孔子に寄って総合職している
最近は週1ペースで会社に出勤している。4~6月はほぼ出勤せず、7~9月は週1か2週に一度くらい出勤していたのだけど、10月に入り、この先しばらくは週1~2くらいの出勤と、あとは在宅勤務というペースで進行しそう。平日に社外の人と会うことも出てきて、しばらくふさがっていたところに風が少し通りだした感もある。
会えばだいたい「わー、久しぶりー」みたいな感じになる。見るかぎり相手の健康そうな状態を確認し、それからコロナ禍でのお互いの環境変化、仕事の変化など話したり。
そうした中で、「いや私、ここ10年近く老子寄りだったのが、最近孔子寄りになりましてね」ってな自分の心もちの変化についても、何度か言及した(もちろんTPOをわきまえて、そういう話を嫌がらなさそうな人に限定しているので大丈夫なはず!だ…)。
老子のいう「無為自然」っていうのは、すごく自分の肌にあう思想だなぁって思いながら近年やってきたんだけど、老子の思想っていうのは、孔子の思想が先にあったからこそカウンターとして出てきたものであって、孔子なくして老子の無為自然は立ち上がらなかっただろうなぁと思って。
そういう意味では、後世に生まれた一凡人としてはですよ、孔子も老子も自分の中に取り入れて、自分なりにバランスさせながら生きていくっていうのが健全なんじゃないかって。
私の中には、孔子に共鳴する小僧もいれば、老子に共鳴する小僧もいる。両方いるほうが自分として自然なのだ。
自然のまま、あるがまま、水のように…とか言いながら漂っているのではなく、ことを前に進めよう、自分がなすべきと思うところは、しっかり足を踏み込んで自分でなしていこうと。それこそが実際のところ、私の自然体であって、無為自然なのだから、私なりの孔子と老子の結合した現れなのだと。
まぁ私の中だけで納得していて、全然うまく言語化できていないのだけど、それでも時々ぽろりと、部分的に人にしゃべっちゃったりしている今日この頃。
そんなわけで、最近はだいぶ快活に、よく人と話して、いろんな人の考えや気持ちに直接触れて受けとめて、自分もよくしゃべって、たくさんのものを持ち帰って、いろいろ考えてあれこれ作って納めて、フィードバックを受けて直してと、忙しく仕事している。
そうすると、それに呼応するように新しいところからも相談や依頼が舞い込んできて、仕事の幅がけっこう広がっている。あっちゃこっちゃのいろんなジャンルの仕事を総合格闘技的にやっている節操の無さを、とりあえず今は楽しんでいる感じだ。
経験の幅が広がるし、これまでと違った視点でものを捉え直して言葉に表してみる訓練にもなっているし、少なくともこの人のこの部分の役には立てたようだとも思えて、健康に良い。
時代に逆行するのかもしれないけど、今は実質「総合職」くらいのざっくりしたくくりで、とにかく来たボールを、いかに芯をとらえて丁寧に打ち返せるかに力を注いでいる。
それがきちんと芯を捉えていると、まず打ち返した後に喜んでもらえるのが嬉しいし、こういう系を任せられるのかという信頼関係ができて、その人から再び依頼が来たり、他の部署の人からも依頼が来たりする。
私はやはり、社外にせよ社内にせよ、やった仕事を評価されてリピートと紹介で仕事が増える&広がるという営業(しない)スタイルが肌に合う。これで成り立つなら、ずっとずっとこのスタイルでいきたいのだけど…。
これまでの自分はずっと、社外のお客さんに目を向けて、社会に対して何ができるのかが頭の中を占めていて、社内のことにはだいぶ無頓着できていたのだけど、社内に目を向けてみると「上層部ー現場」「営業ー開発」「ビジネスサイドーエンジニア」「社内の経営管理ーホールディングス」といった間で、情報を編集してうまくつなげる媒介者の必要を発見することが非常に多い。
向こうから呼ばれて依頼を受けて発見することもあるけれど、打ち合わせに参加していたり、メールのやりとりを見ている中で、いっちょかみしたくなるような場面に出くわすことも多くあり、そこで邪魔しないようにどう媒介者として機能するかを考える。
自分が情報編集とかコミュニケーションとかいうところで何をしたら役に立つのか、誰に何を共有して、どういう配役・シナリオで舞台を展開させたら、双方がうまく連係して仕事が前に進んでいくか、そういうアプローチを検討するのは、個人的にはけっこう創造的な仕事だ。まぁそれが仕事と認められるかどうかは、また別の話だけど。
事業部、経営、ホールディングス、市場、社会の目線をあれこれ乗り換えながら、それぞれが何をどういう経緯で欲しがり、どういうボールがとんできたのに対して、どういう球を打ち返せれば芯をとらえたことになるのか、自分なりに調べて考えこんでアウトプットして、依頼主に見せてみて検証できる仕事環境も、なかなか面白い。
まぁ身近な人に褒められて満足を得られたからといって、世の中基準で質の高い仕事ができているとは決して言えないし、結局それは自己評価の枠を出ていないということだから、そこはもっとシビアな外の目を学んで、より本質を突く自己評価基準に引き上げていかないといけないんだけど。
人によっては、表に出て、もっと評価が厳しい環境に身をさらして、一定の専門領域にフォーカスを絞って働いたほうがいいと、私の今の状態をぬるま湯に評価するとは思うのだけど、とりあえず今しばらくは、今・ここで役立てること、自分にできること、自分の実にもなることを、領域を絞らずせっせとやろう。
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コメント
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老子と孔子の話、気になります。今度聞かせてくださいw
> 実質「総合職」くらいのざっくりしたくくりで、とにかく来たボールを、いかに芯をとらえて丁寧に打ち返せるかに力を注いでいる。
これ、僕も大事だなぁと思います。突き詰めるというよりも、つねにアジャスト(適用)を心がけるというか。僕の場合、スペシャリストになれなかった(なれない)ので、そっちを意識・無意識、双方で選択して20年社会人やってきたように思います。
そして、会話のキャッチボールはオンラインでもできますが、オフラインだと、背景がある人ほど、広げやすいな、と、改めて痛感しています。
またぜひ~
投稿: 馮 富久 | 2020-10-08 08:33
馮さん、
今求められることを全力でやっていく積み重ねをして、後から振り返ってみると、そこに自分の志向性や専門性、得意なこととかが浮かび上がっている、それを棚卸しする機会をもつことで、概念(言葉)として表したり人にも伝えられるようにもなるっていうのが一番自然なキャリアデザインのプロセスって感じもするんですよね。
この間は、すぐ時間きちゃいましたものねぇ。また近々、ぜひゆっくり!
投稿: hysmrk | 2020-10-08 08:54