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2020-09-30

「Web系キャリア探訪」のスピンオフ的イベントに出演

月1連載しているWeb担当者Forum「Web系キャリア探訪」のスピンオフ的イベントに出演することになりました。10/21(水)19時から、1時間半のコンパクトサイズ。オンラインイベントなので、どこからでも参加可能です。

Web界隈の「私たちの働き方」コロナでどう変わった? どう変わる?

なかなか、外の会社がどういう感じでコロナに対応しているか、Web界隈の人たちが自分のキャリアについてどういうことを考えて活動しているか、膝つきあわせて情報・意見交換する機会って作りづらい状況かなと思うので、このイベントが、そういうテーマをワイワイ語らう場の一つになったらなと思っています。

当日は、連載第6回でインタビューさせていただいたインフォバーンの田中準也さん、いつもインタビュアしている森田雄さん、私の3人でお話しします。

田中準也さんは、現在インフォバーンの取締役。取材当時ちょうど50歳だったので、今は52歳かな。6社の転職経験をもち、事業会社とエージェンシーの立ち位置、アナログとデジタルの広告アプローチ、雇用される側・する側、広告・マーケティング・Webと広域の経験をインターネット黎明期から現場で積んでこられた方です。最近はマーケターキャリア協会を立ち上げて、理事としてマーケターのキャリア支援にも精力的に活動しておられて、非常に幅広いネットワークをおもちなので各社の動向にも明るいと思いますし、まだ小さいお子さん3人の子育てまっただ中でもあり、いろーんなテーマで相談できそうです。すごく気さくな方です。

森田雄さんは、マイクロソフトや、ビジネス・アーキテクツの要職を経て独立、現在はツルカメの代表取締役社長で、UXディレクターとして活躍中。と、ひと括りに肩書きをまとめちゃうともぞもぞするくらい、IA/UXデザイン、ユーザビリティ、アクセシビリティ…と幅広い領域に深く深く精通している方で、その専門性の全容を私は把握できていませんが、森田さんもネット黎明期から現場で経験を積んでこられた方。日本アドバタイザーズ協会のWeb広告研究会で幹事&人材育成プロジェクトも推進されていて、キャリア形成にも一家言をもつ方です。田中準也さん同様に経験値が半端ないのと、めちゃめちゃ頭が良くて、頭の回転が速いので、瞬発力を要する今回のイベントのトークも楽しみです。あと、私は以前から森田さんのことを「ピュアで、フェアで、コアを突く」人だと思っていて、なんか語呂がいいなと勝手に気に入っていたのですが、今までどこにもお披露目する機会がなかったので、ここにひっそり書き留めておきます…。

私は、、お二人の話をうまく引き出せる役割を果たせればよいのですが…、ともかく頑張ります。

テーマ的に、何かの正解を提言できるようなイベントではないですけれど、1人で考えこむより、何か人がしゃべっているのを聴いて、そうだ、そうじゃない、自分はこう思う、と考えを掘り下げていったほうが効率よく自己発見できることって多分にあると思うし、他社の状況を知って自社の特徴を知れるってこともあると思うので、そういう機会に役立ててもらえたら嬉しいなぁと思います。

オンライン開催ながら、3人はひと所に集まって話すので、テンポよくトークできるかなぁと思います。ご参加くださる皆さんの声をいただきながら進められたらと思っておりますので、テーマに関心をお寄せくださる方は、ぜひお気軽にご参加ください!

2020-09-29

父と気晴らし銚子旅行へ

「6~9月の間に5日間とってください」という夏期休暇を2日分、未消化のまま9月下旬をむかえていた。もう後がない。しかし9月4週目までは、やることが詰まっていて休めない。29日も会議がある。ということで、28日(月)、30日(水)に駆け込みで夏休みをとることにした。

それであれば、27日の日曜日から一泊二日で、父を誘って銚子旅行に出かけようと企てた。

このコロナ禍では、九州から妹を呼び寄せるわけにもいかず、兄一家を誘って大所帯で旅行ってわけにもいかない。私との二人旅じゃ、醤油も薬味もつかない冷やっこのような味気なさだろうけれど、太平洋に行けば大丈夫。太平洋まで行けば、あとは太平洋がどうにかしてくれるはずだ!という全幅の信頼をもって銚子に出かけた。

銚子であれば、特急「しおさい」に乗ってびゅーんと行けそうだし、観光地として南房総ほどの華はない?ので、人口密度もそう高くなさそうだ。40~50メートルの断崖が10kmにわたって続くという屏風ヶ浦も一度見てみたかったし。銚子は海も硬派そうで個人的に好みだ。

私は(眺めるには)硬派な海が好きだ。千葉の海って、日本海ではなく太平洋であるという開放性をもちながら(って日本海に失礼だが)、湘南のようなロマンチックさをもたない飾り気のなさが良い。そんなに穏やかでなく、ざっぱーん、ざっぱーんと打ち寄せる波が豪快で、見ていてすがすがしい(という生まれも育ちも千葉県人の勝手なイメージ)。

ということで、直前に「よし行こう」と決めて、父の都合を確認するのと並行で、宿泊先を手早くネット予約し、太平洋を手配した。太平洋、温泉宿、ごちそうがあれば、もう十分だ。いくつか目ぼしい観光地や食事処をチェックして、あとは当日に、二人の気分&天気で動くことにする。

父は車の免許を返納し、私はペーパードライバーなので、今回は電車、徒歩、タクシーの移動。この辺はちょっと面倒かけるかなぁと思ったけれど、なかなか悪くなかった。移動距離と父の疲れぐあいにあわせて移動手段を使い分けると、二両の銚子電鉄に揺られて移動したり、終点の外川駅から町並みを楽しみつつ宿泊先まで歩いたり、ちょっと離れた食事処にはタクシーで移動したりして、彩り豊かな旅になった。

電車とバスは1時間に一本という感じだったけれど、タクシーは銚子市内なら電話で呼んでから10分でどこでも来てくれるので、大変お世話になった。どこの目的地にも、せいぜい10分程度で着いた。初乗りは500円。2回お世話になった運転手さんは、観光地情報もいろいろ教えてくれて良きガイドになった。

銚子ポートタワーから犬吠埼灯台まで運んでくれた運転手さんは、「一山いけす」は店内にあるいけすから、いきのいい魚を出してくれて人気なんだと教えてくれた。海辺を歩いて太平洋を見渡し、犬吠埼灯台に昇った後、お昼は一山いけすに行きたいと父が言うので、タクシーを呼ぶと、さっきの運転手さんが再び迎えに来てくれて運んでくれた。

一日目の午前中は、時々雨も降って、ちょっと寒いくらいだったけれど、昼過ぎから徐々に天気が回復してきて、ぽかぽかしてきた。二日目は朝から晴天で、すばらしい秋晴れにめぐまれた。

宿泊先は、部屋の目の前に太平洋が広がっている絶景。夜寝ている間も、ずーっとざっぱーんざっぱーんという海の音がけっこうな大きさで絶え間なく聴こえるのだけど、決して耳障りではないんだよな。自然のものとして難なく受け入れ、心地よい眠りにつける、人間はそういう生き物なんだろうな。

太平洋は、大浴場の露天風呂からも望めた。目の前が海。宿は、部屋、風呂、食事処、ロビー、どこも海に面していた。台風のときなどは相当こわいと思うが、穏やかな秋晴れの日には最高だ。日の出も、私は部屋から、父は露天風呂から楽しんだ。

旅行中は、父といろんな話をした。ちょっと会って食事するだけでは、なかなか話題にあがらないような話も、一泊二日の旅をともにしていると、時間もたっぷりあるし、いろいろ話題にあがってくる。父が最近みている夢の話もあったし、小学校あがる前に進駐軍にチョコくれって言うのが流行ってた話も聴いたし、菅政権どうよ?って話もしたし、スマホで動画をどう撮ってどう見てどう人に送るかを教えたり、父が現役だった終身雇用制の時代と違う現代の40代がどういう価値観で現役をやり、将来設計しているのか問われて、私なりの考えを述べたり。

父は私の話を聴いた後、「なるほどな、そうすると、おまえと○子(私の妹)じゃあ、結婚しない、子ども産まないという点では一見同じように見えるけど全然違うってことなんやろな」と口にした。「そうだろうねぇ、○子には○子なりの考えがあるんでしょう。私とはまた違いそうだねぇ」と私は応じた。

こういう会話が、なんとなく大人の親子旅ならではという感じで、なかなか良い思い出だ。父は、自分と娘の人生観には違いがありそうで、自分にはよくわからないけれど、自分の価値観を押し付けたいわけでもないし、願わくばその娘世代の人生観とやらがどんなものか当人に話を聴いて理解したい好奇心をもっているようである。

私はそういう父のスタンスがすごく好きだし立派だと思うので、自分が今の現役世代の代表とはまったく思わないけれども、一例として自分なりの考えを言葉に起こして伝えることには努めたいと思う。今回は、そういう会話ができたような気がする。

父が1日目の夕食どきも、2日目の旅の終わりにも、「いやー、よく歩いて、よく食べて、よく飲んで、よくしゃべったわー」と満足げに言って「おまえのおかげだな、ありがとう」と礼を口にした。こちらこそ。私も楽しかったし満足。ぱっと決めて、ぱっと行って、よかったなぁ。いい旅だった。

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2020-09-24

「Web系キャリア探訪」第24回、頭で考えられる限界を心得る

インタビュアを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第24回が公開されました。今回は、4人の子育てとお仕事を両立してこられたSprocket(スプロケット)コンサルタントの大野陽子さんを取材しました。

4児のママ! 仕事と育児を両立して、成長し続ける秘訣とは?

私は家庭をもたず子どももつくらずでやってきたので、当初は自分とまったく重ならない道を歩んでこられた方のキャリアの歩みを聴くような心もちで取材に臨んだ気がします。

でも、いざ取材が始まってみると、自分と同じ1996年に社会に出て働きだして、この四半世紀の世の中の変化にさらされながら、手探りでキャリアを形作ってきた、そのお話には親近感を覚えることもたくさんあって、おのずと自分のたどってきた道と重ね合わせながら、お話を伺うことになりました。

1996年に新卒1社目でお仕事されているときの話を伺っていたとき、自分の社会人1年目のことが思い出されたのですよね。自分も技術職とかでは全くなかったけれど、Filemakerでデータベースを作る必要があったので、本を片手にあれこれ手を加えたり、Filemakerのバージョンアップにあわせて複数のデータベースを連携させてみたり、そもそものベース知識が足りないと思って初級シスアドの教科書を買って勉強したり、ごそごそと素人なりにやっていたなぁと。

そういう中で、自分が(データというより)情報を扱うのが好きだとか、作業を効率化することとか物事を合理化したいタチだとかいうのに気づいたり。また何より、大人になると仕事でやりたいことをこうやって自分で勉強しながら(勉強したいテーマも、その勉強法も自分で組み立てながら)ものにしていくんだなぁという所作を覚えたのでした。職場に、それを当たり前としている大人たちがたくさんいたおかげです。

まぁ私の場合、そこからエンジニア力を究めようという気概も資質もなく、むしろこっち究めるのはまったく性に合ってないわーという気づきを得て、人材育成やキャリア支援のほうに舵をきるわけですが…。

いずれにせよ自分がどんな仕事に興味を示し、何を仕事にして社会の役に立っていきたいのかって、仕事をする中で体験的に手づかみで分かっていく、そういう社会人初期の自己発見ってあるよなぁ、なんてことを懐かしく思い出したりしました。

自分のキャリアをどうしたいかって、頭の中で想像したり計画立てるのはそこそこに、実際やってみて、自分がどう反応するか体に確認したほうが話が早いってことがけっこうある。

やってみれば、けっこうあっさり、これは好き、これは苦手、これは自分に合う、これは性に合わない、これは難しいけどもっと究めたいとかって、自分の体が自分の頭に教えてくれるものだったりして。それなら、とりあえずやってみるのが早いよなと。自分は仕事が好きなんだなぁっていうのも、当然仕事を始めてから気づいたし。

また一方で、これは記事の「二人の帰り道」にも書いたけれど、

早いうちからあんまり1職種の役割やスキル要件にこだわって、無駄なくその専門性を究めようとすると、経験の点がひと所に小さくまとまってしまって、年月を経て振り返ってみると表層的でつぶしがきかない仕事能力に留まってしまう罠ってあるよなぁ

とも思います。

特に若い時分は、早く何者かになりたくて、明快な肩書きをもって働くことに憧れ、一つの職種を掲げて、その職種を特徴づける役割・スキルを身につけることにこだわりすぎてしまうってことがあるかなぁと思うのだけど、そのリスクも頭の片隅に置いておいておきたいところ。

大野さんがいう

特定の分野の上級者を目指すよりも、どんな仕事もまんべんなくできる偏差値55を目指して幅広くスキルを身に付けることを意識していました

と幅をもたせる歩みも、当時のご本人的にはやむを得ずの面があったとしても、実はユニークで息の長い市場価値を育むのに、そういうアプローチは大変有意義なことだったりして。1つを究めるより、2つ3つ以上をかけ合わせていったほうが個人のユニークな価値は作りやすいものだし(1つだけの専門性で抜きんでるのは大変…)。長期的にみて、いろいろとつぶしがきいて豊かなキャリアを育みやすい王道はこっちだろうなぁと思ったりもします。

個人的には「ママ友の紹介で」ってくだりも好き。仕事の機会って、実はいろんなところにある。それに目をとめられるか、つかまえられるかも自分にかかっているところってあるなぁと。などなど、たくさんいろんなことを感じた取材で、彩り豊かな気づきが詰まっています。ご興味ある方は、ぜひ読んでみてくださいませ。

2020-09-16

転職活動する思考実験

8月末からの流れで、出来損ないな自分もこみこみで「自分を楽しもう」という標語を掲げるに至り、忘れないように立て看板を頭の中に取りつけているような9月初旬に、人材育成の案件が舞い込んできた。「今日ちょっと話す時間あります?ちょっともやもやっとした相談ごとがあって…」と、会社に出勤しているときに声がかかった。「あります、あります、何時以降だったら、いつでも」と応じると、思いがけず人材育成の相談ごとだった。

私はここ数ヶ月、人材育成の案件から遠のいていた。もう何十年とやってきた仕事領域である。言葉の分類の仕方によっては、やっていないこともないのだろうけど、「キャリア開発か、能力開発か」で分けると、最近はキャリア開発に寄った案件に偏っていたし、より多くの時間を割いてきたのは「事業をどう立て直すか」案件の編集者のような役まわりだった。

元となるネタがごちゃっと山になっているのを整理して、問題と要因を分けて構造化したり、問題と課題とアイデアを紐づけて順序立ててシナリオに起こしたり、使う言葉を自分なりに洗練させたり、枝葉を切って論旨をすっきりさせたりする感じの仕事だ。

それはそれで、サラリーマンだからこそ、ちょっと手伝って!と仕事をふられるのであって、私が個人でぼーっと突っ立っても、そんなやったこともない仕事、やって!とは振られないので、良い機会だと思ってやっている。役割に対して力不足なのは否めないけれど、いくらかでも人の力になれるのは嬉しいことだし、助かるよと言われれば良かったなと思うし。

が、キャリア開発寄り、事業開発寄りの仕事で就業時間が埋め尽くされ、人材育成の仕事に関わっていない状態でしばらく過ごしたとき、ふと思ったのは、私はやっぱり人材育成の仕事を軸に仕事がしたいのだろうなぁということだった。

それで全部を埋め尽くしたい潔癖さはもたないし、その周辺のいろんな仕事に関われることは、それはそれで有意義だと思う。自分で企てられる機会なんてたかが知れているし、いろんな広がりを与えてもらえることは、ありがたいことだと率直に思う。ただ、人材育成に従事する仕事は、手放したくなさそうなのである。決めつけられないけど、なんとなく、そんな気がしている。

そんなわけで、先ほどの人材育成の話が舞い込んだときは、これはやりがいあるなぁと前のめりになった。ひと通り話を聴いて、自分なりにあれこれ意見を述べると、じゃあ一緒に協力して話を前に進めようということになり、そこからプロジェクトに参加することになった。

そんな折Facebookで、とある方が勤め先で人材開発系の人材を募集しているという投稿を見かけた。その方は人材開発の界隈では著名な方で、明らかに見識豊かで、仕事ができそうな方である。こういう方と仕事をご一緒すると、きっと学びが多く、やりがいもあるのだろうと想像して、その場で自分がその募集にエントリーする思考実験をしてみた。

具体的に、自分が今、転職活動するイメージをすると、いや、今、少なくとも半年は、手放すわけにはいかない案件が4つは手元にあると、自分の脳内で早々に「待った!」がかかった。

一つは事業立て直しプロジェクトの編集者として、一つは若手の仕事基礎力の習得〜実際に現場でパフォーマンス発揮するまでを支援するインストラクショナルデザイナーとして、一つはクリエイティブ職のキャリア形成を支援するキャリアカウンセラーとして、一つは人と仕事をマッチングする能率的な仕組みを作り変えるエンジニアとビジネスサイドの架け橋として。とりあえず直近、自分が果たすべきこと、自分が果たしたいことがあり、「すべき」と「したい」が結束している感覚があった。それであれば、まずはそれをやろう。

いずれにしても、これくらい具体的に、自分の今〜今後というのを生々しく考えて、選んで、生きていくのが本当なんだろうなぁと思った。個人で仕事するにしても、どういう形で市場が成り立って、どれくらい一人で開拓しうる市場があるかないか、まったく情報をもっていない自分がいる。なんか、やっぱり、ちょっと他人事だったんだろうな。それが癖づいているんだろうから、ちょっと注意していかないといけない。来年3月に、直近半年の自分を、自分ごととして振り返ってみたい。今の感じを忘れないで、振り返れるといいんだけども。世の中にも、もう少し個として関わっていきたい。

2020-09-15

低い自己評価

実際に何が影響して、いつからそうなったのか自分でも一言では言い切れないのだけど、私は自分の人生に対して、そう長い見通しというのをもたなくなり、それが過剰に前景化してしまっていた。

別段ひどく沈んだ状態で鬱々と過ごしていたわけではないし、楽しく人と過ごす時間もあれば、熱心に仕事に打ち込む時間ももってはきていたのだけど、いつからか「今を大事にするほかない」という刹那的な感覚が足元をひたすようになり、(過去自分比でいえば)自分の将来を志向する感覚から遠のいていた。

あと30年とか40年とか生きる想定で、自分の先々に具体的な期待をもって計画立てたり活動を仕掛けていくという自発的な生命力は、どこかの時点から手放してしまっていたような。悔いが残らないように頑張るというより、いつ終わってもさほど悔いがわかないように抑え込んできたような。

今あるものを、ありがたくいただく。今あるものに満足し、今ある立場に安住し、今いただける機会を活かして、その役割を果たせるように努める。いつか、どこかで、などと言っていても今しかないのだから。それは死生観によるところもあるし、無価値な自分をどう健全に受け止めて平静に生きていくか考えた末の苦肉の策でもあった。

常にニュートラルに自分を置いて、自然の巡りに身をゆだねる。それが私個人として快いこともあれば、不快なこともあるかもしれないが、いずれも自然現象として受け止め、外の世界の動きに身をゆだねる。上がった気分はゼロに戻し、下がった気分はゼロに引き上げる。そうやって、できるだけ淡々と毎日を、できるだけ丁寧に生きていく。そんな心もちに落ち着いていた。

それは静かで穏やかで、ある意味では平和だったが、一方で人間味を欠いていた。当然、ただの人間である、何も達観していない私には、いよいよちょっとつまらない、物足りないということになり、その無理が今頃ようやく、わかり出してきたということかもしれない。いや、もう少し主体的に生きたいのだと、私の中の小僧がうごめきだしたということなのか。

凡人、サポーター、脇役、裏方、下支え、無為自然、そういう言葉をかぶせにかぶせて、自分で自分の役どころを縛りつけ、役割を型にあてはめすぎてしまっていたような。

でも、人間も人生も、そんなに単純ではない。それは凡人だろうが変わらない。多面性をもつのが人間であり、人の生きる道なのに、何をやっているのか。定義することで、思考停止して楽をしたかったのだろうか。

今その紐をほどいて、とかしている。自然界に、人間界に、そんな縛りは別にないのだ。そんなのは自分で作ったただの紐に過ぎないじゃないか。自分の意識から消失させてしまえば、ただの野っ原である。そっち側の人とこっち側の人と分類する紐は、どこにも見当たらない。

世の中視点で自分が脇役スペックだろうとも、それはそれで。そうであっても自分の人生はとりあえず、自分を主人公に自分でとりまわすほかないのだし、それは逃れられない配役なのだ。遠のけても遠のけてもついてきて、逃げ腰ではつまらなくなってしまうのだ。

何者でもない無価値な自分というものの自己評価にくたびれて、くたくたになって、それを前向きに受け止めて健全な心もちで生きていけるように、いろんな自分の位置づけ方というのを頭の中で思考巡らし、たどりついたのが、これまでのスタンスだったのかもしれない。

が、それなら低くしか見積もれない自己評価そのものを手放してしまえば良かったのだ。自分ではなく、自分がやることに集中して、それが意味あるものになるように、そちらに焦点をあわせて、やっていったらいいのだ。やれやれ。

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