撃沈からの復活
8月末の夕暮れどき、私はぽろぽろ泣いていた。泣きながら、御茶ノ水の坂下あたりを歩き続けた。久しぶりに涙が止まらなかった。時々しゃくり上げて泣いた。ときどき足に力が入らなくなって、立ち止まって泣いた。それでも歩くのを止めるわけにはいかなかった。だから3駅だか4駅だか、泣きながら通りを歩き続けた。
頭の中では、たくさんの言葉が私を責め立ててきた。ときどき無が訪れた。またしばらくすると、たくさんの言葉に飲み込まれた。それでも、おぼれなかった。私はオールをしっかり握りしめた。これは、私のボートなのだ。手放すわけにはいかない。手放したところで、これは私のボートなのだ。難破したボートの主人として、やはりこのボートに私は乗り続けるしかないのだ。なのだから、やはりオールを手放すわけにはいかなかった。
私は、できるだけ自分の中にわいてくる考えだとか気持ちだとかの動きを精細にとらえようと、内側に注意を向けて、自分のことを理解しようと努めた。
自分は、何を考えているのだろうかと。自分は何に泣いていて、どうしたくて、私は何によって咎められていて、何ができていないんだろうかと。自分は開放的にものを考えたとき、どうしたいのだろうかと、そういうことに耳を澄ませた。
そういうことは案外、きちんと向き合わないと見えてこないし、きちんと向き合ったところで、なかなかわからない。言葉でわかりやすく説明してくれるほど、自分の言語化力は優れていないし、私は自分の本当のところを理解していない。
それでも、誰かに説明する用の言葉ではなく、自分が私だけに説明する用の言葉でしゃべるように、私は自分に問いかけ、自分に率直な答えを求めた。耳を澄ませて、夕空を見上げて、夏風に吹かれて、歩き続けた。
あぁもう一度、生きなければ、どうしようもない出来損ないの自分でも、それはそれとして、自分を楽しんで生きなければもったいないのだと思い直した。ようやっと、喪があけるのかもしれない。
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