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2020-05-07

AirPods Proという「静寂」を買った

ゴールデンウィーク中に思い切って「AirPods Pro」を買ってみた。つけてみて、びっくりたまげた。噂には聞いていたが、本当に静寂。イヤホンではなく、静寂を手に入れたのだった。ノイズキャンセリング機能というやつである。21世紀は、こんな小型サイズで静寂が売られている世界なのかと、しみじみ感動した。

これまで使っていたイヤホンは、音の本体とはBluetooth接続できるものの、右と左のイヤホンは有線でつながっているタイプだったので、マフラーだったり帽子だったり襟だったり髪の毛だったりに絡まって、微妙なところで使い勝手が悪かった。しかも、どこかでイヤーピースを片方落としてしまって、あぁあーと思いながら片方だけで使っていたりした。

そこからのジャンプアップである。ひさびさに贅沢すぎる買い物をしてしまった。

まさに、時を忘れてしまう空間。今日も仕事のときに試しに使ってみたのだけど、ものすごい集中できちゃって自分じゃないみたいだった。私がこんなに長いあいだ集中できるなんて、何かの間違いじゃないかと。

静寂って、概念なんだなって思った。私のような人間1.0は、静寂っていうと誰もいない広い空間なんかのイメージが先にたっちゃうのだけど、そうやって場所をとるものって決まりはない。「これ」って指し示せるモノではなく、静寂は、やはり言葉どおりコンセプトなのだった。何らかの意味づけをして、人間が価値を認められるコンセプトなのだ。

このあいだ読んだ本(*)に、こんな節があった。

存在するというと、いつも空間的なものを考えてしまうのです。これは僕らの悟性の機能の習慣に過ぎない。存在するものが空間を占めなくたって、ちっともかまわないわけでしょう。空間的には規定できない存在も考えうるのです。むしろ、空間的に存在するものは、潜在的な存在が顕現するのを制限している機構だというに過ぎない。

むずカッコいい斬り方が印象的だったのだけど、この話が「AirPods Pro」を体験したときに呼び起こされた。

いま私たちが日常生活で使っている技術は、すでに概念の本質を多様に展開できる力をもって、いろんな有形・無形に体現されて、それを享受して私たちは暮らしているんだなぁと、しみじみ感動する機会となった。

「悟性の機能の習慣」からちょっと距離をとったところの目線は、こういう実体験を通してしか育んでいけなさそう。大事だなぁ。そういう意味でも、たいそう尊い買い物をした。音楽を聴くより、静寂を得るのに使いこんでしまいそう。

*小林秀雄「学生との対話」(国民文化研究会、新潮社)

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