイターの皆さんにできるだけ親しみやすく、1本10分程度で気軽に見られるものを念頭において作っています。2週間おきで更新していますので、どうぞ、ごひいきに。

2020-11-14

「組織への忠誠心・帰属意識を育む」課題の揺らぎ

エドガー・シャイン博士の5日間の講義がライブで受けられるとあって、パーソル総合研究所が主催する日本向けのオンラインセミナーに参加した。

キャリア理論の創始者、組織開発研究の大家として知られるシャイン博士、現在92歳。今回はサンフランシスコとつないで「組織社会化」をテーマに講義。講義といっても、参加者とのやりとりを大事にしたいということで、2日目以降は前日の参加者の質問を冒頭で聞いて、それに応じる時間に30分〜50分近くを使い、残り1時間を当日の講義にあてるようなスタイルで進められた。

初日は、武蔵大学教授による1時間ほどの話題提供から始まった。このプレゼンは、在宅勤務には知識共有やコラボ促進する力があるので、もっと前向きに活用していきたいといった趣旨の話から始まった。

これに対して1時間後、一通りプレゼンを聞き終えたシャイン先生が(素晴らしいプレゼンと褒めた後)、「互いを知り合うことはイノベーションに大事なこと。在宅勤務だけではダメでしょう。どのような仕事のタイプなら在宅勤務がふさわしいのか、仕事のタイプ分析・見極めが大事」と切り込むところから話が始まって、すごいジャブ、のりのりやないかい!と思いながら、その後のレクチャーを拝聴した。

いろいろ考えるべき論点の刺激はもらったのだけど、その一つは「組織への忠誠心を育む」という考え方が、一様に大事とは言えなくなってきているんだなということ。

そもそもアメリカでは、組織に対して「コミットメント」という言葉は用いることはよくあるけれど、「ロイヤルティ」という言葉はあまり使わないという話も。確かに、そんなイメージはある。

さらに、シャイン先生いわく、Appleの従業員から聞くのは、Appleには所属したくないけど、Appleのプロジェクトに参加することにモチベーションがあるという話。

会社自体ではなく、その会社が手がけるプロジェクトとか(この会社にいることで、そのプロジェクトに参加できる)、会社の中のサブユニット(ある事業部、ある職能集団とか)に参画意欲がある人もいるでしょうという話。その場合、組織内のジョブ・ローテーションで別部署に配置されれば本人は不本意で辞めてしまったりもする。

組織としては、従業員に対して組織への忠誠心なり帰属意識を求めたり、コロナ禍で在宅勤務が続く中、どう自社への帰属意識を維持・醸成しうるかを盲目的に問いがちだけど、一足飛びにそれを課題として位置づけずに、「どこに対するコミットメントを我が社は従業員に求めるのか?」という問いを一度検討してみるのが得策かもしれないと思った。

従業員が自分のところの「組織」に忠誠心なりコミットメントをもつことを目指すのか、それとも「プロジェクト」に、「事業」に、「職業」にそれを抱くことを許容するなり、推奨するなり、そこをこそ醸成してサポートする姿勢をもつのかどうか。そこら辺も、組織をまわす側、雇用する側の論点としてあるんだなぁというのを意識する機会になった。

それ以外にもいろいろ考えどころ、自分の役割の模索どころを与えてもらった気がする。大局的には、自分の見ているものが合っている感覚を持てたのも収穫。自分のもっている知識の網の目、解決アプローチの選択肢の網の目を細かくできたとも思う。解決アプローチの選択肢の良し悪しについて、自分がちょっと偏ってみていたなぁっていうのに気づいてニュートラルに戻すことができたりもした。だいたいの観点で、産業によっても組織によっても答えが変わってくるって話も、自分にも自分の持ち場での働きどころがあるかもって期待がもてて良かったし、自分の役割の広げ方についてもヒントをもらえた感じ。参加して良かったなぁ。

2020-11-12

「Web系キャリア探訪」第25回、優秀さが多角化する

インタビュアを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第25回が公開されました。今回は、55歳で博報堂を早期退職して独立、現在はマルチコネクトプロデューサーとしてスタートアップ企業の支援を手がける塩田透さんを取材しました。

55歳で博報堂を早期退職! 安定した会社員生活から飛び出した理由

1987年に新卒で博報堂に入社した塩田さん。以来55歳まで博報堂に勤めた後、会社の早期退職制度をきっかけにキャリア転換、「博報堂の看板をなくしたらどうなるか」というチャレンジに出ました。今回もオンラインで画面ごしの取材ではありましたが、今の仕事がものすごく充実している様子が伝わってきて、実に健康的な笑顔が印象的でした。

新卒時代はもう30年以上前ということで率直に訊いてしまったのですが、それまでガキ大将タイプだったのが、博報堂に入社して周囲の優秀さに驚いたショックを受け入れるのは、精神的にかなりきつかったとのこと。でも、そこから自分の役割を模索して、手探りしていく、それがインターネットの興隆と相まって、10年、20年という時の中で彩りを増し、塩田さんならではの優秀さを研ぎ澄ませていくプロセスを、早回しで垣間見せていただいた感じがします。

「優秀さ」というものが何をさすのかって、この10年、20年でもどんどん価値基準の画一性が解かれていって、多角的な見方が世の中で広がっている気がします。広告代理店だったら、やっぱりテレビ広告の仕事、大手クライアントのビッグな案件というのが花形だったと思うし、優劣でいうところの優に位置づけられていたと思うんですけど、予算規模は小さくとも、それ以外のバラエティ豊かな仕事のおもしろさ、組み合わせの妙もまた、別の優秀さとして評価を認められるようになってきている価値観の広がり、あるいは健全化のようなものを感じます。

インターネットの普及は、画一的な価値基準をくだいて、もっといろんなものの価値、仕事の価値、働き手の価値に目を向けやすくしてくれたような、(うまく表現できないんだけど)そういうところも私がインターネットを好きな理由の一つだなって思ったりしました。

実は私が博報堂時代にキャリア転換の意思表示を自らしたのは、会社を辞める時だけです

ってところが、とりわけ好きな一節。キャリアデザインって緻密に計画立てて、その計画からそれるものを排除して純度高く最短距離をとればいいってものじゃなくて、向こうからやってくる機会をどれだけオープンマインドで生かしていけるかが面白どころでもあって、そういう感覚をもつお手本にしたいキャリアだなぁと思います。ご興味ある方は、ぜひ読んでみてくださいませ。

2020-11-11

YouTube「キャリアデザイン講座」第3回を公開(キャリアについて考える意味はあるか?)

9月末から2週間おきに、勤め先のYouTube公式チャンネルに置きだした「キャリアデザイン講座」、へこたれずに第3回を公開しました。今回は「自分のキャリアについて考える意味はあるか」をお題にした10分ほどのお話。

【これだけは知っておきたい】クリエイターのためのキャリアデザイン講座 #3

相変わらずお手製感が満天ですが、それは味として肯定的に受け止めていただく寛容さを、引き続き求めつつ。ときに涙ぐみながら気持ちをこめてしゃべっているのですが、自分が考えたことをきちんと伝えてきちんと届けるというのは、えらく難しいことだなと最近改めて思い致す次第です。まぁ、自分の考えたことが届けるに値するのか問題からして難しいことなわけですが。

数年おいておいたら、何かのきっかけで何人かの役に立つことはあるかもしれないというささやかな見通しで続けていますが、個人的には「とにかくやってみる」という私の精神の頑強さが鍛えられていて、「無駄な経験はない、自ら意味づけさえできれば」を心の支えに頑張っております。

中身はオーソドックスなキャリアデザインの基礎知識ですが、クリエイターの皆さんにできるだけ親しみやすく、1本10分程度で気軽に見られるものを念頭において作っています。どうぞ、ごひいきに。

2020-11-09

専門技能の高さをどうやって見抜くか問題

自分のチームに実務経験者を中途採用したいとして、選考を受けにきた人が特定の専門技能に長けているかどうかを、何によって明らかにできると思いますか。次から最もふさわしいものを一つ選んでください。

1.世の評判
2.実務経験年数
3.パフォーマンス

とあったら、どれを選ぶか。加えて、いま実際に選考を行っているとしたら、このうち何によって評価を行っているか。って尋ねたら、1〜3以外にあれやこれや出てくると思うので、そうとう荒削りの文章なのは初めに断っておくとして…。

1.世の評判

今どきはSNSなどのネットを駆使して特定分野の評判を得るのが容易になったし、探さずとも情報がなだれ込んでくるようになったが、そこで評判を作り出している人の多くは、その人と直接仕事をしたことがなかったりするから、表層的な評判を評価材料に用いるのは危なっかしい。

その分野で著書を持っているとか、ネット上で記事を書いたり講演したり活発に発信をしているとか、その界隈ではよく知られた名前だとしても、活動の活発さや業界の知名度が実質的な仕事の評価とリンクしているわけではない。

ネット上の発信、あるいは講演などの体外的活動には熱心だが、社内の評価はいまいちという人だっている。著書をもっていても、編集者や周囲のサポーターが泣きながら手直ししているケースもあれば、本人の手腕そのままに世には出ているものの実際ページをめくってみると目を覆いたくなる仕上がりの本も少なからずある。本のコンセプトに惹かれて手にしてみたものの中身が伴っていなさすぎて驚いたことも少なからずあった。それでもAmazonのレビューは★5つってこともあるので、私の評価の妥当性もどうみていいかにんともかんともだけど。

一方で、著作の中身の洗練さをもって、この人は間違いなく仕事がめちゃめちゃできる人だとうっとりしてしまうような人もあるし、著名かつ敏腕な熟達者ももちろんいる。しかし無名かつ敏腕な熟達者だっている(社内や、直接の顧客の評価がすこぶる高い)。

少なくとも著書の有る無し、世の知名度の高い低いと、仕事のできるできないは実質的なつながりをもたないと私は考えている。ちなみに、その人の知名度や人脈の広さこそが、わが社の欲するところなのだということであれば、また話は違ってくる。

2.経験年数

経験の長さで言えば、実務経験がゼロあるいは半年程度というよりは、3年とか5年あったほうが実務的な経験値は高いだろうという一旦の見立てに異論はない。けれど、職業上のスキルに関する研究では、仕事の

パフォーマンスと働いた年数の測定結果の間には、実質的な関係がない*

ことが明らかになっている。漫然と仕事経験を年数重ねただけではスキルは向上しない。高みを目指し、目標とフィードバックが組み込まれて高度に組織化された経験学習を積んでいかないことには、スキルは停滞するか衰退していくことさえ、ままある。

3.パフォーマンス

上記を踏まえると、そりゃあ、その専門的技能を発揮したパフォーマンスそのもので評価して採否を判断できれば、それに越したことはないという話になる。

けれど、実際のパフォーマンス、あるいはそれに限りなく近しいものを採用選考のプロセスに組み込めるのかというと、ここの難易度が高いのがパフォーマンス評価の、いけずなところだ。

例えば、長期におよぶ大規模なプロジェクトを、プロジェクトマネージャーとしてまわせるかどうかは、短い選考プロセスの中でパフォーマンスしてもらうわけにいかない。かといって選考プロセスを長引かせれば、優秀な人ほど愛想を尽かして別の企業に行ってしまうだろう。

とはいえ、現状がもし「実際のパフォーマンスレベルは、結局入社して一緒に仕事してみないとわからないからなぁ」にとどまって実質、中途採用の判断を経験年数や評判に頼っている職場があるとすれば、今よりは精度の高い選考の仕組みを企てうるんじゃないかという気がする。その人が今持っているパフォーマンス能力自体を評価する、あるいは経験は浅いが潜在能力の高い若手を検出して採用・育成する機会を創出する創意工夫。

手がけている会社は、んなのもうやっているよって話だとは思うんだけど、職種によってはそこまで手がまわっていない職場も多いんじゃないかなぁと推察。

私は採用支援の会社に身をおいていながら、実のところ採用ビジネスにはあまり興味がないのだけど(興味の軸は人材育成にある)、選考プロセスの適正化(現状の採用ミスマッチの解消、未経験者の就業機会の創出)という観点で創意工夫の余地を掘っていくテーマには、有意義さや面白みのようなものを感じる。そこら辺はちょっと掘り下げていきたいなぁと思った週末。

*ジョン・ハッティ、グレゴリー・イエーツ著「教育効果を可視化する学習科学」(北大路書房)

2020-11-07

ガス抜きか、ストレッサーか

今年2月に叔父が亡くなったので、11月に入ったところで先週末、父に電話をかけた。前年に年賀状を出したのと同じ送り先に喪中はがきを送っていいか確認するためだ。

そこからあーだこーだ話が脱線するのはいつものことなのだけど、さまざまなループをくぐり抜けたところで、再び母が先立ってしまった話にたどり着く。父は言う。病気がわかって2ヶ月もしないうちに天国に行ってしまったと。私は天国だけど、あなたは天国には来られないからって母が言っているのだと。

そんなのは、父が勝手に作った母のセリフ、母はそんなこと言い遺してはいない。私は父の妄言を止めようとして、つい言葉が出る。

お母さんは、そんなこと言ってないでしょ。そんなの、自分で勝手に作ったお母さんの言葉じゃないの。

父は止まらない。いーや、涼しい顔して、さっさと風のように行っちゃって。

そんなふうに言い返してくるのを黙って聴いておれず、私はさらに突っかかる。お母さんはもっと生きたかったよ。もっと長く生きたかったんだよ。だから、泣いてたじゃない。

そう口にした途端、目頭が熱くなってくる。自分の発した言葉に泣かされる。人間て、そういうとこあるよなぁと思う。

あぁ、そんなことを父に言い放ちたいわけじゃないのだけどなぁ。これはもはや父の口癖。いつもはもっと穏やかに父の話を聴いて、気持ちを受け取ることに集中できるのに、今日の私はなんだ、体調が万全じゃないせいか。そんなことを思いながら黙る。

「あぁ、涙出てきたわ。おまえは○子(母の名)みたいな口をきくなぁ」と電話口で父が言う。そりゃあ娘だもの。

私は落ち着いた声で言い添える。「お母さんはそんなこと思ってないよ。自分がもっと生きたかった分、こっちにいる私たちに楽しく生きてほしいって思ってるよ、下ばっかり見てないでさ。お母さんは、そういう人だよ」と。

これだってずいぶんと勝手に、母の言葉を作り出している。父も私もどっこいどっこいなのだ。母が亡くなって10年近く経っても、こんなありさま。時々やってしまう。二人して母のことを想って、目に涙をためて、そらごとを口にして。

これは父と兄、父と妹との間ではしていなさそうな会話だ。兄と妹は聞き流せるのだろう。私はどうも時々、真正面から突撃してしまう。これが、いいことなのか悪いことなのか、父にとってガス抜きになっているのか、無用なストレスをかけているのか、よくわからない。

まぁそんなやりとりをしても、「それで、なんの電話だっけ?」と話は戻り、私がまた喪中はがきがどうだの、おせち料理は手配しただの、オレオレ詐欺に注意しろだの言って、父は「ありがとう。じゃーねー」と言って電話を切る。別れぎわが軽い挨拶なのがいい。つながり続けている確かさからくる軽い挨拶。

電話を切ると妹にLINEして、「お父さん気にしてたから、転送してもらった郵便届いたら、お父さんに無事届いたって連絡いれるんだよ」と一声かける。妹から「はいっ」と連絡が返ってきて、これで元気出るといいなぁと思う。

泣き虫と弱虫は別物。泣き虫なのは涙腺の、極めて身体的な問題だからいいんだ、弱虫じゃなきゃさ。そんな屁理屈を思いついて以来、自分が泣き虫なのは割り切って受け入れちゃってるんだけど、弱虫はしんどいので、やめときたい。

それで弱虫じゃなくする方法も考案したのだ。簡単じゃないけど単純な方法は、自分が守られる側ではなく、守る側に立つこと。弱虫のときは、どうも自分を前者と認識している甘えがあることに気づいたのだ。なので、この脳内転換をビシッと決めるだけで、わりといけるという解を見出したのだけど、時々よたついてしまう。

だけど、自分が強くなったり弱くなったり揺れ動くところには必ず、自分の大事にしたい人、大事にしたいことがあって、それのために強くなったり弱くなったりしているようなのだ。だから強さと弱さは表裏一体で、きっと心の持ちようで、大事にするって気持ちを強くもてば、もう少しよたつかずに強くなれそうな伸びしろは自分にもありそうなんである。

そっからだよな。そこに立ってからがほんとのスタートで、何が本当に大事にするってことになるのか。独りよがりでない、大事にするってことが、どんなことか、それを作り出したり探り当てたり見極めたり、それこそが本当に難しいところなんだ。まだまだ、先は長い。自分の会話がガス抜きとストレス、どっちに作用しているかも判断つかない未熟者の先は途方もなく長い。

目が帯状疱疹になったメモ

右目の上がぷくっとなってきて、ものもらいかなと思いきや帯状疱疹だった話。10月末に気になりだして、翌日にはかかりつけの眼科に行ったのだけど、いつもお世話になっている先生がお休みだったので、別の先生にみてもらうことに。それでまぁ、ものもらい的なものじゃないかっていうことで、抗生物質の目薬を処方してもらって帰ってきた。

が、金曜から週末にかけて、言われたとおり目薬をこまめにさし続けても一向に良くなる気配がなく、どちらかといえば悪化している感じ。かゆいような、痛みが出てきているような、より膨れてきているような。

それで翌週月曜の昼休みを使って眼科を再訪し、いつもの敏腕医師に診てもらうと「こりゃ帯状疱疹だね」と返ってきた。ものもらいだと、まぶたの裏側も炎症を起こすんだけど、裏側がそうなっていないので、これは帯状疱疹だろうとの見立て。

帯状疱疹て、私は体に出るものだと思っていたので、目の症状で帯状疱疹と診断されるとは驚き。そして、かかった友人知人からきついきついと噂に聞くあれになったのかと、その診断にビクついた。

え、っていうことは、悪化すると体にもまわるってこと?え、痛くなるやつ?え、え、と動揺しつつも一応オトナな対応に努めて、先生の話を聴く。

「帯状疱疹ってことだと、ちょっと治るのに時間がかかるね。進行を止める内服薬を出すから、それを飲んで、1週間後にまた見せに来て。白目が充血してきたら、広がっていっているってことだから、1週間待たずに来て」とのお達し。

一言一句聞き逃さずに頭の中に記述して、「運動は?」と訊くと「安静にして、運動NG、飲酒NG」と返ってきた。はぁ、ジョギングも取り上げられてしまった。ここからしばらくは天気良さそうなのになぁ。

肩を落として挨拶をして、診察室を後にし、これは、ものもらいとはだいぶ違う展開になってしまった…とため息。ショックをしょって帰ってくる途中から、にわかに帯状疱疹的な症状が出始めた。かゆいというより痛い感じがしてきていない?あれ、頭痛もやってきた?と。

ネットで調べてみると、帯状疱疹は半身にだけ症状が出るとかで、私は右の目、右の頭だけ痛い。なんか間違いなさそうだなぁ。やれやれ。

そこから火曜、水曜と、出勤してたくさんしゃべらないと成り立たない仕事が立て込んでいたので、朝から晩まで社内でサングラスをかけたまま過ごすことに。打ち合わせの席でもサングラスをかけ、しかもベラベラしゃべる役回りが多かったため、弱っている人というより、ガラの悪い不良サラリーマン風情。

まぁなんとか事なきをえて、週の後半は家で黙々と仕事。早寝して、あまり早起きしないように努める。頭痛も落ち着き、目の上もかさぶたっぽくなってきて、やはり先生、素晴らしい見立てだなぁと敬服する。たぶん、そのままものもらいのつもりでいたら、体のほうまで進行しちゃっていたんだろうなぁと思う。医師の見立てで事態は大いに変わるのが現実だ。

1週間経ったところで眼科を再訪し、「だいぶ落ち着いてきたとは思うんですけど…」と右目を見せ、「あの後、わかりやすく帯状疱疹的な症状が出てきたんだけど、薬を飲んだおかげか2〜3日で頭痛もおさまったし、目のほうもかゆみや痛みはなくなりました」と報告。

先生いわく、あの状態で帯状疱疹と気づくのは、やはり経験だということ。いや実際、そうなんだろうなぁと思う。若いほうの先生が初診(症状出て1日経過)で気づいていてくれれば尚良かったけれど、それでも翌週月曜(症状出て4日経過)に帯状疱疹の治療に切り替えられたことで、だいぶ事態は軽く済んだんだろうと思う。初診の先生が今後、私の症例をもって誰かの帯状疱疹を早期発見できるようになったら良いなぁと思う。

もう1〜2週間はおとなしくしておいたほうがいいということだったけど、体調的には症状が出てから10日間で、まずまず落ち着いた感じ。今週は頭から、もうガラの悪いサングラスをかけて会社で仕事する必要もなくなった。プロジェクトマネジメントのプチ勉強会を開いて前でしゃべったり、いろいろ個別に相談にのったり、議論を仲立ちする機会も多く、頭も表情も身体も活力が必要だったので良かった。いろいろと峠を越えた感。心が開いている。

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