この間、おしゃべりの中で「練習って大事だねぇ」っていう話になった。
何かを習得するっていうと、それを「知った、わかった、理解した」ってところで身につけた気分になりやすいのは、もう人のサガと言っていいと思うのだけど、それであれば、そのサガの存在を意識してうまくつきあっていくことで、まっとうに何かを習得しやすくなるとも言える。
「知った、わかった、理解した」では終わらないよ。スキルを身につけるには、もう少し入り組んだプロセスが必要なんだっていう知識をもっておいて、何かを習得する時そのことに注意を働かせられれば、落とし穴を回避できる。
特に大人になってからは、自分で学習プロセスを計画立ててマネジメントすることが多くなるし、学習に失敗していても注意してくれる人が年々減っていくので、早いうちに自分への注意喚起のアラーム機能を搭載しておきたい。そうでないと、その先の生涯さまざまな学習が、ままならなくなってしまうし、身につけ損なっていることにも気づけず空回りし続けてしまう。
世の中には、練習しないと身につかないものというのが、たくさんある。知った、わかった、理解したの後に、練習を繰り返してものにするって学習工程が必要だ。仕事で求められるスキルなんかは、そういう類いのものが多分に含まれている。だからこそ仕事として成り立ち、お金をもらえるわけなのだし。
練習を繰り返して、その過程で自分で内省して改善を試みるのはもちろんのこと、他の人からフィードバックをもらって、他者の目で(できれば、その熟練者から)どこができていてどこが足りないかを指摘してもらい、どうしたら良くなるかという方法をアドバイスもらいながら修正を加えられれば効率が良い。
ここで見逃しちゃいけないのは、必然ながら「期間を要する」ということだ。知った、わかった、理解したというのは、ものにもよるけれども、例えば1分とか、1時間とか、1日で事足りることも往々にしてあるわけだけど、練習するには、それと比にならない「期間」が要る。
一度にまとめてやっても、習得はままならない。期間をかけて練習を重ねるうち上手くなるというのは誰もが、これまでの経験を振り返って、まぁそりゃそうだわなって納得を覚えるのではないか。
走るスキルだって、「1日24時間走り続けて、その翌日から23日間ぼーっと暮らす」よりも、「1日1時間ずつ、24日間走り続ける」というほうが身になりそうだし。車の運転だって、1日に2時間ぶっ通しで車庫入れの練習するより、1ヶ月半かけて1日20分を6回に分けて1週間おきにやったほうが身になる感じがする。英語の発音とかを身につけるのだって腑に落ちる。
同じ時間かけるなら、一度に学習するより、期間をかけて時間を小分けして学習したほうが効果が高いとされている。目安としては15~30分を一区切りにすると費用対効果が高い。
とはいえ、短期間で習得できるならそれに越したことはないし、学習意欲を持続させるのも大変なので、できるだけ短期間に押し込めたくなるのが、これまた人の常。
さらに、これまではなんだかんだ「教える・運営する側の効率・コスト」の観点から、一度にまとめて教えるというやり方が当たり前に採用されてきた。短期集中を売り文句にする教育商材はたくさんある。私たちの頭は、そういうやり方が一般的なやり方というふうに、想像以上にひたひた浸かっているようにも思う。
しかし、本当にその学習は成り立っているのか、成功しているのだろうか、学習効果をあげる最良の策なのだろうか。コロナ禍にあってあらゆるやり方が抜本的に見直されている今、学び方も教え方も、教える側の都合・諸事情から解放されて、「学ぶ側の学習効果」の観点から、やり方を一から見直すチャンスなんだろう。
学習者中心設計へ向かえ!という問題提起はもう何十年と言われているけれども、実際的に変更を加えていくという意味では、今がまさに好機。
オンラインで事が進めやすくなった今、誰かに何かを教えるプロセスも、ただ教室空間をオンラインに置き換えるだけじゃなくて、プログラムをもっと小分けにして時間を分散させて、回数を増やして、期間を長めにとって、練習を積む機会を設けて、こまめな個別フィードバックから効果的にスキル習得していくアプローチに見直していく検討を要する。
教材はそのまま統一したものを使うにしても、「時間の使い方」は真っ先に学習方法をパーソナライズできるところかなって思うので、そこからでもこれまでのやり方を崩して、学び手その人にとって学習効果が高い方法を模索したいところ。
頭が凝り固まっていて、なんとなく従来の方法を採用しているところがあるから、注意深く「効率じゃなくて、効果が高いほう」のやり方を一から見直して創り出していく注意が必要なときだなと思う今日この頃。
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